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もうひとつの「虚業成れり」物語

第6回 木原の死、その後

 木原啓允の四十九日の法要が、十二月二十日山梨県小淵沢の曹洞宗高福寺で執り行われた。私は参列することができなかったのだが、長男の海彦氏から、暮れに挨拶状が届いた。胸にしみる、手紙だった。
 そこにはこんなことが書かれてあった。

「母が亡くなって八年、胃癌、脳梗塞など病を得、文章を書けなくなったことは精神的に痛手になったようでしたが。それでも、東京のアパートを離れず、ファンクラブのような良きヘルパーさん達の援助を受けつつ独居をつらぬいたことは息子からみても見事と感じます。」

 取材をさせてもらった時、「神のことは書きたいよ、でももう書けないんだ、君が書けばいいんだ」と言っていた木原さんの無念そうな顔が忘れられない。いつもそばにいたヘルパーさんたちが、仕事として身の回りの面倒をみているという感じではなかったことも思い出される。「神はなぜかもてるんだよなあ」と言っていたが、木原さんも女子社員の人たちには圧倒的に人気があった。どこか人を惹きつけるところがあるのだろう、きっとそれは木原さんのもつ優しさなのだと思う。神のようにオーラを放つのではなく、にじみ出るような優しさで人を巻き込んでいったのではないだろうか。

 「私の知る父は、休日に「万年ベット」でただ眠りこけ、昼頃目をさますと台所に立ち肉じゃがや田舎の押し寿司を私に手伝わせて作り、夜は公演パンフレットの切り貼りの作業をしているやさしく且つ仕事人間としての姿でした」と続けたあと、海彦さんは、こんなエピソードを紹介してくれている。

「遺品の中に、戦後間もない頃のものかと思われる「硫黄島デ死ンダ君タチ、僕ハ生キ残ッテ・・・」という詩の書き出しがありました。私には意外なものでしたが、案外、その後の一生を貫いている想いだったのかもしれません」

 木原さんは、学徒動員組だったが、国内で演習訓練を受けているときに終戦を迎えている。生き残ったという想い、それが革命を志すことにつながっていったのかもしれない。
 革命家、夜間高校の教師、プロモーター、映画プロデューサー、絵画展の仕掛け人、現代詩人、そして社史の編集者、いくつもの顔をもつ木原さんの才能は、AFAのなかでも飛び抜けていた。ただ人生の成功者ではなかった、負け組のひとりかもしれない。もしかしたらもっと冷酷に、勝つことだけ考えれば、勝ち組になることができたのに、それができなかったところ、それが木原さんの優しさ、人を裏切るぐらいだったら、負けてもいいと思ってしまう優しさだったのではないだろうか。

 木原さんが亡くなって一カ月ぐらいしてから、野毛の「波の上」で映画プロデューサーの福寿さんと初めてお会いした。福寿さんに、「木原さんってご存じですか?」と訊ねたら、「ああ、あの『襤褸の旗』を作った男だろう、え、死んだの? そうか、じゃこんどやろうか、うちの映画館で『襤褸の旗』をかけて、木原を偲ぶ会を。あの時代に、田中正造の映画をつくるなんて、無茶だよ。でもなあ、それをやるってんだから凄いよ、木原は。ニヒルな男だったなあ」
 まさかすぐにこんな反応がくるとは思ってもいなかった。ただ正直うれしかった。映画プロデューサーとしての木原をこうして覚えてくれている映画人がいること、しかも木原さんの追悼会のようなことやろうかって、もちろん飲んでいるときの話だから、実現性は少ないにしても、こんな風に覚えてくれているひとがいるのだ。
 そういえば、告別式のときに、西田敏行と書かれた花が祭壇に飾られていた。彼も『襤褸の旗』の出演者であった。木原さんに話を聞いた時、「この映画の失敗が、俺の人生を狂わせた」と言っていたが、まさかこの映画で一山当てようとは思っていなかったろう。福寿さんが言うように無茶なことだ、でもどこかでこの映画をつくらなければという想い、それが硫黄島で亡くなった仲間への想いにつながっているのではないか。

 通夜には出席できなかったが、かつての私の上司、中央放送エージェンシーの大川氏をはじめ、六人のAFAの仲間が集まった。その席で、AFAの同窓会をしようという話がでて、いま大川氏を中心に、名簿つくりがはじまっているという。
 神さんの告別式のときにはでなかった話題である。でも木原さんが亡くなったことで、こんな話がでて来るということ、そこに木原さんの人を巻き込み、人をつないでいく本領が発揮されている、といっていいのかもしれない。
 海彦さんからの便りによると、木原さんが眠る小淵沢のお寺の墓は、奥さんが亡くなられた時に、木原さんが建立したものだという。そこに、「古今和歌集」のこんな和歌が刻まれているという。

「春ごとに花の盛りはありぬれど あひ見むことは命なりけり」

 いつかこの墓を詣でたいと思っている。


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長谷川濬―彷徨える青鴉