月刊デラシネ通信 > ロシア > 長谷川 濬―彷徨える青鴉 > 第16回

【連載】長谷川 濬―彷徨える青鴉

第16回 長谷川濬作品紹介4 「王道夢幻」

 ここに紹介するのは、長谷川濬が「大同学院史」の編纂責任者を任じられてから、書きはじめた『王道夢幻』と題されたノンフィクションと、叙事詩の一部である。長谷川が『王道夢幻』をどうして書くことになったのかについては、本連載第15回「王道夢幻」に詳しく書いてあるのでこれを見ていただきたい。問題は、ここに掲載されている作品は、あくまでも断片であることだ。いったいどのくらいの分量のものだったのかもまったくわからない、そしてその原稿もいまとなってはどこに散逸したのはかいもくわからないのである。
 長谷川のもって生まれたおおらかさの一端をよくあらわしていると思うのだが、彼は原稿を書くと、ろくに推敲もせずに、それを送りつけ、そのあとはどうでもよくなってしまうのである。これは現在でも刊行されている、かつて戦前から長谷川が同人として参加していた『作文』の編集人秋原勝二さんにお目にかかったときに聞かされたことだが、とにかく長谷川から原稿が山のように送りつけられ辟易させられたという。下書きに近いような原稿なので、読めなかったりするところもあり、ちゃんと読んで、本人にも確認しなくてはと思っていると、また原稿が送られてくる、そのうちに原稿が山のようになってしまうのだという。そんな原稿がたくさんあるという。秋原さんは、私と会ってから、こうした原稿の山(それでもかつて編集していた人が亡くなり、行方のわからなくなった原稿の方が多いという)から、晩年に書かれ、未完となっている「北の海の物語」の原稿を探し出し、それをいま少しずつ「作文」で掲載している。いまのようにコピーなど自由にとれない時代である。こうして渡し放しになった原稿は、そのまま散逸するしかなかったのである。
 長谷川濬の人生の核心となっていた満洲生活に本格的に向き合い、書いた『王道夢幻』、そして『夢は荒野を』も同じ運命をたどってしまった。なんとかどこかに残っていないかと、いろいろ聞いたり、調べたりしたのだが、結局これらの作品の原稿を、どこにも見出すことはできなかった。かろうじて『王道夢幻』だけは、大同学院同窓会が編纂刊行した二冊の本『大なる哉満洲』(1963年刊)と、その続編となる『碧空緑野三千里』(1971年刊)のなかに、断片が活字として残っていた。

 この作品は、長谷川濬が一期生として学んだ大同学院に入るところから、卒業するまでの五ヶ月間の回想ノンフィクションである。最初の「王道夢幻」と題された作品は、長詩のようなかたちをとっている。これは『大なる哉、満洲』に掲載されたものである。あくまでも想像でしかないのだが、「大同学院史」が編纂されるということで、しかも彼が責任編集者に選任されたことで、巻頭を飾るプロローグのようなつもりで書かれたものなのではないかと思う。
 次に載せているノンフィクションは、『碧空緑野三千里』に紹介されている大同学院卒業生が寄せた、一期生の回想のひとつとして、面接からはじまって卒業するまでの、とくに面白いと編集者が選んだエピソードを断片的に紹介したものである。おそらく長谷川は編纂委員会に面接するところから、卒業するまでの出来事をこまかく書き綴った原稿、それもかなりの分量の原稿を提出していたと思われる。同窓会としてはあくまでも集団の記憶を残したいということで、長谷川個人の回想だけを載せるわけにはいかず、断片的に学校の行事を紹介する一例として、この中から編集者にとって都合のいい部分だけを活字としたものと思われる。
 全体像がわからないのはなんとも口惜しいのだが、長谷川が一九六〇年から真剣に自分にとっての満洲と向き合ったはじめにして、最後の作品となるだけに、その断片だけでも紹介したいと思い、ここに掲載した。
 まだ「王道夢幻」のように、断片だけでも残っているものはいい。このあと長谷川が大同学院を卒業してから、敗戦まで、そして帰国するまでのドキュメントを書いた「夢は荒野を」にいたっては、その断片すら残っていないのである。出版する話がもちあがり、番町書房に原稿を渡したまま、活字になることもなく、散逸してしまった。長谷川が書いた日記を読むと、彼自身この原稿がどこかにないだろうかと探している。全身全霊を捧げて書いたこの原稿をなんとか見つけ出すことはできないのだろうか。ゴビ砂漠で、一枚の十円玉を探すのと同じくらい、奇跡に近いことなのかもしれなたいが、なんとか見つけ出し、読んでみたいと思っている。

長谷川濬 作品4
「王道夢幻」を読む

連載目次へ デラシネ通信 Top 前へ | 次へ
作品4