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特 集
BPズームの笑いの秘密

見上げる人と見下ろす人 キャラクターについて
リフレイン
ナンセンス
モノの反乱
ケレンと急変


 2001年5月大阪で公演したBPズーム公演の模様については、先月号の週刊デラシネ観覧雑記帳で簡単に紹介したが、とにかく大変な評判だった。お客さんが書いたアンケートを見ると、「面白かった」、「大笑いした」と簡単に書きとめたものが多い。見終わったあと、どこが面白かったということを思いつく間もなく、彼らの笑いのパワーに圧倒されたのだろう。それは私も同じだ。
 誰かが「笑いのケタが違うよね」と言っていたが、たしかにいままで私たちが手がけてきたクラウンの世界と異質なものをこのふたりは持っている。ただとんでもなく新しいことをやっているわけではない。ある意味では古典的なクラウニングをベースにしているといえる。クラウニングの文法にしたがいながら、いままでにないクラウンの世界をつくろうとしている。ここにBPズームの笑いの秘密があるような気がするのだ。
 BPズームの笑いの世界を私なりに分析してみたい。

見上げる人と見下ろす人 キャラクターについて

 クラウニングの重要な要素にキャラクターの衝突がある。
 BPズームは、ノッポのMr.Pと、ちょっと小太りのMr.Bのキャラクターのぶつかりあいを、ドラマトゥルギーにしている。ふたりがステージに並んで立つと、Mr.Pが見下ろし、Mr.Bが見上げるという構図が自然に生れる。この見上げる、見下げるという図式が、ひとつのおかしさを生み出している。
 クラウンの古典的なキャラクターに、白い道化師とオーギュストがある。白塗りのメイクに、優雅なたたずまい、しかしどことなく狡賢いところももっている白い道化師に対して、オーギュストは、根っからのいたずらもの、エキセントリックで、既成の価値をひっくり返していく。BPズームは、この道化の基本的なキャラクターの対立をベースをしている。
 ノッポで帽子を被り、いつも律儀にお辞儀を繰り返すMr.Pは、白い道化師を彷彿とさせるし、髪の毛を真ん中できちんとわけて、フロックコートを着込むMr.Bは、動きが俊敏で、しかもいつもアグレッシブなところは、オーギュスト的だ。
 しかしBPズームでは、従来のクラウニングでは、受けの立場にあるはずの白い道化師、Mr.Pの方が、悪戯を仕掛けていく。笑いの仕掛け人はだいたいPなのだ。このPの仕掛けに乗って、Bが受けるだけでなく、それを上回る悪戯をしようとするところに、ふたりのドダバタがさらにヒートアップしていったといえるかもしれない。
 漫才の世界でいうボケとツッコミは、クラウニングにとって重要な『ズレ』を生み出す装置なのだが、BPズームは、それを平面上での対立ではなく、見上げる人と見下げる人の目線の交差を入れながら、さらに立体的に笑いの基本、ボケとツッコミの対立を増幅していったといえるのではないだろうか。

リフレイン

 リフレイン、これも笑いの基本といえる。BPズームはこの繰り返しを随所に、しかも効果的にとり入れている。クラウンの演技を見て、子どもたちが一番反応するのは、この繰り返しである。
 一度クラウンがやったおかしいことを、もう一度見たいという願望を素直に、子どもたちは抱く。それに答えて、クラウンが同じことを繰り返すのを見ると、子どもたちは喝采を送るのだ。
 BPズームでは、例えばBが、マイクのコードを腕に几帳面に巻いていくというシーンがあるが、これを三回繰り返す。その時に、笑いが生れるのは、繰り返しのなかで、少しずつ「ズレ」をつくりだしているからだ。

ナンセンス

 BPズームには、こんなシーンがある。
 スプーンを身体のあちこちで叩きながら音を鳴らし、客とも絡むギャグが一通り終わって、舞台は暗転。この間に、ふたりの前に机と椅子が置かれ、ふたりは椅子に並んで座る。また一瞬の暗転。何故か、ふたりとも右の方向に向かって、身体を傾斜している。すぐに暗転。明るくなると、こんどは左の方向にふたりは、身体を傾斜させている。
 スプーンのギャグのあとのひとつの幕間劇のようなものといえるのだが、この身体を傾斜させるという、まったく意味をもたない行為が、笑いを生み出す原動力になっている。
 しかもこのナンセンスな行為は、これから舞台でおこることは、意味がないのだよと示唆するひとつの伏線ともなっている。これをきっかけに、無意味な出来事が舞台で、次々に起こるのだから。

モノの反乱

 笑いの基本は、「ズレ」にある。「ズレ」の現象をどれだけ舞台でひき起こすか、そこにクラウンは命を賭けるといっていいのかもしれない。
 BPズームは、キャラクターの衝突のなかに「ズレ」を引き起し、さらにはリフレイン、ナンセンスという笑いの文法を駆使しながら、「ズレ」のうねりをつくっていく。この「ズレ」を効果的に生み出しているもうひとつの手段は、道具である。私たちが当たり前につかっているモノを、BPズームはまったく違う機能をもったものに変えてしまうのだ。
 例えばスプーン。食事の道具を楽器にかえてしまう、冒頭のギャグは見事である。スプーンはここでは、打楽器に生まれかわる。モノが本来の機能を捨て、別なモノになる、こうした仕掛けをBPズームはいくつかつくりだしている。
 マイクスタンドをBが、ステージに持ってきて、また新たなギャグが展開されていくのだが、このマイクスタンドのコードをつかい、Pがコントラバスを演奏するように操り始める。コードは、ここでPの演技によって楽器に生まれ変わっている。モノはまったく違うものに変身しているのだ。

ケレンと急変

 ほとんどストーリーのないこの作品のなかで、三つの出来事が、演じられていたエピソードの流れをたち、新たな転換を生み出す。この急変のリズムが、笑いを増殖させることになる。
 その時に、モノ(道具)も大きな役割を果たしている。
 ひとつはテーブルのギャグのなかで、机の中に入っている楽譜の取り合いが演じられた後、Bが取り返し、開いたところで、小さな爆発音がして、楽譜が燃え出す。この意外性は実に効果的だ。テーブルで行われていたギャグの進行を断ち切り、すぐに次のエヒソードに転換させていくのに、火薬という飛び道具を使ったことで、観客に新鮮なショックをもたらすことに成功している。
 しかもこれはあくまでも、序曲であり、布石なのだ。
 ふたつめの急変は、コードで遊んでいたPが、突然帽子をなぐり捨てると、背中まであろうかという長髪が飛び出て、この長髪を振り回しながら、ロック歌手の真似をして、キンクスの「ユー・リアリー・カット・ミー」の音楽にあわせて、演奏するシーンである。 この長髪とロックへの変身による急変は、観客の度肝を抜く秀抜なシーンである。これで場内は興奮の坩堝となる。見事な演出である。
 しかしこれでもまだ仕掛けは終わっていない。
 三つ目も爆発が事態を急変させる。BとPがこのマイクのコードをめぐって、とりあいをしているうちに、コードが絡みつく。そしてふたりがいろいろ引っ張っているうちに、大きな爆発音。音だけでなく、今度はバトンに仕込まれいた照明器材が壊れて、煙りをだしたままズレ落ちる。
 この三つの仕掛けによる一連の急変は、実にスペクタクル的で、まさにケレンといってもいい、躍動感ある醍醐味とクラウニングの妙味を堪能させてくれる。
 そして急変トリック三連発のあとに、さらにトリックが待っている。
 爆発、照明器材がズレ落ち、さらに消火器が登場して、舞台はカオス状態になるのだが、ひとつ間があり、これにともない舞台の明かりも少しずつおちてきて、照明器材の壊れたコードが、ずっと下まで垂れてくる。
 このコードを持って立つP、そしてこれで悪戯をしかけようと、袖に引っ込むBは、あたかもこのコードが、水を流すパイプであるように、水滴の音を、口で出していく。Pは、あわててコードの先を塞ぐが、どんどんパイプは膨らんでいき(もちろんこれはマイムで演じられる)、とうとうパイプが裂け、あたりは水浸しどころか、すぐに水中になってしまう。
 この水中シーンへの転換は、しゃぼん玉を仕込んだ(泡のようにする)海草を模した道具によって効果的に行われるのだが、さらに頭にいろいろな羽根をつけた(魚のカサゴを思い起こす)Bが登場することによって、さらに笑いは増幅されていく。
 三つの仕掛けと、水中シーンで、一気に笑いはヒートアップ、どっぷりとこの非日常的な世界にはまってしまうことになる。


 くりかえし、ボケとツッコミなど、古典的ともいえるクラウニングの、いわば文法を踏まえながら、ギャグを速射砲のようにくりだしながら、リズムをつくっていき、さらに、ケレンともいえる大仕掛けのトリックで、このリズムをさらにかえ、笑いを増殖させていくところが、BPズームの真骨頂であり、新しい笑いをうみだした秘密があるのではないだろうか。


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