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クマの観覧雑記帳

KOYO YAMAMOTO MIME LIVE 「MONO PLAY/LIVE 2」

観覧日 2001年7月10日午後7時半
場所   新宿・シアターブリッツ


 5月に引き続いての光洋の新作ライブ。光洋が確実に変貌を遂げているそんな手応えを感じさせた公演だった。個人的には、5月に演じたネタの方が、インパクトが強かったし、練られていたように思う。今回はひとつひとつのネタ自体、散漫な感じがした。
 モノプレイと題した今年の新作ライブは、モノと戯れるなかで、マイムだけで演じ続けるなかで、袋小路に陥った感がする光洋が、ひとつの可能性を求めた公演だったと思う。その意味ではモノプレイは、光洋にとっては実験の場であり、模索の場であったはずだ。モノと戯れる、あるいは見つめ合うことにより、ひとつの作品にオチを求め続けていたその創作方法から、抜け出す意味を持っていたのが、モノプレイだったと思う。モノを見つめ、モノをつくり、モノと動き、モノを動かす、そして自分も動く、そんな作業の積み重ねのなかから、きっと何かを見いだしたのではないかと思う。
 それは表現にとって、一番大事なのは、自分の肉体であったということではないか、そんな気がする。
 5月の公演では、光洋のひとつの特徴であるアイディアの閃きみたいなものが、随所に見られたのに対して、今回の公演では、そのシャープな肉体の動きに見るべきところがあったように思える。モノとの対話を通して、光洋の身体が、輝きを取り戻したといえるかもしれない。
 その意味で自らがマリオネットに扮してのマイムは、絶品だった。オチはなかったが(もしかしたら本人にとってはあったのかもしれないが)、あえてオチをつくるところにもっていかず、マリオネットに扮して動くところを見せたいというところに、今回の実験のひとつの成果が見られたのではないかと思う。
 モノと戯れることは、あくまでもひとつのプロセスであっていいはずだ。本人は公演後、もう遊べるようなモノは、回りにないすっよ、と言っていたが、確かにこのまま、モノと遊ぶことにこだわることはない。モノとの対話から生れた、表現の可能性を、さらに膨らましていくことが大事だと思う。
 また次回、どんなライブを見せてくれるのか、楽しみである。
 前回も共演していた加納真美が、いい味をだしていたように思える。12月に初めてのソロをやるとのことだが、ちょっと楽しみになってきた。


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