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ヤマサキ・ファイル4 [ヤマサキの過去を探るべく各方面に出された書類]

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ファイルナンバー  19 20 21 22 23 24 25

ここに掲載したファイルは、ヤマサキの過去を探るべき、各方面に出された書類を集めたものである。
とくに重要なのは、ファイルナンバー25であろう。
取調べとはまた別のヤマサキの肉声が聞こえてくる記録である。


 

ファイルナンバー 19 該当頁 48〜49 日付  1937年 7月20日
タイトル ATEPTSEVCKII ソビエトの照会状
内容 ヤマサキの住まいについて(手書き)

 ヤマサキキヨシについての照会について。
 彼は1936年ATEPTSEVCKIIの紙工場で電気技師として働いていました。そして鈍く、できの悪い作業のために解雇されました。解雇されたあとは、カメンスキイソビエトに属しました。そしてナロフォミンスクの織物工場に就職するまでは、そこで暮らしていました。現在はゴルチヒモ村で暮らしています。家族は4人で、彼自身と妻、1才から5才までの子供ふたりです。
 ヤマサキキヨシは1900年生まれ、彼の妻は1906年生まれ。
 ヤマサキと妻は彼の家つまり、ゴルチヒモ村の住宅にいることはめったにない。
ATCHEZDIにしばしばいるようだが、どこにあるかはわからない。

ATEPTSEVCKII ソビエト××××(人名か?)のサイン

 

ファイルナンバー 20 該当頁 50 日付  
タイトル UGV UNKVD 第8部の照会
内容 ヤマサキのモスクワ時代についての記録についての照会
(タイプ)

                極秘

UGV UNKVD 第8部

                  モスクワ市


  日本国東京出身、1900年生まれのヤマサキキヨシは我々によって逮捕された。
  1921年から1932年までモスクワ市で暮らし、モスクワ−ベラルースカ−バルチンスキイの鉄道車両修理工場で働いていたヤマサキキヨシがあなた方のところで登録手続きをしていなかったどうか調査のうえ、知らせて下さい。

UNKVD ナルフォミンスク責任者
国家安全局上級大尉 ラザレフ
サイン

 

ファイルナンバー 21 該当頁 51 日付  1935年3月25日
タイトル ヤマサキ党籍除籍についての議事録40からの抜粋
内容 ヤマサキ党籍除籍について

 モスクワ州共産党ナロフォミンスク地区委員会ビューローの××××(会議か)の議事録40からの抜粋
1935年3月25日


 審理した
   決定した

・・:同志ヤマサキが、ソフォーズの労働者のなかで、我々の党のリーダー
  たちの信用を失墜させる反党的行為のため共産党から除籍されたこと
  に関してレコードに録音されていた党組織会議の議事録の抜粋である
  ことを証明する

    我が党のリーダーたちの信用を失墜させる反ソ的な発言に対して、また我が党のメンバーのなかに潜入した異端分子として、ヤマサキを共産党から除籍すること

    共産党地区委員会秘書 名前(タイプ)アシキナーベか−サインなし

    抜粋は間違いない 共産党地区委員会登録部長 チェリシェフ(サイン付き)

 

ファイルナンバー 22 該当頁 52〜53 日付  1937年 7月25日
タイトル 住宅の管理人が預かった物品リスト
内容  

(粗悪な紙に手書きで書かれたメモ)
リスト

ナロフォミンスク地区で取り調べを受けている(?)ヤマサキキヨシの所持品××は、サマローヴァ・××××・ゲラシモーワの家に保管されている(?−判読不能)
以下のものがそのリストだ。
  50cm×40cmの大きさの古い板製の箱
  ××××の着古しのズボン(複数)                     
  着古しの花柄のセーター
  古い××××
  役にたたない(?)かかとのない短靴(アンダーライン)
  小さい××××
7. 編み上げ靴
  40cmの長さの鋸
9. 皮製の靴
  2つの電気スイッチと1つの電気××
11. 絶縁テープ 100cm
  ベル用のコード(電線)10cm
13. ×××××
14. ×××を刺繍するための糸
15. ラジオ受信機の配線図の本
  汽車の時刻表
17. 動物界の本
  賭博用ハガキ 34枚
  ケースに入った鉛100cm
20. 古いジャケット

これらリストに載っているすべての物品は、サマローヴァが保管したままである。

××××に対しての答え
サマローヴァに対しての××××
         サイン(パブロフか)

 

ファイルナンバー 23 該当頁 54 日付  
タイトル UGV UNKVD 第8部の照会
内容 ヤマサキのモスクワ時代についての記録についての照会
(タイプ)
ファイルナンバー20の文書とほとんど同じ内容、逮捕されたという記述がない、但し下線部が手書きになっている]

                極秘

UGV UNKVD 第8部

                  モスクワ市


  日本国東京出身、1900年生まれのヤマサキキヨシが1921年から1932年までモスクワ市で暮らしいたかどうか、あなた方のところで登録手続きをしていなかったどうか調査のうえ、知らせて下さい。

UNKVD ナルフォミンスク責任者
国家安全局上級大尉 ラザレフ
サイン

 

ファイルナンバー 24 該当頁 55 日付  1937年 9月XX日
タイトル ソ連邦中央執行委員会幹事会に対する
取り調べ延長請願についての決議
内容 取り調べ容疑について、さらに取り調べの必要性

国家安全局内務人民委員会副委員長

1937年9月  日
決議
ソ連邦中央執行委員会幹事会に対する取り調べ延長請願について

1937年9月××日、私こと、UNKVD ナルフォミンスク責任者国家安全局上級大尉ラザレフは、ヤマサキキヨシの反革命的運動について16237号の取り調べ記録を吟味した結果、以下の事実が判明、以下の決定をした。

判明したこと

 1937年7月23日、日本人、ソ連市民、ヤマサキキヨシは、反革命運動のため、第58条10項により逮捕された。現在ブッティールスカ刑務所に逮捕拘禁されている。彼の罪状を明らかにし、正確を期するため証人尋問すること、そして彼のソ連滞在を確定することが必要とされ、刑法法典116頁に従えば、1937年9月23日に取り調べを終了させなくてはならないが、さらに取り調べを延長させる必要がある。
 第一回目の取り調べ実施期間の延長について提起する。

決定した
 1937年10月23日まで一ヵ月間取り調べ期間延長について、ソ連邦中央執行委員会幹事会に請願することを提起する。

UNKVD ナルフォミンスク責任者国家安全局上級大尉ラザレフ(サインあり)

 

ファイルナンバー 25 該当頁 56〜57 日付  1930年1月20日
タイトル 抜粋
内容 車両工場で盗みの嫌疑をかけられたときの審理応答

抜粋
 1930年1月20日に「1905年革命記念」車両修理工場付属共産党員粛清に関する調査会議から


 ヤマサキ・キヨシ。1900年生まれ。1929年から党員、父は海軍の大尉、日本人、番号1267469。両親はサーカスの芸人に預けた。1914年まで各地のサーカスで働く。1914〜17年にかけて、志願兵としてロシア軍に入隊。1917年セバストポールに住む。1917年に赤軍の国際部隊に入隊、1920年まで。
 1921年化学教育学校、6カ月。1921年6カ月クラスナ・ペンシネンスキイ地区の文書使い。1922年赤い十月クラブ、3カ月、1922年1905年工場。1921年から2年間、コムソモール(共産党青年同盟)員、会費未払いのため除籍。父は海軍大尉。

質問「何のために、まるでRKに対する反乱分子のようなかたちで、地区委員会を脱退させられたのか。
答え「偶然でした、RKを出たのは12時に着いて、1時ちかくに攻撃がありました。クラブから盗みのために解雇されました。盗みはしていません。泥棒たちは見つかりました」
質問「どうしてあなたの当直中に盗みがあったのですか」
答え「たしかにそうです。しかしひとりで22哨所も警護できません。」
質問「家ではなにをしてますか」
答え「絵です」
質問「なくなった画筆ブラシは、あなたはもってませんね」
答え「ありません。わたしには必要ないのです。なくなったのは長いものですが、短いのが必要なのです。」
質問「どうしてMMB の印がついたランプがあなたのところから見つかったのですか」
答え「わかりません。いまわたしのところにランプはありません。」
質問「マホガニーの時計がなくなった件については」
答え「2つめのマホガニー細工の時計がなくなりました。」
質問「マホガニー細工の電鈴がなくなっています、そしてあなたのオーバーシューズの跡がついています」
答え「国家保安部でした。しかしわたしは捕まっていません。」
質問「ソ連に滞在中に逮捕されたことはありますか」
答え「ありません」
質問「家族は」
答え「妻と赤ん坊です」
質問「委員会支部との関係はありますか」
答え「ありません」
質問「勤労奉仕について」
答え「党の勤労奉仕はしていません。職場から職場へと変わりますから」
BOGOMOLOV 「勤勉な青年で、誠実です。おそらくRATINIKOV が彼に、不正をはたらいたのでしょう。このことから会談が行われました。」
VASILIEV 「彼はやってきて、彼が襲われたといいました。彼は資格証明はもっていませんが、いい青年です」
CHUMAKOV 「彼の当直の時に、物がなくなりました。私は彼がやったとはいいたくはありませんが、彼を警護の職から外したときにだけに、遺失がなくなるのです。」 

ヤマサキの結論: つかまらない泥棒などいない。君がのぞむのなら、疑うこともできる。私が肉体労働をしている時に、盗みはあった。私が警備していた1カ月は、盗みはなかった。しかし交代で働いているときに、再び盗みがあったことがわかった。




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