月刊デラシネ通信 > サーカス&パフォーマンス > 神彰 > 神彰伝取材ノート > 第4回

神彰伝取材ノート

第4回 求む!『北聲』情報

『北の家族』の社内誌『北聲』についてご存知の方、お持ちの方はぜひクマにご一報を!

2003年3月6日 記

 神彰の連載は、アートフレンド解散のところまで、そのあとの部分については、今秋に刊行予定の本のなかで読んでもらいたいということで終わっているのだが、あいかわらず読者の方から、いろいろな情報が寄せられている。そのひとつひとつが貴重なものばかりなのである。本のなかでつかわせてもらうことになると思う。

 この連載を読んだと、メールを送っていただいた方と先月お会いして、取材させてもらった。メールが縁で会ったのは、この方が初めてある。このTさんという方は、『北の家族』の元社員で、現在はコンピューターソフトの会社の社長をしている。ある日「神彰」をキーワードで検索をかけていたら、デラシネにあたり、それを読んでお便りをいただいたのだ。
 神彰のことを書こうと思ったとき、自分のなかでは、呼び屋神彰が中心で、その後のこと、特に『北の家族』のことに関しては、いわばエピローグ的に軽くふれようかぐらいに考えていた。というのも居酒屋事業というのは、彼にとっては余生のようなもの、付録であり、やはり呼び屋としての生きざまにこそ、神の魅力があり、それを語るのが、この本の目的と思っていた。Tさんと会って、それが単なる思い込みだということがよくわかった。20代にも関わらず営業部長に突然抜擢されたTさんの話を聞いているうち、神彰にとって、呼び屋とか、飲み屋とかという表看板はどうでもいいことだった、要はどう生きるかということだったということがよくわかったのである。飲み屋に成り下がりと自嘲気味に言っていたことも事実だが、それは神の本意ではないと思う。損した、儲かったということも、神にとってはどうでもいいことだったのではないだろうか。なぜ神彰が、『北の家族』を株式上場するときに、「アートライフ」という社名にしたのか、それはアートへのこだわり、愛着にあったのではなく、その生きかたを問題にしたからではないのだろうか。そんなことが見えてきたとき、『北の家族』の話はエピローグではすまないことに気づいたのである。
 『北の家族』は、余生でも付録でもない、神にとっては、ドン・コサック合唱団、ボリショイバレエを呼んだ時と同じような心情で、挑んだものだったのである。それがわかったとき、実はとてもうれしくなった。なんて素敵な男なのだろうとあらためて思ったからだ。彼は闘い続けていたのだから。

 Tさんとの話で印象に残っているのは、神彰が癌と十何年も闘っていたという話だった。名声を得て、それを失い、莫大な金を手にし、そして失い、自分のために死ねるような女と出会い、その死に立ち会い、またよみがえり、財をなしながらも、今度は死と向き合うような病気と闘っていたのである。彼はいつも闘っていたのである。彼の人生に余生はなかったのだ。

 T氏は取材の時、『北聲』という『北の家族』で年一回出していた社内誌を見せてくれた。これを見ながら、やはりなあという気になった。
 例えば1990年の『北聲』の表紙には、アートライフ−芸術集団をめざすという勇ましいタイトルがついている。そこの冒頭エッセイで神はこんなことを書いている。
 「私の目標とするところは、芸術生活(アートライフ)という自分の匂いをもった宇宙(こころ)を所有することだ」
 神彰にとってのアートライフ、自分の匂いをもった宇宙(こころ)の底にあったものを自分は書き上げたいと思う。きっとこれは来るべき本のタイトルにはならないが、私の連載のタイトルともなった『幻を追うこと』、それとつながるものだと思う。「幻」とは自分の匂いをもった宇宙を探すことだったのではないだろうか。

 T氏は、友だちから借りてきたという『北の家族』が年に一回発行していた社内誌『北聲』4冊を見せてくれた。一番古い号は、1990年の第12号だった。ということはこの前に11冊の『北聲』があったはずなのである。これを読みたい。もしもこのデラシネを読んでいる人のなかで、このことで知っていることがあれば、ぜひ情報を寄せてほしい
 なによりも私は、神が書いている冒頭訓示を読みたいと思っている。そこにはきっと神の真情が書かれているはずからだ。


 クラシック関係のサイトで、神彰のことを紹介している方がいらっしゃるのを前に書いたが、このサイト「海外オーケストラ来日公演記録抄」に主宰者大谷さんが「神彰氏の招聘した二つのオーケストラ」という頁をひとつ新設してくれた。ぜひのぞいてください。
 神がチェコフィルを呼んだ時、カラヤン率いるウィーンフィルも来日しているが、これをとても興味ぶかいデータで紹介している。
 大谷さんは、この私の未完の本が出版されたあかつきには、告知するコーナーもいまから用意してくれている。とてもうれしい。

 義子さんが亡くなる1ヶ月前にテレビ出演したときのプロデューサーのS氏からも、貴重な情報をいただいた。熱海で別荘を購入するときに設計にあたった方からも情報をもらっている。

 自分の書いていることで、本にするために応援してくれる人がすでにいることが、ものすごい励みになってる。
 がんばりますよ。いい本にします、絶対に!


連載目次へ デラシネ通信 Top 前へ | 次へ