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論争
「サーカスの動物たちは虐待されているのか?」

その2 「サーカスの奴隷」

『論拠と事実』2002年12月49号より)

 元サーカスの動物調教師ヴラジミール・デリャープキンが動物調教の舞台裏を暴く告発記事の続編。デリャープキンへのインタビューが続く。

「モスクワスクラップ帳」では、『論拠と事実』を抄訳しています。


質問−調教師たちは観客にサーカスの動物もアーティストだと思わせていますね。演技のあと動物たちは、お辞儀をして拍手をもらっていますね。

デリャープキン「動物たちが、挨拶している時にも、同じように強制しているし、ひどいことが行われているのです。欺瞞があるのです。殴られ、それでも足元にキスしなくてはならないということを想像してみてください。サーカスの動物たちもアーティストですよ。ただこのアーティストたちは自由を奪われているのです。調教師が持っている鉄砲の銃身の上に鳩が載っていて、発砲しても、鳩は飛ばずにじっとそのままの姿勢のままでいるという芸があるのを知っていますか? 普通の鳩の脚を鉄砲に縛りつけ、発砲したらどうなると思います? そのままでいるでしょうか? 驚愕のため死んじゃいますよ。

質問−サーカスの鳩はどうやって調教するのですか?

「少しずつやるのです。鳩が慣れるまで、もしくは聾になるまで、並べて発射し、失神させるのです。私にも鳩をつかった芸がありました。鳥たちは口を開けっ放しにしている熊の頭の上に載っているのですが、熊は触ろうとしないのです。観客はやんやの拍手をしました。でもこの可哀相な熊の頭にあることはただひとつ、どうやってこの鳥を捕まえようかということです、でも熊は知っているのです。もしも触ろうものなら舞台裏で散々殴られることを。
 熊はなんのためにダンスするのでしょう? 子どもたちは大喜びで、笑います。でも誰も、この芸の残酷さを知らないのです。虎が象の背中を飛び越える芸があります。この時象たちには針がはりめぐされた皮製のカバーがかけられています。虎たちがこれに触れないようにするためです。」

質問−あなたが調教師をやめるようになったのはいつなのですか?

「ニュージランド公演中の時でした。リハーサルの時小熊が私の足元に飛び込んできたので、それを蹴とばしました。そんな強くではなかったのですが、この熊はまだとても小さかったのです。この蹴りで熊は転がるように脇の方に飛ばされてしまいました。客席からこれをじっと見ている知らない人がいました。これを見て、彼は忌ま忌ましそうに首を振っていました。あとで、彼が「グリンピース」の代表だったことがわかりました。翌日、文字通りサーカスに抗議が殺到することになります。警察は私たち全員を一人ずつ尋問しました。また別な時に調教師がサーカスの犬を一晩中雨のなかに置きっぱなしにしました。興業師は、続けざまにまた取調べを受けることにうんざりしていました。
 調教の不公正さを理解する出来事がもうひとつありました。それは巡業中に曲馬師のある行為を見てからです。脚を怪我した馬がいました。この馬はやっと歩けるぐらいで、ひどいびっこをひいていました。このびっこの馬を働かせていたのですよ! 強くムチをあて、早足で走らせ舞台に追い立てていたのです。これは馬がびっこをひいているのを知られないようにするためでした。小さな小屋にしまい人の目に触れないようにして、またリングにだすのです。怪我のあと馬がいずれ解雇されることをなんとも思っていなかったのです。」

質問−あなたの熊たちも解雇されたわけですね?

 「私がやめる決意をした時、問題がありました。熊をどこにやるかです。私の所には六頭の熊がいました。サーカスも動物園でも熊は必要ありませんでした。方法はありませんでした。朝早くアシスタントが熊を連れて行きました。翌日私の熊はいなくなりました。これが、観客から拍手をもらい、満足させていた熊たちはこうして死んで行ったのです」

質問−動物たちの間で調教師は群れのリーダのようだというのは本当ですか?

 「手にスティックを持っている時だけリーダーになれるのです。ただひとつの法則があります。恐怖です。ニコライ・パブレンコは、スティックなしでやっていたということは聞いたことがありますが・・」

質問−一般的に優しい調教師というのはいますか?

 「優しい監視人、死刑執行人ということですか? 調教師が誕生したときから、残酷さが生れているのです。熊を獲って、檻に入れ、舞台に連れ出した時から、動物たちにとって、破滅が始まるのです。もしも心があるならば、人間だってそう思うでしょう」

質問−サーカスの動物には他の生きかたを選ぶチャンスはあるのでしょうか?

 「チャンスはひとつだけです。死ぬ前に調教師と決着をつけることです。飛び掛かるために何秒か必要なトラや、ライオン、豹とは違って、熊はすぐに襲いかかれることを調教師は知っています。熊は脚で人間の頭を殴り、倒すことができます。熊はこの瞬間が来るのをずっと辛抱つよく待っているのです。この時が来た時、どんな脅しも無意味なものになるのです」

質問−これがもし公演中に起こったらどうでしょう。観客は見れるでしょうか?

 「見たらどうなるのか。舞台での暴力は、すぐに観客を動物ショーから引き離すことになるでしょう。特にこれが熊がなにか演技をしている時だったら余計そうなるでしょう。
 私は自分の熊たちを愛していました。でも熊たちは私を愛していませんでした。私たちはいつも疑いのなかでしか生きて来れなかったのです。私は一秒たりとも彼らのことを信じていませんでした。だから私はひとつの傷跡も受けないで、サーカスから去ることができたのです」


 これでデリャープキンのインタビューは終わりなのだが、最後にこの記事を書いた記者は、次のような凄惨なエピソードを紹介している。

「デリャープキンの最後の熊たちとのエピソードである。一頭の熊が「報復」を決意したのだ。これは地下室で起こった。20歳になる息子のボロージャが大人の熊を持っていた。巡業のために出発するところだった。この夜地下室に妻のリューダがやって来た。7歳になる熊のフローラは突然リューダに襲いかかり、床に倒した。息子がやっとのことで母を救い出し、悲劇を逃れることができた。リューダは血だらけになり家に戻った。翌朝二発の銃声が鳴り響いた。
 『自分のサーカスの人生がこんなかたちで終わるとは思ってもいなかった』とデリャープキンは語る。『フローラはやり方を間違ったのだ。最初に女を襲ったのは間違いだった。もしボロージャが熊に襲われていたら、リューダは何もできなかったろう。神が救ってくれたのだ』」


 二回にわたってかつて調教師だったデリャープキンが動物ショーの舞台裏を暴露した記事を紹介したわけだが、みなさんはどう思われただろう。実際にこの記事は大きな反響を呼び、掲載した『論拠と事実』編集部には読者やサーカス関係者から多くの意見や感想が寄せられることになる。いずれこれらの意見、特にサーカス関係者の意見を紹介したいと思うが、その前にこの記事を読んだ、私自身の感想を次回は紹介したい。私もサーカスの裏方として、熊や象、犬などの動物調教の裏側を見てきているので、多少はここに書かれていることの真偽について意見を言えるのではないかと思っている。
 もしもこの記事に対して意見なり感想がある読者がおられたら、是非それをお寄せいただきたい。


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