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クマの観覧雑記帳

鳥肌実時局講演会

観覧日    2004年9月24日
会場      九段会館
出演      鳥肌実
公演時間   90分


 武道館を満員したカルト的人気を誇る鳥肌実初体験。確かに90分間ひとりで、なんの演出もなくただひたすらしゃべくり倒す、そのパワー、エネルギー、たいしたもんである。筋金入りの芸人さんであると思う。ただ初体験だけでいいや、あと見ることはないだろうなあ、それが正直な感想である。
 この人の場合、自分を右翼に見立てている、というかそういうキャラをつくっている。これは時局をネタにするとき、とてもわかりやすいと思う。冒頭で延々とやっていた池田大作、創価学会への批判にしても、右翼の視点というのをはっきりと出しているから、揶揄がはっきりと理解される。この問答無用さ、これが鳥肌の魅力なのだろう。今回とりあげていた、北海道でのロシア船員の傍若無人ぶりと北方領土返還、参議院選挙での辻元の出馬、サッカーのアジアカップでの中国人の反日活動など、右翼という立場をはっきりだしているから、とても伝わりやすい。それと右翼のキャラを生かしながら、実は本音のところでは日和見、すぐに逃げ出してしまう、それもはっきりと出している、それが受け入れられているところなのだ思う。つまり批評がないのである。右翼というフレームを最大限生かしながら、笑いの世界をつくる、それに徹しているところが、実は鳥肌のすごいところなのだと思う。だからアンダーグランドなのだが、これだけ集客できちゃうのだろう。
 時事ネタを題材にしている東京ニュースペーパーの客と、まったくちがう客がここに集まっている。それは、ネタの中味に期待しているのではなく、外見、ふり、右翼という仮構性、そしていかがわしさ、しかもどぎつい下ネタを織り込みながらのトーク、その中に客はあるファッション性を見ているのではないだろうか。そんな気がしてしようがなかった。
 鳥肌にとって大事なことは、とりあげているネタの中味ではなく、つまり時局に対する自分の批判をどれだけつっこんで表現するかというのではなく、どう自分のキャラのなかで、表現することなのだろう。
 例えば、ダメじゃん小出にしても、元気いいぞうにしても、池田大作ネタはよくつかっている。ただアプローチが真面目なのである、自分の批判を先に出してくるのである、鳥肌は、徹頭徹尾そんな自分自身の批判を見せようともせず、ただひたすらに右翼という立場からだけで、断罪するのである。極言すれば、批判には真剣でないのである。
 見て良かったと思っている。鳥肌という芸人のパフォーマンスを初めてみたことにあるのではなく、ここに集まった多くの観客と出会えたからだ。
 時局講演会と題された公演に、かくもたくさんの若い人が集まっているのは、何故なのだろう。明らかに小出の客とも、ニュースペーパーの客ともちがうし、元気いいぞうともちがう。秘かなる笑いの世界を求めている若者たちは、テレビでは絶対見れない笑いの世界、禁断の世界を共有したいと思って、会場に集まっているのではないだろうか。
 花王名人劇場で、お笑いブームをつくった仕掛け人澤田隆治が、最近のお笑いブームについて、「笑いは進化しているが、観客は退化している」とある新聞のコラムで書いていたが、鳥肌実を熱狂して受け入れる客を見ていると、なるほどなあと思ったりもしている。
 もしかしたら鳥肌のすごいところは、観客の退化をきちん見極めて、ネタをつくっているところにあるのかもしれない。


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