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カフェ・クマ−談話室 過去ログ

2002年2月

2002年2月27日 水曜日 1:22a.m. やった!ついに国立カザフサーカスがサーカス場奪還!

ついにやりました。カザフサーカスが、サーカス場を奪還したのです。
気になって、気になってしようがなく、なにかに格好をつけて、カザフに電話していたのですが、今日ローマに電話したら、「お祝いだ、いつ来るという」ではないですか。もう少しちゃんと説明してくれと言ったら、サーカス場を取り戻したというではないですか。正式に決まって、もうアーティストも道具も動物も、サーカス場に帰る準備をしているし、新しいプログラムの宣伝も始まったというではないですか。
ウラー!
ついにツィルカッチたちが、自分の手でサーカス場を取り戻したのです。これは奇跡だといっていいと思います。金の力で奪われたものを、ツィルカッチたちが、地道な努力で、サーカスを取り戻したのです。
私は、こんな人たちを友だちにもったことを誇りに思います。あなたたちは、自分の力でとうとう自分たちの居場所を取り戻したのです。
素敵なやつらです、ほんとうにすごいことをやり遂げたと思います。
めちゃめちゃ興奮しています。それしかないな、言葉は。
お祝いの場に駆けつけようと思います。
サーカスを愛する人たちが、サーカスを取り戻したのですから。


2002年2月26日 火曜日 0:56p.m. オリンピック終了

今年の冬季オリンピックは、アメリカではどうかわかりませんが、日本ではもりあがらなかったですね。このオリンピック好きの私でさえ、中継はほとんど見ませんでした。やはり日本人があまり活躍できなかったのが原因でしょう。
長野の延長で、簡単にメダルがとれると思ってたのが、まちがいでしょう。その中でもスケートの1万メートルの白幡と、クロスカントリーの今井は、立派だと思います。
今回は審判の問題がクローズアップされましたが、ひとつには競技の数をいたずらに増やしたことがあるのでは。より速く、より高く、より強くという他に、より美しくなどという要素が入ると、審査があいまいになるのではないでしょうか。
もう少しスポーツというのは人と人が純粋に競い合うものだったような気がします。それが見る人の心をうち、感動していたはずなのに、国と国との戦いになったり、勝つために何が何でもということになって、純粋に競い合うことの価値が忘れ去られていっているのではないでしょうか。こうした競い合いの中に、勝者と敗者がでてきて、その中にドラマがあるから、熱中していたはずです。
開会式も閉会式も、結局はアメリカが良ければ、いいんだという演出になっていました。アメリカの一人勝ちという状況をさらにまた、つくりたいのか、そんなさもしさを感じます。
今回のオリンピックで一番気になった選手は、スケートの堀井学君。長野の時不本意な結果に終わり、なきじゃくっていた彼は、今度のソルトレイクで忘れ物をとりに行くんだと言っていましたが、それを見つけることができたのだろうか、結果は決して良くはなかったのですが、彼がどんな気持ちで今回のオリンピックを終えたのか、気になります。閉会式の時にすがすがしい顔をしていたように思えるのですが・・・

2002年2月23日 土曜日 1:10a.m. 重森一&マキの回遊パフォーマンスを見る

晴海のトリトンで、重森とマキちゃんの『コックと卵の鬼ごっこ−これも愛のかたち』を見てきた。
これは去年から重森がやっている卵ネタ。卵のかぶりものをかぶって、店内を歩くもの。小樽のビアホールで最初にやった時から見ているので、あのあとどうなっているのか確かめたかったのと、今回はマキと一緒にやるというので、見に行くことにした。
白装束で卵のかぶりものをして歩くというだけで、奇怪なのだが、この男ただ歩くだけでは満足しない。今回はコックに扮したマキと組んで、また不思議なストーリーをつくった。基本は卵が、1階から3階まで回遊するのだが、3か所マキと出会うポイントがあり、そこでふたりが絡む構成になっている。この絡みが面白かった。マキが生き生きと動いている。さすがダンサーのことはある、切れ味がある動きだ。カバBで、どうやって笑いの世界をつくるか、なにか踏ん切れなくていたのが、ここでは吹っ切れている。アグレシブに突っ込んでいて、コミカルな動きもさまになっている。マキも素顔ではなく、黒の面をかぶっている。これもいい工夫だと思う。
重森の照れたり、子供に泣かれて困ったしまうしぐさもさまになってきた。歩き方もただ歩くのではなく、ひとつのフォルムをつくりだしているのもいい。
ふたりの絡みを見ていると、サブタイトルにもあるように、変わった愛の断面を描いてるのが、面白い。オブジェになって愛を描写すると、無機質な風景が描かれるように思えるのだが、これがなかなかウェットな世界になっている。
ひとりの卵よりずいぶんと膨らみができている。
がトリトンというこの商業施設のなかで、うまくはまっているかというと、そうでもない。はまってもいいはずなのだが、はまっていないのだ。異物になっていないし、溶け込んでもいない、なにか中途半端なのだ。これはやる側の問題ではないのだろうが、ちょっと気になった。
ただ面白い試みなのは間違いない。
もっともっとふくらませることができると思う。

2002年2月20日 水曜日 4:17p.m. ゴンザファンクラブより会報届く 

漂流民の会としては、先輩格にあたるゴンザファンクラブから会報と、いま会の方で進めている映画化にあたってのシナリオ『駆けぬけた青春』が送られてきました。相変わらず精力的な活動をしていますね、ゴンザの会は。
映画をつくるという話は、資金面での問題がクリアできず、一時棚上げになっていたのですが、文化庁の助成が受けられるかもしれないということで、再び活動を再開したようです。
劇映画にすると制作費がかさむということで、アニメでというプランもあるようです。
今回の会報は、18世紀の日本語方言を研究しているロシア人ボンダレンコさんの報告でほとんどがしめられています。これがまさに、18世紀日本語方言に関する学術論文、ロシア人から見た発音表記の問題など、かなり専門的な内容になっています。これは研究者にとっては、たいへん貴重な文献資料といっていいのではないでしょうか。
ゴンザファンクラブの3月の研究会は、上村忠昌氏の「ゴンザの鹿児島方言とレザーノフ辞典の東北方言」。これも楽しみな発表です。会報によると、「石巻漂流民訳の東北方言をゴンザの鹿児島方言と一語一語突き合わせて検討してきました。ゴンザ訳には鹿児島独特の方言があると思っていましたが、中央語が南へ伝播した姿を留めているにすぎないようです。中央語が南と北へどのように枝分かれしたか跡付けます」ということなので、大変興味深い内容になりそうです。
いままでほとんど光が当てられなかった18世紀の日本語に、漂流民の言語が、新たな視点を提供したことになります。
だんだん面白い展開になってきました。
今後の展開が楽しみです。

2002年2月18日 月曜日 2:43p.m. ロシアのロックについて

今月から隔月で連載する「キノを聞く」に関して。
いつも私がのぞいているサイトがあるのですが、ここの管理人の嶋田さんは、パフォーマンスが好きで、最近はロシアとか東欧のロックやジャズについての書き込みが多いので、この企画の宣伝のため、投稿したところ、すぐにこれに対するレスポンスがありました。それがなかなか濃い内容で、ロシアンロックに関心がある人には、貴重な情報源になっていますので、ここで紹介したいと思います。http://www.kt.rim.or.jp/~tfj/talk/
ご覧になればわかるように、音楽全般に幅広い関心をお持ちで、ロシアのロックやジャズに関する書き込みが最近は多いようです。
ここで紹介されているロシア・東欧関係のレーベルのサイトや、アメリカや日本でアルバムを購入できるサイトは、ロシアンロックに少しでも関心のあるひとにとっては、貴重な情報を提供してくれるはずです。
去年早稲田の授業で、DDTやキノのビデオを見せたときに、学生からどこでCD買えるのですかと、聞かれて困ったのですが、今年はこの嶋田さんの記事をおしえてやろうかと思ってます。
ロシア語ですが、キノのツォイのHPや私のお気に入りDDTのHPにもジャンプできますので、ツォイに関心を持っていただいた方は、是非この嶋田さんの談話室をご覧になるようお薦めいたします。

2002年2月17日 日曜日 2:13a.m. いま話題の宗男ちゃんについて

最近露出度が多い鈴木宗男について、かなり突っ込んだレポートが週刊新潮に連載されている。書いているのは加藤昭だけあって、抜群に面白い。先週号ではかつて秘書をつとめていた中川議員の自殺の原因が宗男にあったという視点からのルポ。中川の奥さんが、主人を殺したのは宗男だという証言など、実に説得力がある。
そして今週号(現在発売中)では、宗男がいかにして外務省官僚を取り込んでいったのかに迫っているのだが、これがなかなかすごい内容になっている。宗男の片腕となっているロシア通の外務官僚(ノンキャリア)を実名であげ、その密着ぶりを克明にレポートしている。
裏金をつくって逮捕された外務官僚も、ノンキャリアであったが、この宗男が操る官僚もノンキャリア、エリートにはなれないという劣等感を巧みに引き寄せる宗男のしたたかさには舌をまく。
久しぶりに骨太なレポートである。
あまり世間的には話題になっていないようだが、政局を動かすほどの内容になっている。外務省のいかがわしい体質にさらにメスを入れるきっかけになってほしい。
もうひとつ中川のあと、ロシアコネクションをつくり、大きな顔をしているこの猿が、いま中央アジアの旧ソ連諸国に入り込もうとしていることに危機感をいだいていたので、これにストップをかけるきっかけになって欲しいということもある。
「アホの坂田が」とテレビを見てつぶやいたら、奥さんが「坂田さんに悪い」と言っていたが、ほんとうにその通り。このとんでもない猿を早く抹殺すべきである。
週刊新潮のこの連載、注目すべきだと思う。

2002年2月15日 金曜日 5:04p.m. 茂山狂言会『唐相撲』を見る 

茂山狂言会を見るのは久しぶり。今回は茂山家が勢ぞろいした大曲『唐相撲』が演じられるとあって、会場は超満員。楽しかった、面白かった、そして感心した。
「三本柱」は若手四人による演目。声もよく透るし、着実に腕をあげている。
「察化」は、千作、千之丞のまさに息の合った、絶品、至芸といってもいい狂言。出てくるだけでおかしい千作の天然ボケは、さらに磨きがかかっている。それに絡む千之丞の受けの見事さ。これはクラウン芸といってもいい。このふたりは、オギュースト(クウランのなかでも引っかき回し役)役の千作、ホワイトフェイスクラウン(サーカスの白塗り顔で、気品が高くちょっといじわるな役)の千之丞という風にも見れるかもしれない。こういう作品を海外のクラウンフェスティバルに出したら、間違いなく受けると思う。道化寸劇として、最高級のレベルまで達している。
最後の「唐相撲」は、この三代の茂山家がせい揃いしためったに見れない作品。中国に渡った日本の相撲とりが、望郷の念にとらわれ、帰国を帝王に願い出る。それならもう一度相撲をとってみろということで、次々に中国の相撲取りが挑戦し、投げ飛ばされ、最後には帝王自らが挑戦して、やはり負けてしまうというたわいのないストーリーなのだが、見どころは多い。まず中国を舞台にしているので、セリフがでたらめな音だけで自立したものになっているので、その面白さがある。それと相撲をとるということで、身体の動きでおかしさを見せてくれる。それが普段見る狂言の作品とはちがっている。
野村家の同じ作品を見たことがあるが、その時は京劇の役者などもつかい、スピーディーなアクロバットを随所にはさんでいた。
茂山家は、若い役者さんを中心にアクロバッテックな動きに挑戦している。身体芸のアラベスクとでもいえるような、個々で工夫した動きをしている。中心となる日本の相撲取り、帝王、そして行司をかねる通辞を、茂山家の二代目にあたる中堅どころが、きちっと演じ、若手が挑戦する相撲取りを演じ、千作、千之丞が、控えにまわるという、いまの茂山家の層の厚さを見せつけている。
久しぶりに大笑いして見、気持ちのいいまま会場を後にすることができた。ぜいたくな笑いの世界を堪能させられた。


2002年2月12日 火曜日 11:43p.m. レザーノフと日本展企画書について

掲示板にも書いたのですが、今日アップした石巻若宮丸漂流民の会のコーナにあるレザーノフと日本展の企画書に関して、ひとこと。
2004年はレザーノフが来航して200年という記念すべき年になります。この年にレザーノフと日本(仮称)展が開けないかと、思いついたのですが、あれこれこんなものが見たいなあとか、いろいろメモッているうちに、だんだんマジになってきました。そしてこれはできるかもしれないと、思うにようになりました。興行を20年以上生業としているとこんなことだけは目先がきくようになるのです。
ひとつは日本とロシアの両方でやるということに意義あるということです。日本とロシアの正式なつきあいは、このレザーノフの来航から始まっているのですが、必ずしもいい結果にならず、その後の日露関係を象徴する出来事としてとらわれている観があります。もういちどこの史実を振り返る、しかも日ロで開催することで、その意義が増すことにはならないでしょうか。
もうひとつはここに掲げられている予定展示物は、まだ発見されていないものがたくさんあります。それを日本とロシア両国が探すということに意義あるのではないかと思うのです。
興行は確かに20年間以上やってきてますが、こうした展覧会ものはやったことがありません。ノウハウはまったくありません。(キッパリ)でもいままで善六をテーマに、ラジオドキュメンタリーをつくるなかで、さらには岩波文庫から出した「レザーノフの日本滞在日記」を翻訳するなかで、出会った人がたくさんいますので、そうした人脈をたどりながら、さらには今回の石巻若宮丸漂流民の会の設立に参加していただいたたくさんの同志の力を借りれば、なんとかなるのではないかと思っています。
とりあえずは、企画書をつくることからはじめ、主催者となるべき団体への働きかけ、実行委員会の設立までを視座において、進んでいきたいと思います。
どのくらい資金がいるのかなどは、いまのところ皆目検討がつきません。
ただこう思った以上、是が非でもやりたいと思っています。
みなさんのお力をおかしください。


2002年2月11日 月曜日 11:06p.m. ダイバーさんカフェクマご来店ありがとうございます

やっとカフェクマにお客さんがやってきてくれました。
ダイバーさんご来店ありがとうございます。
アトランタのオリンピックの開会式で話題を呼んだのは、ロケットマンでしたね。確かにあれはあれで衝撃的でした。
この前だれかと話していたら、あの直後競艇のビックイベントで、当時日本船舶協会の会長だった笹川が、あのロケットマンを呼んで、実演させたことを知りました。
4年に一度(いまは2年に一度)開催されるオリンピックの開会式は、確かにどんな演出でみせるかということで、注目されていると思います。最近は特に演劇性よりも、パフォーマンスを取り入れたもの、いわばサーカス的なものがよくみられるようになりました。
2年前のシドニーでも、スティルツ(高足)や空中ブランコなどを取り入れたショーをやっていました。
私もオリンピックの開会式は、その意味でいつも注目してみています。
ダイバーさんが書いているように、総合芸術という観点で見るなら、見逃せないものになっています。
その意味で、フランスのアルベールビルの冬季オリンピックの開会式や閉会式のセレモニーは、衝撃的でした。
モダンダンス、パフォーマンス、さまざまなオブジェが一体となってまさに劇的空間を彩りました。
早稲田でサーカスの授業をやっていた時、このビデオを学生にみせたら、口あんぐりでみていました。
会場の巨大な空間をどうつかうのか、マスとしてアーティストをどうつかうのか、奇抜なアイディアと、綿密な計算が見事にマッチしていました。
たぶんあれから、サーカス的な要素をこうしたセレモニーでつかうようになったのだと思います。
大事なのは、サーカス芸を利用するということではなく、サーカスのことをしっかり知らないと、あのような空間は使えないと思うのです。
その意味であれを演出したドゥフクレは、たいした奴だと思うわけです。
是非あのオリンピックのビデオを見てください。きっと驚かれると思います。
またのご来店お待ちしてます。クマ

2002年2月11日 月曜日 1:26a.m. アトランタ五輪開会式と私

 はじめましてダイバー(学生)です。
 最近・・・サーカスの勉強はじめ、本とか読んでます。来日予定をチェックすべくいろんなサイトを飛び回り、サーカスに関係する事で何かできる事はないかとジャグリングをはじめました。といった感じの学生なんですが・・・
 記事に「オリンピックの開会式」についてでたので「私の思い出話」なんぞ書いてみました。私が幼い時、アトランタ五輪の開会式を見て正直面食らいました。いろんな国の人々が競技場いっぱいにあふれて一つの祭典の開催を喜んでいる光景に少しショックを覚えました(いい意味で)。式に花を添えている開会式のセレモニー(クマさんには不評でしたが)、満身にスタジアムの熱気を受けて繰り広げられるアトラクションに私は夢中になりました。『誰があれを作っているのか?』聞くと、『演劇などの総合芸術の演出家ではないか』との答え。小さい頃から空想好きだった私は、とにかく自分でいろんな物を作るのが好きでした。絵画・イラスト・工作・物語などを作ったり、スポーツも好きでした。そんな私にこの開会式は『総合芸術』を教えてくれたのです。それから何年かたった今、私は大学で総合芸術を専門としいろいろ勉強しています。最近その中の一つであるサーカスについて研究しようと思い立ち、このページにもこうしてお邪魔した次第です。
 今思うのは、五輪開会式は背負うものが普通の「総合芸術」のそれとは違うように思います。規模や予算、内容も豪華で見物だというのと、だからこそクマさんの書いたような形で世界や国家の背景をメインのスポーツよりも繁栄しやすいと思います。そういった点で演劇やサーカス見る感覚で五輪開会式も注目株だと思います。                             g009308@u-gakugei.ac.jp


2002年2月9日 土曜日 11:23p.m. ソルトレイク開会式

やはり予想していたように、アメリカこそ一番の演出に終始したセレモニーになった。
入場行進前の光と炎をドラマ仕立てのスケートショーも、内容も形式も見るべきものがなかった。
行進のあとの、アトラクションも、アトランタの時もそうだったが、どうしてアメリカの歴史をダイジェストで見せられなければならないのか。ザ・バンドのロビン・ロバートソンが久しぶりに見れたのは、ちょっとうれしかったけど・・。ショー自体長すぎるし、内容もビックスターを寄せ集めてやればいいというような、大手広告代理店がよくやりがちなものだった。ヨーヨーマとスティングのジョイントなんて、その最たるものだろう。
Too Much、それがアメリカ的なのだろうけど、そんな印象だ。
聖歌リレーの最後に、アイスホッケーの優勝チームのメンバーに点火させるというのも、アメリカの国威高揚、団結を呼びかけているようで、オリンピックという行事にはふさわしくない。
こんな調子で16日間も、アメリカイズナンバーワンを見せつけられるかと思うと、オリンピック好きの私でもいやになりそうだ。
入場行進はあい変わらず、見ていてて楽しい。韓国のユニフォームは、かなり思い切っていたが、いいのではないかと思う。あれはあれで韓国的でいいと思う。
見ていてて楽しいのは、モンゴルとかタジキスタンとかの民族色を全面に出したもの。あういうのがいいなあ。ただ音楽がひどかった。あれでは運動会の行進曲じゃないの。
10年前F・ドゥフクレを登用したアルベールビルのオリンピックのセレモニーは本当に素晴らしかった。
およそ1時間あまりのショーだったが、空間を最大限につかい、色彩もきれいだったし、随所に斬新なアイディアがもりこまれていた。リレハンメルも素朴な感じでよかった。
ソルトレイクもひどかったが、前回の長野はもっとひどかった。名前とか実績だけで演出家を選ぶと、国民性とか無理やり考えて、相撲とかインディアンとか安全パイでプロットをつくり、あとはタレントを集めてやればいいんだということになるのだろうか。
サーカスの演出家にやらせると、面白いスペクタクルなものができると思うのだが・・・


2002年2月6日 水曜日 5:19p.m. カザフサーカス奪還までいま一歩

昨日カザフサーカスのローマと電話で話す。ロシアのマフィアに2年前に奪われたサーカス場を取り戻すべく、ローマ、そして総裁のハーリックが二年間無給に耐えながら、文化省と交渉してきた。
その地道な交渉の結果、マフィアからサーカス場を取り戻すべく、最終的な詰めの段階に入っていることがわかった。
ローマは、ほぼ100%大丈夫だと言っていた。
嬉しくて涙が出そうになった。
一昨年北九州博覧祭にカザフからサーカスを呼ぶことになり、アルマトゥイに行って、初めて国立サーカス団が、本拠地のサーカス場を奪われたことを知った。以前のはなやかなだった国立サーカスのことを知っていただけにショックは大きかった。あれから2年、ハーリックもローマも諦めずに交渉を続け、そして自分たちの正当性を文化省に認めさせたわけだ。
もとはといえば文化省の役人とマフィアがつるんで、サーカス場を国立サーカス団から奪ったものである。自由経済への移行にともなう、混乱に乗じたわけだ。
働き場を失った多くの芸人たちが、マフィアの元に去っても、国立サーカスには、サーカスを、そしてハーリックを愛する芸人が何人か残った。彼らは映画館や公民館のようなところでショーを見せながら、薄給に耐え、いつの日かまた、サーカス場が取り戻せる日を夢見て、がんばってきたわけだ。
一昨年アルマトゥイを去る時、ローマの家で、こうした芸人たちが集まりお別れパーティーをしたとき、私は、サーカスをビジネスマンに渡してはいけない、サーカスはサーカスを愛する者たちのものだ、そのためにもう少し頑張ってくれとスピーチをした時、泣いていた芸人がいた。ハーリック、そしてローマ、そして残った芸人たちは、ついに不可能だと思われたことを実現してしまったのである。
素晴らしいやつらだ。
ハーリックが晴れて、サーカス場に戻る時、私もその場に立ち会いたい。そう真剣に思っている。もう少しなのだ。あと一歩でサーカス場を取り戻せるのだ。ほんとうに素晴らしいやつらだ。

2002年2月2日 土曜日 4:42p.m. 学生のレポートを読む 

去年早稲田大文学部の『ロシア芸術の現在』という授業で、サーカスやクラウンをテーマに4回授業をした。そのレポートが届き、二日かけて45本のレポートを読むことになった。
テーマは、あらかじめ渡しておいた文献資料目録や、サーカス映画のリストの中から読むなり、みるなりしてサーカスやクラウンを語るか、ボリショイサーカスか猫サーカス、レ・クザンを見て、サーカスを語るという課題だった。ずいぶんといろいろみたり、読んだりして書いた生徒が多かったのにちょっとびっくりした。
傾向としては、フェリーニの『道化師』や『道』をみて、道化を語る学生が3分の一ぐらいいたことだった。映画をみて、それからフェリーニの書いたものを読み、彼がいうホワイトクラウンとオーギュストの対立に興味をもったひとが多かった。クラウンの中に、陽気なのにもの悲しいイメージを見るひとも多かった。フェリーニは、この対立の中に人間の普遍的なものを見つめているわけだが、それに惹かれて道化師を語りたくなったのかもしれない。
それとサーカスを最初に見た印象で、怖かったというのも結構多かった。フェリーニの『道化師』の冒頭シーンで、なにもない空間に突然なにか現れたことで、泣きだす子供が出てくるが、あれと同じものを感じたという。
苦行になるだろうが、読んだほうがいいよと授業で言った、バフチンの『ラブレー論』に挑戦した学生がふたりいた。学生のうちにしか読めない本があると思うのだが、この本は学生には難解なのはわかっているが、挑戦する価値はある。全部理解できなくても、世界に広がる窓がたくさん用意されているからだ。果敢に挑戦した学生がいたことにちょっと感動した。
何度か吹き出してしまったのもあったが、成人式のお祝いに、ボリショイサーカスを見に行って、その感想を書いた女子学生のレポートには、笑った。成人式のお祝いにサーカスを見るなんて素敵ではないですか。彼女はお祝いをさらにグレードアップさせて、象と記念写真まで撮っている。
いまの学生はやる気がないとか、という話はよく聞くが、そんなことはない、やる気を感じさせるレポートが多かった。今年もこの授業をやるわけだが、また楽しみになってきた。


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