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『虚業成れり−「呼び屋」神彰の生涯』刊行裏話

第6回 一枚のリストとアンケート

 この本の半分以上は、神彰が興したアート・フレンド(AFA)の話である。それは呼び屋として神が最も輝いていた時代でもあったからだが、もうひとつ書きたかったのは、片腕であった木原をはじめ神彰に、青春を捧げた人々の姿であった。木原を紹介してくれたかつて私が勤務していた会社の社長大川に神さんのことを書きたいといった時に渡された一枚のリストが、こうした人たちを追いかけるときにおおいに役立った。このリストには、AFAで働いていた23名の社員の連絡先が記されていた。そのなかには死亡、不明者が6名含まれていた。このリストにでていた8名の人たちと実際にお会いして話しを聞くことができた。お会いする前に私は、アンケートを作成し、神さんとAFAの話しを書きたいということを前提に、できればお話を聞かせてもらいたいという手紙と一緒に送ることにした。いまこのアンケートの内容をみると、ずいぶん無理なものだったと思う。そこにはこんな質問が列記されていた。

1)入社のきっかけ 7)手元に残っているAFAの資料・プログラム
2)入社前の経歴 8)AFAの同僚の消息について
3)仕事の内容 9)あなたにとって神彰とはどんな人物だったでしょうか?
4)退社後の経歴 10)あなたにとってAFAは何だったのでしょうか
5)印象に残る仕事 11)AFAでの一番の思い出は
6)神彰の最初の印象 12)そのほかなにか伝えたいことがありましたらお書きください

 もしも自分がこんなアンケートをいきなり送りつけられてきたら、ムッとするだろう。いまから思うとほんとうに無茶なことを尋ねたものだと思う。
 当然のことながら回収率は悪かった。3人の方からしか回答をいただけなかった。なかには書くのがもどかしいから話しをしましょうとすぐに電話をかけてくれた東さんのような人もいらっしゃった。
 回答を寄せていただいた工藤精一郎氏、芦沢丸枝さん、山口五百さんはこの不躾な、すんなりとはすぐにかけそうにもないアンケートに対して、ほんとうにぎっしりと小さな字で、時には欄をはみ出しながら一生懸命答えていただいた。ありがたいことである。それをなんども読み返しながら、AFAという不思議な集団の魅力のようなものを感じるようになった。そしてそれは、「幻」というものを追い求めた、ひとりひとりにとってのかけがいのない青春であったこともわかった。実際に元社員のひとたちと会って話しを聞くなかで、それはいつも感じたことであった。神彰ひとりではなく、あの時代にたしかに生を実感しながら、夢を追いかけていた人々たちがいたのである。それを書きたいと思った。

 この本を読んでくれた元AFAの社員の人たちからいただいた感想の手紙を読むたびに、短かったにせよ、あのAFAの時代がどれだけ濃密なものだったことをあらためて思う。
 「私だけではなく、各々の青春だった」と思い起こしながら、丸枝さんは「遠い昔のこととはいえ、忘れ去ろうにも忘れられない神さんとのかかわりをかたちにしていただいたことで、ケリがついたという気になりました」と書いている。五百さんは「アンケートにお答えしてよかったと思い、青春のよみがえり、なつかしく、うれしい気分」とまで書いてくださった。こちらこそあんなアンケートに真摯に答えていただき、ありがたかったし、うれしかったのである。「神さんとは函館時代からの思い出が深く、いまはただなつかしく思うばかり」という感想を寄せてくれたのは、神に叛旗を翻した富原氏だった。そして「いまあらためて神さんの幻を追う仕事に参加出来たことは、その結果如何にかかわらず幸せなことことであったと思います」と宮川さんは書いてきてくれた。

 一枚のリストを頼りにはじまった取材、そしてとんでもないアンケートを出しながら、ここまでたどりつけたことは、私だけの力ではなく、あの時代を一生懸命生きたAFAで働いていた人たちの助けがあってのことだったと、いましみじみ思っている。


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