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クマの観覧日誌

チュルタギを韓国で見る

場所 韓国・安東(アンドン)市
    第3回国際仮面劇(タルチュム)フェスティバル・メイン会場
日時 2000年10月4日 午後4時からおよそ50分
出演 金大均(キム・デギュン)、チュルタギ保存会


 私がわざわざ韓国まで行って、伝統芸のひとつチュルタギを見ようと思いたったのは、『アジアの大道芸』という本の中で、筒井博人さんが書いたエッセイ「漫才師が宙に遊び、歌う」を読んだことが大きい。
 綱渡りは、いままでサーカスでたくさん見てきたが、このエッセイを読んで、チュルタギは、スリリングというよりは、ぬくもりの感じられる芸ではないかという気がしたのだ。筒井さんはこのエッセイのなかで「綱の上では風をつかむ感覚が大事なんだ」という金さんの言葉を紹介している。
 風をつかみ、宙に舞う金さんを実際に見てみたいと思った。そして金さんと話がしたかった。
 第3回国際仮面劇(タルチュム)フェスティバルというまさに、「ハレ」の場でチュルタギを見れたのは、幸運だった。

 木の杭を交差させたものが、両端にセッティングされ、その間に太い綱(太さ5センチぐらい)が張られている。この綱の長さは、12メートル。今日は場所の関係もあり、高さを2.5メートルにしてあるが、通常は3メートルの高さでやるという。この12メートルの綱を両端からアンカーをとって支えることになる。アンカーは地面に鉄杭を打ち込んである。それぞれ両端に10メートル傾斜したかたちで、綱がアンカーに結びつけられている。
 後方で、四人の楽隊(太鼓、横笛、縦笛、胡弓のような楽器)がおもむろに演奏をはじめる。ここで金さんが観客の前に姿を現し、客に挨拶し、遠巻きに囲む客たちを近くに集め、円形の場をつくはじめる。金さんの衣装は、パンチョゴリという白い韓服の上下、脚絆に、草で編んだチョリプという帽子をかぶり、右手にアズキ色の扇を持っている。
 綱の下にはむしろが敷かれ、杯と酒瓶、リンゴが積み重ねられた卓袱台が置かれてある。丸く観客が座りはじめた頃をみはからって、金氏はおもむろにこの卓袱台の前に座り、祈りを捧げる。
 これは、「チュルゴ辞」と呼ばれているもので、公演の成功を天地神明に祈り、チュルタギを演じてきた、先輩たちひとりひとりにおくる祝願の言葉で「今日の公演が、どうかよい公演になりますよう、見守って下さい、そしてここにいらした家族が常に笑顔につつまれますように、心からお祈り申し上げます」と締めくくられる。
 そして交差した木の杭とその間の地面に酒を撒き、さらにはお客さんのひとりに杯をわたし、金さん自ら酒をつぎ、りんごも観客に配られる。ここで卓袱台とむしろが片づけられ、いよいよ演技の開始となる。
 ここまでおよそ10分間ぐらい。この間、そしてこれからの演技の間、楽隊はずっと演奏を続ける。
 まずはアンカーから交差した杭のところまで傾斜した綱のうえを登るところから、チュルタギの演技が始まる。あとで金さんに聞いたところによると、43種類ほどの技があるということだが、今日はひざだけで歩いたり、摺り足で歩いたり、ジャンプしたりする技をここでは、30種類ぐらい見せてくれた。
 圧巻は、太綱の弾力性を生かしての跳躍技、お尻で反動をつけて、ジャンプする技、青空の中に白装束が吸い込まれていくようにジャンプする時は、思わずアッと歓声をあげてしまった。
 サーカスの綱渡りと違うのは、サーカスの綱渡りがほとんどワイヤーをつかっているのに対して、太綱をつかっていることによって、その弾力を生かした演技が目立つことである。お尻や、足を大きく開いたまま股で、また膝で反動をつけてジャンプする技は、ワイヤーをつかった綱渡りではあまり見られない。
 この跳躍の技は、タイトロープで見られるようなスリリングさはないが、気品があるというか、これは白装束のせいもたぶんにあると思うのだが、優雅な舞を見ているような感じがする。綱をつかっていることで、しなやかな跳躍を見せることができたのではないだろうか。
 こうした技は連続して演じられるときもあるが、ほとんど合間に金さんのしゃべくりが入る(金さんはワイヤレスマイクをつけている)。このしゃべくりが、ほとんど即興で語られているところが、このチュルタギの最大の面白さなのだと思う。たとえば綱の真ん中でひとつの技を演じたあと、座った状態になった時に、ほらカメラをもった方、いまがシャッターチャンスですよとポーズをとったり、股でジャンプした時は、客席からおちんちん大丈夫かと声がかかる、その時も股を少し握って、大丈夫大丈夫、まだついていますと応じたり、その場の雰囲気で客とやりとりをするところが、サーカスなどでみる綱渡りとはまったくちがう雰囲気を醸し出している。
 さらに演技中には、太鼓(チャンゴ)のソロ演奏があったり、それを綱の上でみている金さんが茶化したりとか、楽隊とのやりとりもある。私は言葉がわからないので、笑うことができなかったが、こうした楽隊や観客とのやりとりに客席から絶え間なく、笑い声がまきおこってくる。
 また途中綱の上で歌も披露してくれるのだが、これもいい声で、聞かせてくれる。
 最初は言葉がわからないだけに、このやりとりがもどかしくて、もっと連続してやればいいのにと、イライラした時もあったことは事実だが、逆にこれがチュルタギの魅力であり、このやりとりを省いてしまうと、チュルタギではなくなるのかもしれない。
 日本でチュルタギを実際にプロデュースする時に、この即興の語りと、観客とのやりとりをどうやって見せるのか、これが結構問題にはなるだろう。技を連続してスピーディーに見せるだけでも、エンターテイメントとして通用するとは思うが、チュルタギの面白さである即興の話術を、なんとかとり入れたかたちで、日本でも見てもらいたいと思う。金さんはアメリカやフランスでも公演したことがあるということだが、フランスでは同時通訳がついたというし、アメリカでは一部のセリフを英語でやったりもしたという。なにか工夫したい。
 最後は、お尻で反動をつけてジャンプし、空中で旋回して、綱の上に着地、さらにジャンプして、足を大きく開脚してまた、綱の上に着地、と何回も連続技を見せてくれた。鮮やかな芸である。
 チュルタギは、マダン(広場)ノリ(芸)と呼ばれているように、まぎれもなく、大道芸であった。広場で円座になり、観客と一体となって、演じ興じる、これがチュルタギの魅力なのだ。

 チュルタギの歴史は、1300年前の新羅時代に遡るといわれる。金さんは、9才の時見たチュルタギの名人金永哲(キム・ヨンチョル)さんの芸を見て、虜になり、以来チュルタギを血のにじむような稽古をしながら、学んできた。
 ソウル郊外にある民俗村で、ずっとチュルタギを演じていたが、その時は楽士たちも含めて七人編成で仕事をしているのに、一人分のギャラしかもらえなかったという。こんな苦しい生活をしながら、このチュルタギを守っていきたいという執念のような気持ちは、楽士たちにも伝わってきた。そこで五年前に、この仲間たちとチュルタギ保存会を結成することになったという。
 そして金さんたちの活動は政府にも認められ、いまでは少しではあるが補助金ももらっているという。さらに今年、無形文化財58号の認定を受けている。今年までは50才以上だった規定が30代まで引き下げたことによるものだが、それにしても32才という歴代最年少の若さでこの栄誉を授けられたのは、彼の地道な活動が高く評価されたのだろう。
 保存するだけでなく、新しい血も注ぎながら、チュルタギという芸を守り、育てていきたいとのが、金さん、そして保存会のメンバーの願いである。
 そしていま彼らが抱いている夢のひとつは、2002年に南北朝鮮を分ける38度線で、国際綱渡りフェスティバルを開催することである。
 エリア・カザンの映画『綱渡りの男』は、チェコの国境を舞台に、国境を越え、西側に逃げようとしたサーカス団の話を描いたものだったが、金さんたちは、これとは逆に国境を越え、民族統一の願いを実現しようとしている。21世紀の『綱渡りの男』金大均は、大きな夢をもち、青空に向けてジャンプしようとしている。この夢が実現できるように、応援したいと思っている。


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