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【連載】ツィルカッチたち−アリーナの片隅で

第4回 「ピエロの赤い鼻」―ベルニーからの手紙

 いよいよ先週の土曜日から、「ピエロの赤い鼻」が公開されている。韓国から戻ったばかりで、まだ見れていないのだが、さっそく見に行ったサーカス村村長西田敬一氏の話によると、ほんとうにいい映画だったという。とにかく早く見に行きたいと思っている。
 この映画に出演している、BPズームのベルニーから、この映画に出演したときの思い出、さらにはここで経験したことなどについて手紙が来たので、紹介したい。ACCの同僚で、BPズームにとっても、一番信頼できる友人となっている大野洋子さんが訳してくれた。クラウンを一生の仕事として、真摯にクラウン道を追求しているベルニーらしい、クラウンについての思いがにじみでている、とてもいい内容の手紙だと思う。

BPズームのベルニー

 この映画は、マイケル・クイントのフランスでのベストセラー小説がベースになっています。私がこの映画に関わり始めたのは、2002年6月に、ドイツ人のクラウンだった兵士の役のオーディションを受けたことに始まります。

 私にとって、私の人生において、それは素晴らしい機会となりました。私はこの役を演じることになり、同時にクラウンの演出、主役のジャック・ヴィユレ への演技指導などもすることになりました。役の中で、私は歌を歌い、ダンスを踊り、ジャグリングをし、コンチェルティーナを奏で、フランス語をドイツ人訛りで話し、ドイツ語をネイティブのように話さなければなりませんでした。

 パートナーとして、ジャック・ヴィユレ、アンドレ・デュソリエ、ティエリー・レルミット、ブノワ・マジメルの4人のフランスの名優たちと向き合いました。
 監督は、ジャン・ベッケルという、笑いを愛する人間味溢れる素晴らしい人です。私はこのような素晴らしい機会を与えてくれ、また私自身への自信をも与えてくれた彼に、一生感謝するでしょう。

ジャグリング

 私は2002年の夏は、8月に始まる撮影に備え、準備に余念がありませんでした。私のシーンは10日間に渡り撮影され、非常に暑く、ストレスを抱えていたということを覚えています。私は窪みの上、40度の太陽の下に立ち、俳優たちは、窪みの底の冷たい水と泥の中に立たなくてはなりませんでした。
 ベッケル氏はいつも3台のカメラを使いますが、私のシーンはいつも急な角度で、空や泥が背景に入るように撮影されました。これが動きに制限がかかることになり、私は舞台での演技を、約90cm(地下鉄のドアが開いたときぐらいのスペース)の中でするということに転換し、高価なカメラと著名な人々でいっぱいの、約4mの深さの穴のへりで、演じなければなりませんでした。
 クラウンの場面の演出は非常に楽しく、また大きなチャレンジでもありました。難しかったのは、この映画が喜劇から悲劇へと変わるところです。悲劇が最大になったところで、突如シュールリアリズム的にクラウンが現れるのです。

 長年にわたり、私は人々を笑わせるということは不可能だということを学びました。クラウンが観客を笑わせようとすることは、破滅を導くことになります。笑いを強要することはできないのです。観客はそれを不快に思い、操作されているような気分になるでしょう。そうではなく、観客を笑いたいと思えるところまで、もっていかなければならず、それを認識していなければなりません。クラウンAは、観客の前に出るその前に、観客にとって必要な感情をいっぱいに満たし、その感情を共有するのです。

 今回の場合、囚人たちは空腹で、死ぬことを恐れ、希望もなく、助かる望みはないことから怒りすら感じ、笑いからは、ほど遠い世界にいるわけです。これらの要素を解決方法として演出を考えました。
 かつてクラウンだった兵士は、囚人たちを怒らせ、泥を投げつけられたりします。彼らをライフルで脅し、権力を示そうとします。そして、彼は自分自身を傷つけ、バランス芸をしながらライフルを失くすということで、権威を放棄します。囚人たちは、それで力を得たように感じますが、クラウンは危険をまったく無視し、滑稽なステップを踏みます。そして彼は手榴弾のピンを抜くことで、権威を取り戻します。もしも囚人たちが彼を撃つならば、彼は手榴弾を落とし、全員が爆発で死にます。彼は手榴弾をうまくジャグリングしますが、そのうちのひとつが窪みに落ちます!彼らは叫び、死を恐れます。しかし彼らはまだ生きています。それは手榴弾ではなく、パンや林檎だったのです。彼らは空腹をしばし忘れていました。特にジャックですが、かぶりつき、林檎を自在に操ります。クラウンだった兵士がライフルの存在を思い出すところでは、クラウンを演じながら、地面の上をライフルが落ちていないか探すのですが、ライフルは頭の後ろで、外れたヘルメットにくっついているのです。

 クラウンを学んでいる人たちには、これが1930年代から40年代が参考にされていることに気付くでしょう。
 ナチの行進は、イギリスのミュージックホールの軽快なダンスに変換されますが、それはグラウチョ・マルクスの得意とするものです。
 踵を鳴らすのは、バスター・キートンがよくやっていました。
 ライフルでのバランスや、失くしたライフルが実はヘルメットにくっついていたというものは、W.C.フィールドが参考にされています。
 これらはすべて、時代が生んだクラウンのルーティーンです。

このカメラ、いくら?

 この役は、私にとって非常に重要なものでした。なぜかというと、年をとることにより、感情というものがクラウンという私の仕事において、より重要になってきたからです。そしてこの小さなシーンは、恐れ、怒り、パニック、痛み、喜び、感謝、安堵などが盛り込まれています。クラウンとして、これらの感情を演じるということは、難しいものがありました。
 ベッケル氏は私に対し、表現を少なくするよう、非常に厳しく要請しました。シーンを感情で組み立てさせることによって、観客に俳優と同じ感情を共有させるように。もしも感情的すぎると、それは感情を説明することになり、観客はそれを不快に感じることになりかねません。
 その一例として挙げられるシーンは、クラウンだった兵士が彼の日課を終え、ライフルがぶら下がったままのヘルメットをずらしたまま去るシーンです。人質の視界から彼が歩き去るとき、彼はヘルメットを外し、窪みを振り返ります。このシーンをベッケル氏は、夕食での私たちの会話の後に追加することにしています。
 これはクラウンだった兵士をクローズアップしており、彼が見たもの、彼がしたことに対し、彼がどう感じたかということを見てとることができます。
 彼の演出は私にとっては感情がまったくないように感じました。しかし観客は、私のキャラクターをその瞬間同じように生きたことによって、私が感じたことを同じように感じるのです。これは映画という世界での素晴らしいレッスンでした。

 ベッケル氏は、非常にシンプルな要素を取り入れ、結果としてそれが大きな効果をもたらしています。4人の人質が窪みの中にいるシーンでは、色を少なくすることで、感情的なインパクトがより増すことになり、警備兵の赤いクラウンの鼻だけが色として際立ち、「シンドラーのリスト」の中の、赤いドレスの少女のシーンと同様の効果をもたらしています。

 

 最近ベッケル氏は、「ベッケルによるベッケル」という本を出版し、彼の父親と自身の映画について書いています。彼はこの本の中で私についても触れてくれています。

 

 映画を楽しんでもらえると幸いです。

撮影風景


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