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もうひとつの「虚業成れり」物語

第1回 『虚業成れり刊行裏話』から『もうひとつの「虚業成れり」物語』へ

 『虚業成れり』が刊行されてから半年になる。多くの新聞・雑誌に書評としてとりあげられ、話題になったことに自分でも驚いている。
 刊行後に寄せられた反響などについては、いままで連載してきた刊行裏話のなかでも紹介してきた。
 これをもう少しふくらませたかたちで、もうひとつの『虚業成れり』の物語を書いてみたいと思うようになったのは、刊行したあとに、神彰に関わった人たちに関して、さまざまな情報が寄せられたことが大きい。
 例えばいま書こうと思っている長谷川濬が書き残したノートをお借りして読ませてもらっているのだが、随所に神彰のことが書き込まれている。長谷川濬にとっても、仲違いした神の存在は大きかったのだと思う。私に貴重な公演プログラムを貸してくれた女子社員の方が、いま病床にあるという話も舞い込んできた。
 すでに書き終え、本というかたちになったものの、こうした余話を書きたいと思うのは、あの時代を生きた人たちのまだ消えていない幻の残像にどうしてもまだとらわれてしまっているからなのだろう。
 ここではおもに神彰と一緒に時代を送った人々のことを書くことになるだろう。その意味でのもうひとつの『虚業成れり』といえるのではないかと思う。これをまた本にするということはないだろうが、どこかで自分のなかで、決着がつくまで、書き続けていこうと思っている。

 したがって刊行裏話は、前回の分で終了ということになる。
『もうひとつの「虚業成れり」物語』で最初に紹介するのは、『野毛通信』という私のいきつけの飲み屋街の野毛で発行しているタウン誌に最近書いた、この本のPR文である。


呼び屋神彰の幻を追って

大島幹雄(呼び屋)

 『虚業成れり−呼び屋神彰の生涯』は、呼び屋稼業をしてきた私にとって、ひとつの区切りとなった。

 神彰(じん・あきら)といっても知っている人は少ないだろう。画家を志していた神が、興行の世界に入り込むきっかけとなったのは、ふと友人が口ずさんだロシア民謡を耳にしてからだった。敗戦でうちひしがれた日本人の心に、ほんもののロシア民謡を届けたい。「誰を呼べばいい」そう尋ねた神に、友人は、『ドン・コザック合唱団』と答える。まったく興行のイロハも知らないまま、神はドン・コザックと契約し、銀行から金を借り、毎日新聞社の主催をとりつけ、この公演を実現してしまう。そしてドン・コザック合唱団は、日本中に旋風を巻き起こすことになるのである。神彰34歳のことである。

 勢いに乗った神は、今度は、国交のなかったソ連から、ボリショイバレエ、レニングラードフィル、ボリショイサーカスを立て続けに呼び、大成功をおさめる。彼はいつのまにか、「赤い呼び屋」と称され、一躍マスコミの寵児となる。神は、日本が敗戦から立ち上がり、復興、高度経済成長時代へと突き進んでいた、元気な時代をさっそうと駆け抜けた男だった。私生活でも人気作家有吉佐和子との電撃結婚と離婚など、マスコミを賑わせていた。呼び屋の会社をふたつつぶしたあと、居酒屋ブームの先駆けとなる『北の家族』を立ち上げるばかりか、一部上場までこぎつけ、晩年も「呼び屋から飲み屋へ華麗な変身」と、世間を騒がせていた。この本は、呼び屋時代の神彰に焦点をあて、その足跡をたどっている。

 呼び屋を生業にしている自分にとって、神彰という男が、「幻」といわれていたものを呼んだ、その情熱の源泉のようなものがなによりも知りたかったのだと思う。おおげさに言えば、この稼業をこれから続けるかどうかという岐路にたたされていた時、神彰の生涯を追うことで、呼び屋としての自分を検証する旅もしていたような気がする。

 かつて神彰と共に、アートフレンドアソシエーションで一緒に働いていたひとたちの話を聞くことから、取材ははじまった。同じ稼業をしているからこそ肌で感じられる熱気に何度クラクラさせられたことか。まったくゼロのところから始めることの潔さ、そして目的を定めてから、ありとあらゆる手段をつかい、スタッフたちが、思う存分自分たちの個性をぶつけながら、実現させる盲進的エネルギー、そして転落の見事さ、たった7年間しか存在しなかったこの会社で、神彰だけでなく、ここで働いていた人々も共に、青春を燃焼していたのである。

 アートフレンドが手がけた興行のひとつひとつを、そのなかで働いた人々の証言をつなぎあわせながら検証していくなかで、自分のなかで、なにかに火が点いたように思える。あのとき確かに、神彰にも、他のスタッフにも「幻」が見えていたのだと思う。「幻」を追いかけることこそ、アートフレンドのスピリットであり、それこそが、自分が求めるものだったといえるかもしれない。

 昭和という活力をもった時代を背景に、興行にロマンを賭けた男の生きざまは、きっと多くの人に勇気を与えるはずだ。なによりも神さんから大きな勇気をもらったのは、私かもしれない。


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