月刊デラシネ通信 > その他の記事 > クマの読書乱読 > 2002年7月-2
29才で亡くなった将棋界の怪童村山聖の生涯を追った力作評伝。作者は、将棋連盟に入り、「将棋マガジン」編集部に在籍していた当時に、村山と知り合い、相談相手になっていた。作家としてのデビュー作が、この評伝となった。その意味では、いろいろな思いがこめられた評伝なのであろう、熱いメッセージがひたひたと伝わってくる。
なにより小さい頃から重い腎臓病を抱え、死を身近に感じていた村山の、命がけで将棋を指すひたむきさ、さらには死が身近にあったからこそ、あふれでる命あるものへの慈しみ、それが胸を打つ。
自分の命に限りがあることを知っていたがゆえに、名人になるために命がけで勝負に挑む青年を見守る師匠森信雄や家族、さらにはライバルたちとの交遊も丁寧に描かれている。これにより彼が怪童だっただけでなく、恋や旅に憧れる若者であったこと、そしてだからこそ痛烈に生きたいと願っていたことを、教えてくれる。
きっと作者のなかでは、将棋界にこんな凄い青年がいたということだけでなく、こんな純粋に生きた若者がいたということを伝えたいという思いがあったのだろう。この伝えたいという作者の思いが、見事に結実した。だからこそ読んだ後、さわやかな気持ちにつつまれるのだと思う。
評伝は、その対象とする人間の魅力を伝えることが、第一なことはいうまでもない。ここで作者は、それに徹しながら、自分との接点をさりげなくエピソードとして織りまぜることで、さらに印象深い傑作をものにすることができたのだろう。
エピローグで作者は「私の心の中にはいまも村山聖が生きている」と書いているように、この思いがあったからこそ書けた傑作である。評伝を何冊か書いている自分にすれば、正直言ってやられたという思いもしているし、ちょっとジェラシーを感じてもいるのだが、これはまぎれもなく評伝ノンフィクションの傑作であり、是非多くの人に読んでもらいたい珠玉の一冊であることは間違いないのである。
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