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特 集
社会主義国のサーカスの行方

DDRの場合
ロシアの場合
ロシア以外の場合
中央アジア諸国の場合
国立カザフスタンサーカスの異変
他の社会主義国の国立サーカスの現状
 ・中国
 ・北朝鮮
 ・モンゴル


 ベルリンの壁が崩壊し、ソ連邦が解体してから十年の歳月が流れた。ドイツはともかく、旧ソ連諸国の混乱はまだ続いている。こうした混乱の中、かつてサーカス大国として世界に君臨していた国々で、大きな変化がおこっている。国立で維持されていたサーカス団が、次々に解散に追い込まれているのだ。たかがサーカスなのかもしれないが、サーカスに生きている人間のひとりとして、やはり黙って見逃すことができない。
 ここでは旧社会主義国の国立サーカスの現状を報告する。

DDRの場合

 日本にも来日したことがある東独の国立サーカス団は世界一を誇る動物サーカスを擁していたが、東西ドイツの統一と共に整理を余儀なくされ、かつてスターだった動物たちの多くが動物園に売却されるなど、あっというまに消滅してしまった。自分自身、東独のサーカスが来日したときに、それを招聘した会社で働いていたこともあって、象、白熊、トラ、ライオン、馬、犬などの多彩な芸で多くの観客を魅了したショーが、あっというまになくなってしまったことを知った時は、さすがにショックだった。
 東西ドイツの統一と共に、ひとつの名門サーカスが消滅してしまったことになる。国立でサーカスを維持する必要性を認めず、しかも動物という手間も金もかかる財産を維持することは、困難だったということである。

ロシアの場合

 旧ソ連のなかでは大国ロシアが、辛うじてサーカスを存続させているといえるだろう。サーカス芸人を管理していたサーカス公団が、ロシアカンパニーとして組織替えし、芸人のエージェントとして機能している。またこれ以外にもモスクワにあるふたつのサーカス場や、ペテルブルグのサーカス場は、それぞれがひとつのサーカス団として、市や国からわずかの援助を受けながら、活動を続けている。サーカス場での公演の他に、エージェントとして、海外に芸人を派遣する仕事もしている。こうしたサーカス場は、市民に低料金で見れるように配慮しているのは、サーカスを見ることを楽しみにしている子どもたちの夢をなんとか守りたいと思ってのことである。
 ただ昔のように、芸人たちが公務員として安定した収入を得る時代は終わりを告げた。ソ連時代は、芸人たちは毎月仕事をしなくても決まった給料が支払われ、海外で公演があれば出張手当を貰え、このお金で、電気製品や車などを購入してくるなど、一般市民よりもいい生活を送っていた。しかしいま国内での仕事は限られ、しかも報酬も少ない。多くの芸人は転職するか、海外に出て、仕事を探すかの瀬戸際に立たされることになった。こうした芸人たちが増えたことで、ロシアカンパニー以外にもたくさんのエージェント会社ができ、海外への売り込みに懸命になっている。
 信じられないような安い報酬で契約する芸人があとを絶たず、その結果欧米のサーカス芸人市場に混乱を招くことにもになった。安い報酬でも仕事ができる芸人はまだましも、ひどい場合には勤めていたサーカス団がつぶれ、報酬ももらえず、さらには帰国するすべもななく、異国で放浪生活を余儀なくされた例も多々ある。
 私の古くからの友人のロシアのクラウンは、安い出演料で契約、アメリカに行ったのはいいが、このサーカス団が途中で倒産、途方にくれ、アメリカから電話をかけてきたことがあった。もちろん私にはどうすることもできなかった。ただ彼の場合は、幸運に恵まれ、フロリダのディズニーランドで似顔絵を描く仕事を得て、いまではグリーンカードも手に入れ、幸せに暮らしている。しかしこんな幸運な芸人は数えるばかりだといっていいだろう。
 安い報酬でも技術はそれなりのレベルに達しているということで、欧米のちいさなサーカス団をはじめ、旧ソ連の芸人と契約する経営者は多い。いま日本で公演をしているカナダのシルク・ドゥ・ソレイユのメンバーの多くにウクライナ、ロシアなど旧ソ連のアーティストが含まれているのも単なる偶然ではない。ソ連解体は、旧ソ連の芸人たちの流民化を促し、この動きはしばらく続くであろうと思われる。

ロシア以外の場合

 旧ソ連でロシア以外の国のサーカスはどうなっているのか。
 かつて旧ソ連に属していた諸国は、サーカス場を持ち、サーカス公団が芸人たちを管理していた。そのなかでウクライナ、ベラルーシ、カザフスタン、ウズベキスタンの国立サーカスは、組織替えをしながら、存続しているが、それでも経済混乱が続く中、国家から援助を得ることができず、みな青息吐息の経営を強いられている。旧ソ連時代は毎日行われていた公演も、土日だけだったり、夏休み期間だけの公演だったりしている。サーカス芸人だけでなく、サーカスに出演しているダンサーたちを海外に派遣して日銭を稼ぎ、これが結構大きな収入源になっているというちょっと情けない話もあちこちで聞く。

中央アジア諸国の場合

 この二年のなかで、私は中央アジア諸国を訪れる機会が二度あった。ここでこのなかで自分の目で見た、そして関係者から聞いた中央アジアのサーカスの実情について報告したい。
 最初に訪れたのは、いまから二年前の1998年。その時はウズベキスタン、キルギスタン、カザフタンと三カ国を駆け足でまわってきた。この時は、中央アジアは豊富な資源を背景に、ひとつになって共同してソ連の傘から抜け出そうという熱気が感じられた。国境も開かれ、人々は自由に中央アジアを行き来していたし、サーカス団もお互い兄弟国として芸人たちが始終交流しているようだった。ただキリギスタンのサーカス場はボロボロで、まともに座れる椅子はなく、長い間公演で使われている気配はなかった。ここでジギドと、ハイワイヤーの演技を見せてもらったのだが、彼らは海外での仕事をとることしか眼中にないようだった。
 二年後カザフスタンサーカスのディレクターに会って話を聞いたところによると、現在完全にキルギスタンサーカスは消滅してまったという。私たちが二年前にあったアーティストたちも、いまはポーランドで働いているようだが、いろいろトラブルに巻き込まれ、大変な目に会っているという話だった。
 ウズベキスタンのタシケントの国立サーカス場は、ちょうど改装中で、工事中の現場を案内されたが、決して豊かではない経済体制のもと、贅沢な施設ができることに少々驚いてしまった。まだ若いディレクターが、なかなかのやり手のようで、サーカス団だけではなく、動物園やホテル、レストランなどを経営し、その要所要所に自分の身内を配置していた。言葉は適当でないかもしれないが、一種マフィアのような感じがした。新しいサーカス場の建設資金は、すべて国から提供されるという。もしかしたら、旧ソ連の中では、一番恵まれている環境にあるのがウズベキスタンなのかもしれない。
 二年後予定より完成が大幅に遅れたとはいうが、サーカス場もオープンして、ビジネスもうまくいっているという。

国立カザフスタンサーカスの異変

 一番活気を感じたのは、カザフの国立サーカスだった。旧首都のアルマトゥイの中心地にある、ヨールト(遊牧民のテント)のかたちをしたサーカス場を拠点に、ハーリック総裁を中心にスタッフがそれぞれの持ち場で、キビキビ働いているのが印象的だった。ハーリック総裁は、世界のサーカス界でも有名人のひとりだ。ハーリックを慕って集まる芸人はたくさんいる。総裁室の扉はいつも開け放たれ、芸人たちが、自由に出入りし、意見を交換している。芸人たちのレベルも高く、欧米に多くの芸人たちを派遣していた。サーカスを楽しみにしている市民のために、プログラム編成にも細心の工夫がほどこされ、ロシアの人気アーティストを呼び、充実した内容で、公演はいつも満員だった。この時ハーリックは、文化省と折衝し、2年後にカザフで世界サーカスフェスティバルを開催する計画を進めていた。このフェスティバルの開催と共に、国立カザフサーカスは中国と同じように世界でも有数のサーカス団になるはずだった。
 また若いアーティストの卵たちが、サーカス場にある練習所で、先生たちとマンツーマンで練習に励んでいる姿を見て、いまのことだけでなく、将来を見据えた対応にも、大きな可能性を感じた。
 ハーリックという指導者のもと、優秀なスタッフ、アーティストが揃う国立カザフサーカスが、ロシアを越えることもまんざら夢ではないのではないかという気さえした。こうした若い活力を武器に、もしも国立サーカスが生き延びることができれば、それはソ連解体以降の旧社会主義国のサーカス団のひとつのサンプルになるのではないかとも思った。
 二年後の今年九月再びカザフスタンを訪れることになったのだが、そこで見たのは、あまりにも変わり果てた国立サーカスの現状であり、そしてやつれ果てたハーリック総裁の姿であった。
 国立サーカスの拠点ともいえる二千人収容のサーカス場を手放し、あれだけいたアーティストのほとんどが、国立サーカスから離れてしまうという、2年前にはとても考えられない現実がそこにあった。
 イタリアからテントを借り、ロシアサーカスの花形を集めて、カザフ各地で公演したサーカス公演が、興行的に失敗し、赤字をつくってしまい、それを理由に、文化省が、サーカス場の売却に動いたのだ。町の中心にあるサーカス場の地の利に目をつけた企業家が、周辺の公園の再開発、アトラクションパークづくりをすすめていたのだが、文化省の役人とこの企業家は、ずいぶん前からサーカス場の売却交渉を裏で進め、国立サーカスの興行失敗に乗じて、買収に成功したのだ。国立のサーカス場という国民の財産を、簡単に民間の企業に売却していいのかと、ハーリック総裁は、懸命に文化省を説得するが、担当の役人は逃亡、購入した企業家もサーカス場売買の契約書をたてに正当性を主張、結局国立サーカスは、サーカス場という大きな財産を失うことになる。拠点を失ったサーカス団は、興行することもできず、所属するアーティストにも給料が払えず、多くのアーティストは、国立サーカスから離れていくことになる。こうしたいきさつをハーリックは、辛そうに話した。
 まだ30ちょっとすぎの企業家が経営するサーカス場では、モスクワのアイスサーカスの公演を行っていた。かたや国立サーカスの方は、市の中心地からかなり離れた映画館で、舞台サーカスの公演をしていた。ここに出演しているのは、給料をもらわないでも、ハーリックの元で働きたいという芸人たち。確かにかつての華やかさはないものの、限られた予算の中でそれでも精一杯の演出をしていた。この公演を見て国立サーカスはまだまだ生きのびることができると思ったことも事実だ。
 それはここに出演しているアーティストが、若く、可能性を秘めている人が多かったことがある。ハーリックという人間への信頼だけでなく、ここでとどまっていたほうがよりチャンスがあると思ってのことだと思う。現にこの公演で見たアーティストの多くは、来年予定されているカザフサーカスの日本公演に参加することが決まった。
 一週間の滞在の間に、文化省の役人や、文化省の管轄下にあるオーケストラやアンサンブルの関係者とも会うことになったが、同じようにホールを持つ団体が、今回のサーカス場売却問題に大きな危機感を抱き、国立の芸術団体が協力しあって、この危機に立ち向かうべきだという話も聞いた。あるオーケストラの関係者は、国立サーカスがもう一度サーカス場を取り返すために、我々も最大限の努力をすると断言していた。サーカス場を取り戻すことができるかどうかは、わからないが、かすかながらも希望の灯を見た気もする。まだまだカザフ国立サーカスが、立ち直る可能性はあるはずだ。
 旧社会主義国の国立サーカスが歩む道は、国からの援助を当てにせず、経済的にも自立することしかないと思う。ただその時に、社会主義国時代に築き上げてきた財産、サーカス場、サーカス学校、サーカスアーティストを基盤にすることでしか、その道は開けないと思われる。零からのスタートは、経済的に自立できない国情を考えると、不可能だろう。
 旧ソ連諸国の経済は、ロシアをはじめ、一部の富豪家たちに牛耳られているといっても過言ではない。いわゆるマフィア経済がまかり通っている。このマフィアと、いまカザフの国立サーカスは闘っているといえるかもしれない。 まだ勝負は終わっていない。このマフィアという難敵と闘うためには、サーカスへの熱情、夢、仲間をもつことしかないと思う。こんな素朴なことと思われるかもしれないが、サーカスという世界は、こんな素朴な人間の気持ちで守れるものだと私は信じている。
 カザフ国立サーカスは、ハーリックというサーカスに夢を託す指導者がいるし、また仲間もいる、私はこの危機を乗り越えることができるのではないかと思っている。
 そしてそうすることによって、社会主義の元で育ったサーカス遺産を守るひとつの道しるべをつくれることができると思っている。

他の社会主義国の国立サーカスの現状

中国

 国の全面的な援助に支えられている。中国・河北省の呉橋では二年に一回国際サーカスフェスティバルが行われ、いまやモンテカルロのサーカスフェスティバルと並んで、世界の優れたサーカスアーティストが集まることで知られている。海外での公演も各省がもっている雑技団単位で盛んに行われている。

北朝鮮

 何人ぐらいの団員を擁しているかは不明だが、国家の厚い保護のもとハイレベルの芸人を抱えているのは事実。特に空中ブランコは、中国、モンテカルロで開催されたサーカスフェスティバルで、常に金賞を獲得していることで知られている。平壌にはいくつかのサーカス場があり、公演がさかんに行われている。また今年六月には、韓国公演を成功させたことでも脚光を浴びた。

モンゴル

 自由経済導入のあと、大きな産業ももたず、資源にも恵まれているとはいえないモンゴル国は、深刻な経済危機に立たされている。このなかで国家から援助を絶たれた国立サーカスもいま存続の危機に立たされている。多くのアーティストは海外での仕事を求めて、モンゴルを離れている。ウランバートルにあるサーカス場での公演はほとんどおこなわれていない。公演を成立させるためのアーティストがいないのだ。
 今年七月に、国立サーカスの総裁エルデネサイハンがまだ四十八才という若さで急死。サーカスアーティスト出身で、国立サーカスを維持するために先頭に立って闘ってきたエルデネサイハンの死が与えた影響は大きい。十一月にやっと新しい総裁が決まったが、サーカス界とは縁のない人だという。
 ただ国立のサーカス学校はまだ運営されており、優秀の先生の指導のもと、アーティスト養成部門がまだ守られているのは救いといっていいだろう。
 もうひとつの動きとして注意しておきたいのは、カナダのシルク・ドゥ・ソレイユが、モンゴルのストリートチュードレンを集めて、アーティスト教育をしようというプランを持っていることだ。もしかしたら資金不足で困っている国立サーカス学校を翼下に入れようという意図もあるのかもしれない。


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