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キエフのソフィア寺院のフラスコ画
サーカスに最初に興味をもったのは、亡くなられた榎一雄先生が、東洋文庫で行った講演「サーカスの東西交渉」(正式なタイトルはちがうかもしれない)を聞いてからである。中国で百戯といわれたサーカスの芸が、シルクロードを行き交い、日本までたどりついたという壮大な話に、圧倒された。それから神田の古本屋を歩き、サーカスに関する本をあさり、高価で手に入らないものは、図書館で探し求め、コピーをとったりした。この過程で、ロシアのラザレンコの本に出会い、さらにこの著者であるスラフスキイに会いにモスクワまで行き、ここでスラフスキイからロシアに渡った日本人の芸人の写真を見せられ、ロシアアヴァンギャルドとサーカス、海を渡ったサーカス芸人の方へ関心が向いてしまい、いつのまにかシルクロードとサーカスというテーマは、そのままお蔵入りの状態になっていた。 このテーマに再び立ち戻るきっかけになったのは、いくつかの偶然の出会いからだった。『つく舞考』という本との出会い、韓国の綱渡り(チュルタギ)芸人金大均との再会、キエフのソフィア寺院で見た11世紀に描かれたパーチアクトの壁画、さらにはインドでのヒンズロープマジシャンとの出会い、これらの出会いは、すべてサーカスとシルクロードという源流にたどりつくものだった。 図版は、昨年一月訪れたキエフのソフィア寺院のフラスコ画。ロシアのサーカス史の第一頁はまず、この図版から語りおこされる有名な絵画である。フラスコ画のオリジナルは、寺院で保管されており、一般が観覧できるもの(この写真)はレプリカである。 |
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