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『魯西亜から来た日本人−漂流民善六物語−大島 幹雄 著

廣済堂出版 / 1996年 / 1,650円(税別) / 227P / 20cm / NDC:210.593 / ISBN:4-331-50556-1


『魯西亜から来た日本人』の表紙
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目 次

プロローグ 幻の露日辞典発見

第一章 若宮丸漂流
  光太夫と「信牌」/石巻の千石舟/一本マストの悲劇/アレウト列島漂着/平兵衛の死/
  毛皮を求める旅/光太夫の足跡

第二章 イルクーツク物語
  イルクーツクへ/待っていた男たち/往く者、往かざる者/帰化/先駆者たちの死/
  「わが死したることども語りくれよ」/イルクーツクの十四人

第三章 白夜のペテルブルグ
  イルクーツク出立/レザーノフの野望/キサク・タマイ伝/ウラルを越えて/白夜のペテルブルグ/
  皇帝謁見/クルーゼンシュテルンの銅像/ペテルブルグ逍遥/通訳書記官キセリョーフ善六/ネヴァ川岸にて

第四章 世界一周とレザーノフの露日辞典
  レザーノフの航海日誌/英仏戦の砲火/文法書からのアプローチ/仙台弁のルーツ/苦心の訳/
  南の雪/南太平洋の鬼ヶ島/クルーゼンシュテルンの反乱/北帰行

第五章 カムチャツカ異変
  レザーノフの決断/慶祥丸漂流民/長崎での漂流民/自殺未遂事件/別れの抱擁/秘密工作の怪/
  オホーツクの別れ

第六章 エトロフ炎上
  エトロフ島襲撃事件/レザーノフの真意/レザーノフの死/捕虜五郎次/『五郎次申上荒増』/
  ゴローヴニン幽閉/高田屋嘉兵衛の架けた橋/海を渡った種痘術

第七章 函館残照
  ディアナ号入港/「私日本の人の子供なり」/長い航海/日露函館会談/善六の孤独/「タビノヒト」

エピローグ 鎮魂歌

あとがき
参考文献

書 評

「漂流民の思いを伝えたい」 橘靖雄   (「朝日新聞」1996年10月20日)

 漂流民善六について知っている人はまれだろう。一七九三年(寛政五年)、宮城県石巻の千石船若宮丸が江戸に向かう途中嵐(あらし)に遭って漂流、乗組員十六人はアリューシャン列島に漂着する。その一人が善六だ。うち四人はロシア船で日本人初の世界一周をし、ほぼ十一年ぷりに故国の土を踏むが、善六はロシアに残った。本書は、「なぜ残ったのか、残らざるを得なかったのか」を乏しい史料をもとに追究したドキュメントである。
 歴史の陰に埋もれていた善六に出あうきっかけは一冊の古書だった。東京の古本屋で蘭学者大槻玄沢の『環海異聞』をなにげなく手にする。帰国した漂流民の聞き書きの記録。ロシア文学を專攻、卒業後もロシア人相手の仕事をしてきた経歴に加え、生まれが善六と同じ石巻、そして父親が船乗り。運命的なものを感じて調査に取り組む。
 「玄沢の漂流民への評価は低い。知識・教養がないから見聞きしたことの事情が分からない、と。でも、口の重い東北の漁民で、国禁を侵していることもあり、ペラペラしゃべるはずはない。調査は三年前、帰国した太十郎の遺品を見ることから始めました」
 一八一三年、箱館(函館)で幽囚されていたロシア海軍軍人ゴローヴニンの釈放交渉が開かれる。この会談には高田屋嘉兵衛も加わって有名だが、ロシア側の通訳官として登場したのがキセリョーフこと善六だ。すでに帰化し、キリシタンになっていた。
 これまでの善六像を超えるのは史料が限られ至難だったが、二年前、世界一周の指揮者レザーノフと善六がのこした「露日辞典」をサンクトペテルブルクで発見、さらに翌年「航海日誌」の写しも入手した。
 「辞典の日本語は仙台地方の方言ですが、抽象的表現は少ないとはいえ、貴重なもの。異邦人に当たる言葉をタビノヒトと表現。善六の心情が秘められているようです」
 シベリアに生き、日口懸け橋の捨て石を志した善六の思いが伝わってくる。

「學鐙」1996年11月号

 一七九三年、石巻の廻船若宮丸は難破し乗組みの一六人はアリューシャン列島に漂着。一一年後に帰国を望んだ四人はロシア初の世界一周船で長崎へ送還、その体験談は大槻玄沢『環海異聞』にまとめられた。万次郎・光太夫のかげで評価も低く、語られることも少なかった若宮丸乗組員を追って、著者はロシアにまで足をのぱし埋れた資料を探索。特にロシアに帰化し、レザーノフ『露日辞典』編纂に協力、露日の掛け橋になろうとした善六の一生に焦点をあてる。公刊史斜に洩れた、乗組員たちの心情にふれた労作。


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