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金倉孝子シベリア紀行第二弾
『クラスノヤルスクからイルクーツク汽車の旅』

 デラシネ通信8月号に投稿していただいたクラスノヤルスク在住の金倉さんが、今度はクラスノヤルスクから、イルクーツクまでの汽車の旅をした時のエッセイを書いてくれました。タシケントを出発した国際列車に乗っての18時間あまりの旅、車内でのにぎやかな交流などが生き生きと描かれています。


クラスノヤルスク−イルクーツク汽車の旅

2002年3月11日から16日
金倉孝子
(kanakuta@krasmail.ru)

 クラスノヤルスクからイルクーツクまではシベリア鉄道で18時間ほどでいけます。ウラジオストックまで4日間半もかかるのに比べて、あっと言う間の距離です。それで、2等車のコンパートメントの寝台車ではなく「仕切り無し蚕だな大部屋」の3等寝台車のチケットを買いました。チケットには列車の出発は、モスクワ時間、3月11日20時40分と書いてあり、時間的にもまずまずでした。クラスノヤルスク時間0時40分(モスクワとの時差が、つまり4時間)に間に合うよう駅に行って初めて分かったことですが、それはウズベキスタンの首都タシケントからイルクーツクへ向かう「国際列車」でした。ウズベキスタンは昔はソ連構成15共和国の1つで、ソ連崩壊後も、ロシアとよい関係にありますが、一応、外国です。ロシア人や、ウズベキスタン人はビザ無しで行き来ができます。
 タシケントの列車はきれいではないと言うことは知っていました。でも、ここまでとは思いませんでした。列車と言えば交通機関だと思っていましたが、タシケント発の列車は、その常識を覆すものでした。普通は寝台車の寝台は「一人の人」が「寝るため」にあるのですが、この列車は違います。

車中の物売りのウズベク人女性 クラスノヤルスクにその列車が到着したのは夜中でした。中に入ると、1つの寝台に何人もの人が座っていたり、1つの寝台に2人の大人が寝ていたり、ただ、大きな荷物が乗っていたりしました。
 確かなことは、寝台の数より乗客の数がはるかに多いということです。私のチケットには、もちろん寝台の番号(下段の方をわざわざ買った)が書いてありすが、すでに、ウズベック人女性が2人占領していました。3人で寝るということもあり得ます。列車が発車して暫くして、ぽっちゃりしたウズベック人の車掌が来ましたので、
「この寝台は、私ので、ほらここにちゃんと番号が書いてあるでしょう、この人たちに退くように言って下さい」
と頼みましたが、思っていた通り、そのウズべック人女性は、
「私は、タシケント出発からずっとここにいるのよ。」
と知らん顔。丸顔ウズべック人の車掌も
「チケットはチケット。ここでは別の決まりがあって、すべては車掌が決めるのです。あなたは、こちらの方で寝て下さい」
と少し離れた上段の寝台をさしました。そこにはウズベック人のおじさんが熟睡しています。
「今この人を起こして退かしますから。」
と言われました。その上段でもよかったのですが、でも、私のチケットの番号は下段です。下段ですと寝台の下に、オーバーや自分の荷物を置けますが、上段ですと、置くところもありません。下段の方がずっと便利です。それで、
「いいえ、それでは、困ります。」と食い下がりました。「私はわざわざ下段を買ったのです。上段に寝るのは怖いのです。1度落ちたことがありますから」
と、実はデタラメを言いました。何でも口実があればいいのです。
「落ちるから、私は絶対に上段にはいかないわ。ここが私の場所なんだから、他の人を退かしてちょうだい」
と、もう喧嘩腰で言いました。すると驚いたことに、そのウズベック人車掌はあっさりと承知して、私の寝台を占領していた女性を退かしてくれました。
 そのせいかどうか、シーツ代として、普通の値段の3倍(200円)も請求されました。ウズベック人乗客は70円くらいでシーツをもらっています。でも、130円で、事がおさまったったとすれば安いものです。丸顔さんも少し儲かったことですし。
 その夜、上にも下にも横にもぎっしりと置かれているウズベック人の荷物が落ちてこないかと心配しながら、何とか寝ました。

 次の日は、寝台の上にもテーブルにも、市場の売り台のように、いろいろの商品が並びました。駅につくと、大きな鞄を持ったバイヤーが乗り込んできて、それら商品を卸値で買っていきます。停車時間が20分30分の大きな駅ではウズベック人が、プラットホームに自分の商品を並べます。列車の移動中、他の車両からバイヤーが来て、買っていきます。バイヤーが通る度に、私の向いのウズベク女性が
「女性用下着はいかが?」
「綿の部屋着は、安いよ」
「この靴下はいい品質だよ」
と声をかけています。なるほど、上段では商売がしにくいです。寝台に並び切らない商品はヒモに吊るしてぶら下げてあります。ウズベキスタンは物価が安いので、それを持てるだけ持って列車に乗り、4、5日かけてイルクーツクヘ行く途中で売り捌き、そのお金で、イルクーツクでは安いがウズベキスタンでは高いと言う物(例えば、チョコレート、ビスケットと言ってました)を買って、同じ列車で、戻って来るのです。
 夏、ウズべキスタンなど中央アジアでは果物や野菜が安いので、それを大量に北国ロシアに運びます。バイヤーではない一般のロシア人でさえ、中央アジアから列車が着く頃(通過する頃)、駅のプラットホームに行って直接、安く買ったりします。

クラスノヤルスク−イルクーツクの列車

 昨夜は、私が「寝台を明け渡せ」だの、「荷物を退かせ」だのと喧嘩腰で話していたウズベック人達でしたが、実はみんな愛想のいい人たちで、朝になると、目があえばにっこり微笑んでくれます。お互いにはウズベク語で話していますが、わたしとは、ロシア語で話しました。
 ウズベキスタンはイスラム教の国ですから、一夫多妻です。妻達は夫の家で一緒に暮らし、2人ほど妻があるのが一般的だそうです。彼女の夫は失業中なので、妻は(一応)一人しかありません。ウズベキスタンでは多くの工場が倒産状態で失業者が多く、この列車のほとんどの乗客のように、個人的な国境貿易(買った=売ったの運び屋)をやっているそうです。最近、国境の税関が厳しくなったので、需要は大きいが税率の高い果物などは避けて、衣料品を中心に運んでいるそうです。途中通過するカザフスタンで、安い中国製の衣料品を買い足すのだそうです。失業中の夫がこの「運び屋」をやらないで、女性がやるのは、その方が税関を通りやすいからだそうです。泣いたり、叫んだりすれば、少しぐらいの違反には目をつむってくれるとか。なるほど、車両内のウズベック人は半分以上が女性です。わずかな男性は上段で寝ています。

 一人のウズベック人男性が起きてきて、私に、「日本人はぶたを食べるか。」と聞きました。
「もちろん食べる。」と答えましたが、すぐ、イスラム教徒の人たちは、ぶたは不浄な動物なので食べないのだと思い出しました。(彼は日本人にぶたを売って、日本の優秀な電気製品を買いたいのだそうです)。
「ぶたを食べるウズベック人もいるのよ。私は絶対に食べないけどね」と先ほどの女性が顔をしかめながら言ってました。
 知り合いになったのですから、彼等の安い綿製品も少し買いました。せっかくですから、首都タシケントや、古都ブハラ、サマルカンド、コーカンドのこと、征服者チムールのこと、ついでに、ウズベク語も少し教えてもらいました。

 タシケント発イルクーツク行き列車は、そんなわけで、ロシア人はめったに交通機関として利用しません。時々、やむなく乗り合わせるはめになったロシア人は、あきらめて、小さくなって上段に寝ています。
 夕方遅くなってイルクーツクに着いた時、ほとんどのウズベク人は降りようとしませんでした。もうイルクーツクの卸売り市場や工場は閉まっているので、イルクーツク製品を何も買うことなく、この列車で又タシケントに帰るのです。帰りの駅駅で又商売ができます。昨日のぽっちゃりウズベク顔の車掌さんが、
「この列車はどうだったかね」と聞くものですから、
「おもしろかったわ。さようなら」とちゃんとウズベク語で答えました。
 確かに面白かったです。でも、「贅沢な」旅になれた日本人にはすすめられません。車内はとても汚れています。ウズベキスタンの列車にくらべれば、ロシアの列車は豪華ホテル並です。

 1月のモスクワ旅行の時、シベリア鉄道では、トイレに苦労しました。駅に停車中やその前後2、30分はトイレが使えないよう鍵がかかるのです。
 でも、タシケント列車は、鍵なんて壊れていて、いつでも使えます。でも、自分が使う時は、、、
ちょっと戸惑いましたが、長い手をのばして、ドアを押さえていればいいです。 

 イルクーツクには4日半いました。ホテル代が1泊4000円と高かったので、副知事に頼んで割り引き料金にしてもらいました。もちろん彼の方から「何か御希望は」と聞かれたからなのです。イルクーツク州と石川県は35年来の姉妹都市で、その副知事が昔まだそんなにえらくなかった時、よく金沢に来て、中古車を買っていきました。その時私も通訳をしたらしいです。私が今回イルクーツクに来たのは、その姉妹都市の日露協会の関係で、日本語教育などの調査に来たのですから、イルクーツク州庁管轄ホテルの宿泊料を安くしてくれても、いい訳です。割り引きは15%でしたが、何でもいってみるものです。


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