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【短期連載】フール祭の人々

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第3回 亀田雪人 (10月11日午後7時半公演)

 亀田雪人が、クラウンとしてステージに最初に立ったのが、一九七九年後楽園矢野大サーカスの公演だったことを知って(どん亀座HP『亀ちゃんが行く』より)、ちょっと驚いた。その年私も呼び屋の会社に入社、サーカスの世界に足を踏み入れていた。しかもこの会社が矢野サーカスにドイツの猛獣ショーを入れていた関係で、よく後楽園に通っていた。同じ頃後楽園で亀田がクラウンとして働いていたというのは、なにかの縁ではないかと思ったりもしている。

 『どん亀座』の「ボロチョイサーカス」を渋谷の児童会館で初めて見たのは、それからずいぶんあとのことだった。ACCが海外のクラウンものを呼ぶようになり、社長の西田からこういうのもあるから、一度見ておいたほうがいいぞと言われたのだ。見てびっくり、本格的なクラウンショーで、お客さんも楽しそうに見ていた。ほのぼのとした笑いがにじみでてくるような公演だった。日本でも本格的なクラウンショーをしている芸人さんがいることが嬉しかった。たぶんその日から、亀田とどん亀座のことが、気になりはじめたのだと思う。亀田は西田とはずいぶん長い付き合いがあったようで、うちの会社で呼んできたクラウンの公演によく顔をだしてくれた。

 10年ぐらい前におやこ劇場に企画として海外のクラウンものを提出しようということになり、初めて企画会議に出ることになった。いろいろなブロックにわかれて、おやこ劇場のお母さんたちに、企画内容を説明するのだが、その時偶然亀田と同じブロックになった。当時からどん亀座はおやこ劇場では人気があり、ほとんどのお母さんたちは亀田のことを知っていた。こちらは初めての出席、さらには海外ものということもあり、親しい人もいないし、居心地が悪くもぞもぞしていた時に、亀田が声をかけてくれた。そればかりか自分の企画の説明の前に、私の会社がディミトリーやミミクリーチという素晴らしいクラウンの公演を日本に紹介していると宣伝までしてくれたのだ。亀田の優しさが胸にしみた。
 たしかそれが終わってから喫茶店で初めてゆっくりと話をしたのではないかと思う。この時の会話でいまでもよく覚えているのは、亀田が「道化師の芸というのは、年期がいるんですよね。ディミトリーもそうですが、ひとつの芸を完成させるのに時間がかかるんだと思うのです。それでもやはり芸というのは、時間をかけないと自分のものにならないと思います。芸を積み上げていくこと、それは大変なんだけど、それを自分をやっていきたいと思うのです」と語っていたことだ。この人は、ほんとうのクラウンになりたいのだ、こんな芸人さんがいることに大げさかもしれないが、感銘を受けた。

 「ボロチョイサーカス」で亀田は、サドルのない一輪車乗りを披露していた。簡単に演じているように見えるが、この芸をものにするために亀田は、おそらく長い時間をかけてきたはずだ。自分のつくる作品でどうしても演じたいと思った時に、時間をいくらかけてもその芸を磨こうというその志の高さ。これが実はクラウンにとってはとても大事なことなのだ。いわばクラウンスピリットとでもいうべきものである。
 亀田はこのクラウンスピリットを持つ、数少ない日本人パフォーマーである。
 亀田と私はほぼ同じ年、芸を身体にたたき込むのが、そろそろしんどい時期にさしかかっていることは間違いない。最近の亀田の活動を見ると、どん亀座の仕事だけでなく、さまざまなジャンルの人たちとのジョイント、さらにはソロ公演など幅を広げている。おそらくクラウンとして次なるステップを頭におきながらことだと思う。
 今回のフール祭では、自分のクラウン人生を振りかえるような構成になっていると聞いている。楽しみである。

 亀田の心には、クラウンの魂が宿っている。それは天からの贈り物であり、いままで志高くクラウン道を追い求めてきた結果であろう。その魂を大事に、さらなるクラウン道をめざしてもらいたい。そして陰ながら応援したいと思っている。これは私の勝手な思い込みかもしれないが、なんといってもわれわれは同期の桜でもあるのだから・・・・


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