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もうひとつの「虚業成れり」物語

第2回 ソ連は何故神彰を選んだのか

 「日本とユーラシア」7月15日号に、拙著『虚業成れり』の書評(書評ページに全文転載)が掲載されている。これを書いていただいたのは、日本ユーラシア協会事務局長の長塚英雄氏である。この書評のなかで、思いがけない事実とぶちあたりびっくりしてしまった。神が、日ソ協会(日本ユーラシア協会の前身)のために、ただで公演をプレゼントしていたというのである。まずは長塚氏の書評からこの部分を引用させてもらう。

「 私はこの本(『虚業成れり』のこと)を手がかりに、日ソ協会初期の文化.交流において、会員・市民に感動を与えた低料金による大衆公演の「仕掛け」を知った。神氏=アート・フレンド・アソシエーション(AFA)は、次々招へいするソ連芸術家グループの来日公演ーステージを無料で協会に提供していた。国交回復直後だから日ソ友好親善のためという大義名分があったとはいえ、ソ連大使館やソ連本国との契約交渉をうまくすすめるために唯一の窓口だった協会との付き合いは必要だったともいえなくもない。神彰氏と直接に接触して無料公演を実現していたのは堀江邑一先生(常務理事)だった。堀江先生の要望に一度たりともノーと神彰氏は言わなかったと聞いている。貧乏な協会財政に大きく寄与したことはいうまでもない。
 ボリショイバレエ(1957年8月24日両国国際スタジアム、12000人)、レニングラード交響楽団(1958年5月14日東京都体育館、14000人)、ボリショイサーカス(1958年7月14日東京後楽園アイスパレス)、レオニード・コーガン(1958年11月28日)、レニングラードバレエ(1960年7月15日、東京都体育館、8000人)、ボリショイサーカス(1961年7月18日東京都体育館、7000人)、同(1963年7月14日)、以上の7本が特別大衆公演、勤労者のための演奏会などと銘打って行った公演で、神彰氏は「心よく」提供してくれたという。」

 無料で一ステージを提供といっても、みな器の大きな会場での公演である。自分が興行する公演にとって足をひっぱられるとしか思えない大衆公演を「無料」でしかも「心よく」提供するというのは、あまりにも気前が良すぎるのではないだろうか。神彰のことである。なにか裏があったというか、理由があったのではないだろうかと勘繰ってしまいたくなる。
 長塚さんとこの本のことについていろいろ話をした時に、「日ソ協会の当時の関係者に取材すれば良かったね」と言われたのだが、確かにその通りであった。関係者の方から話を聞けば、このへんのことがいろいろわかって面白かったかもしれない。

 ひとつ考えられるのは、これはソ連との契約のなかでのひとつの条件ではなかったかということである。
 当時のソ連にとって、名だたるバレエ団やオーケストラの一流どころを日本に派遣したのは、外貨稼ぎというよりは、対日文化戦略の意味が大きかったはずだ。こうした芸術団を当時ソ連との窓口になっていた日ソ協会を通じて派遣する方法もあったはずなのに、それをせずにあえてAFAを通じて派遣したところにソ連のしたたかさがあった。あくまでも大衆レベルでソ連芸術を広く深く広めることが目的だったソ連にとって、日ソ協会のもつ政治色は、ある意味邪魔であった。しかしいままでソ連と日本の橋渡しをしてきた日ソ協会の役割を無視するわけにはいかない。そのためにAFAを通じて、公演権を渡すようにしたのではないだろうか。
 かつての神の盟友、長谷川濬は、ずっと書き続けいたノートにこんなことをメモしている。

 「ソ連芸術公演ブーム−アメリカへのいやがらせ。
 ソ連芸術公演デモに踊らされた興行師。
 彼は「金」をかせぎ、ソ連は「時」をかせぐ。
 ダレスの渋面。
 日ソ協会の無力は政治力の欠如と無内容のせい。
 何故神彰にやらせるのか。
 ソ側にとってはうってつけのいい鴨である。つまり組織がないこと。政治的のひもがないこと。個人であること。日本大衆のそっぽをむく赤色のないこと。afaの名が無難なこと。親ソ共産のならび大名のいないこと。素人で田舎者であること。芸術文化の美名が対米政策上、最上のカモフラージュたること。
 親ソ団体、顔色なからしめた神の盲目蛇に怖いずの、はったりが買われたのだ。
 日本の伝統的赤嫌いの迷信を踏みにじって、特に興行界の無知、保守的退嬰(ソ連に対して)を無視した神の無謀な体あたりがけがの功名となった。」(1958年9月のノート『青鴉の手記』より)

 当時日本には、アメリカべったりの政策から抜け出そうという気運があった。スターリンからフルシチョフへと書記長も代わり、雪解け政策に進んでいたソ連の思惑、そのなかでの対日文化戦略、それにうまく乗ったのが、神彰の「赤い呼び屋」路線といえるかもしれない。長谷川濬はそれを見抜いていたように、神の無謀な体当たりが、ソ連側の思惑にかなったというのが、この大衆公演の秘められた理由であったといえるかもしれない。


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