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もうひとつの「虚業成れり」物語

第8回 虚人魁人−康芳夫

 「虚業成れり」の取材で、会って話を聞くのが、一番楽しみであり、またその反面怖くもあったのが、康さんだった。なにせ相手は、オリバー君やら、ネッシーやら、アリやら、猪木やらと、伝説に残るさまざまな興業を仕掛けてきた人である。会う前はかなり緊張していたと思う。
 会ってすぐにまた緊張することになる。こちらが取材している立場なのに、逆に質問攻めにあうことになったのだ。
「なにやっているの? 大川のところで働いて、それからいまは何している? どんなもの書いているの?いままでどこの出版社から本出してるの?今度の本は? えっ、岩波、なんでまた?」
 こんな質問をたて続けに浴びせられた。ひとつひとつ丁寧に答えようとするのだが、途中からまた違う質問を受け、あたふたしたものである。これが康さんの手なのだと思う。初対面の男の品定めを、クールな目でしていたのである。実にクレバーな人だというのが、最初の印象であった。
 この質問攻勢をしのいでやっと神さんにまつわる話をじっくり聞かせてもらうことになった。神さんに一目おいてはいるが、あくまでもパートナーとして一緒に仕事をしてきた関係であり、それ以上のものではない、つまり神さんのことを師匠などと思うことはまったくない、そんな自負が感じられた。

 今回出版された康さんの自伝「虚人魁人」の中で書かれている神さんとの関わり合い、というか一緒に仕事をしたアートフレンド、そしてアートライフ時代のエピソードの多くは、この時聞かされたことばかりだが、その多くは「虚業成れり」のなかでは書かなかったことである。
 インディーレースの時の金集め、平野義子との出会いを演出したこと、さらには平野の兄が勤めていた日光輪王寺から莫大な金をひき出したこと、アラビア魔法団のインチキ、モハメッド・アリの日本での試合のこと、マイルス・デービスの査証がおりなかった裏話など、お前が書かないのなら、俺が書いてやるといわんばかりに、「虚業成れり」で触れなかったことを、次々に暴露している。当事者自らが語るわけだから、迫力が違う、「お前さんの『虚業成れり』は、俺の前座みたいなものよ」と言わんばかりである。ある意味痛快きわまりない本である。
 「虚業成れり」で触れなかったのは、あくまでも神さんのことを追いかけた本であり、康さんのことを書くことが目的ではなかったからだ。「虚人魁人」でこれだけ康さんがあからさまに語ったのは、「虚業成れり」を読んで、触発されたことがあったのではと思うところもあった。それも痛快であった。あの康さんを触発したかもしれないという意味である。
 この取材からしばらくして何度か電話をもらった。神のことで言い残したことがあるから、話しをしたいのだが、都合はどうだという内容だったのだが、この年は地方出張が多く、電話を受取ったのは東京にいない時ばかり、すぐに会おうといわれても無理だった。結局会えたのは、ほぼ原稿を書き終えたあとのことである。

「書くのは君の問題だから、これから僕が話すことをどうするかは、君が決めればいい。書く、書かないかは君の判断にまかせるのだけど、ふたつ言い残したことがあった。ひとつは、神を教祖にしようと思ったんだよ、新興宗教とかじゃなくてだよ、あいつを教祖にしたら面白いと思ってね、でもダメだった。こっちの真意をわからなかったのだろうね。もうひとつ、「血と薔薇」。あれはね、最初立花隆を編集長にしようとしたんだよ。このふたつ、これが言いたかったんだよ」

 本が出てからも、何度か電話をもらった。「よく書けていたんじゃない」というあたりさわりのない感想のなかで、康さんは常に評価を気にしていた。「評判はどう?」と。いま思うと「虚人魁人」という今回の本を出すための、布石だったようにも思える。康さんという人は、そこまで冷静で、怜悧な人なのだ。
 今回の本を読んで、この怜悧さをとても強く感じた。それは康さんにとって、興業を成り立たせる重要な存在である客への態度に見られる。スキャンダルめいた人騒がせなことはするし、マスコミもこぞってとりあげる、それは客を呼ぶためというよりは、自分が楽しむための手段なのである。自分が楽しむために、客に目撃者となってもらおうとしていたのだ。これが康芳夫という興行師の最大の狙いなのだと思った。

 モハメッド・アリの試合を日本ですること、これは康さんにとって大きな幻だった。この試合自分も見ていたが、まれに見る凡戦であった。しかしテレビを見ていたら、終了後リングにあがってアリに抱きつき、長髪の中国服を着ていた男が、なにか興奮してわめいているのを見て、ちょっとしらけてしまったことをよく覚えている。それが康さんだった。
 康さんにとっては、試合の内容なんてどうでも良かったのだと思う、これを演出できた、そのことが大事なのである。観客なんかいなくてもいいのである。これを実現させること、その目撃者として大衆が必要だったのだ。それが康流の興業だった。康さんは自分のやっていることをよく退屈しのぎといっているが、これはまんざら嘘ではないと思う。
 だましのテクニックでどれだけやるか、そこにある意味全力投球する自分が、好きなのだ。それを大衆に見せてやるというアクションがあるから、面白いし、またやりがいがあるのだ。オリバー君、ネッシーというこのこけおどしの妙、虚実皮膜すれすれのだましのテクニックが、康さんのプロデューサーとしての生き様であり、真骨頂だった。こういうところは横浜野毛大道芸のプロデューサー、嘘つき万里こと、餃子屋のおやじ福田豊に共通するところかもしれない。
 神彰は、大衆の半歩先をいくことが大事だと常々言っていたが、これは興業を成功させるための秘策であった。しかし康さんにとって大衆は、目撃者にすぎない、半歩先に行くなんてことはちゃんちゃらおかしいことだ。自分が面白がってひねくり出したアイディアを、どう現実のものにするのか、それを大衆がどう見るのか、それを冷やかに見ている、そこに康芳夫という興行師の魅力があるのだと思う。彼は、絶対に熱くはならない興行師なのだ。

 面白かったのは、「神さんのことを書き終えたら、長谷川濬さんのことをやりたいと思っています」って言ったら、「それはいい、濬さんは面白い、神なんかより、濬さんの方を書くのが絶対に面白い」と言っていたことだ。まじめに大衆にいいものを聞かせたいと思って、ドンコサック招聘に命をかけ、アートフレンド立ち上げに尽力する長谷川濬と、大衆なんか糞くらえの康さんがどこで結びつくのか、それが不思議でもあったのだが、「濬さんは面白い」と言った康さんの目は真剣だった。
 神彰は、長谷川濬のくそまじめさを胡散臭く思っていた。それは彼が追い求めた幻の原型を長谷川が後生大事に守ろうとしていたからではないかと思っている。神は、幻を実現しようとするなかで、その魂を売ってでも、実現することの大事さ、それから得ることができる名誉とか、金とかを追いかけることに命懸けになる。それなのに長谷川濬は、いつまでもその魂を大事にしていた。神が、長谷川濬のことを胡散臭く思ったのは、そのけなげなまでの素朴さが、まぶしかったからにほかならなかった。長谷川濬のそんなはかり知れない魅力の一端を、康さんは確かに見抜いていたと思う。
 やはり康芳夫という男、ただものではない。
 いま追いかけている長谷川濬のことで、もう一度康さんに会いたいと思っている。


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長谷川濬―彷徨える青鴉