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【連載】クラウンを夢見た人たち−クラウンカレッジ卒業生のその後を追う

第3回 サーカスクラウンの道まっしぐら――エリザベス(関根理恵)

 オープンセサミから、次に絶対取材してもらいたい人として名前があがったのは、二期生だったエリザベスこと関根理恵さんであった。彼女はリングリングサーカスで働いているはずで、このためにはアメリカまで行かなくてはならない。そんな無理なと、その場は口をにごしたのだが、なんとその関根さんから、電話をもらったのは、オープンセサミの取材をしてから2カ月後の去年の12月。なんでも日本にしばらくいるという。これは神の啓示ということで、会って話を聞くことにした。
 お互いなかなかスケジュールが合わず、やっと会えたのは電話をもらってからほぼ一ヶ月後の2005年1月21日であった。久しぶりの再会であった。10年ぶりぐらいになるのではないだろうか。取材というよりは、それぞれの近況や一緒に働いていたクラウンたちの消息で話は盛り上がり、いままで2回の連載とはちがった雰囲気になったのではないかと思う。あえて私自身の感想やコメントを入れずに、そのまま掲載することにする。その前に彼女のプロフィールを簡単に紹介したほうが、いいだろう。この会話をそのまま紹介しても、ふたりにだけしかわからないことがたくさん出てくるので、その方が、わかりやすいと思う。

 エリザベスこと関根理恵は、1991年CCJ(クラウンカレッジジャパン)に二期生として入学。卒業後大阪で開催された「花と緑の博覧会」に出演。ここでのちに結婚することになるスティーブ・ローと知り合う。花博のあと、スティーブは、私がプロデューサーとして働いていた市川のサーカスレストランと契約。この面接の時、はじめて関根と出会うことになる。サーカスレストランで働いたのち、CCJのインストラクターをしていたジョン・フォックスの紹介で、木下サーカスと契約、ふたりはコンビを組んで、クラウンとしてここで3年間働くことになる。1997年ふたりは木下を退団して、アメリカに渡るのだが、その前に日本で、正式に結婚している。
 アメリカでは、2つのサーカス団で働いたあと、リングリングサーカスのクラウンに採用される。2年間レッドユニット、その後はブルーユニットのメンバーとして7年間リングリングサーカスで活躍する。2004年12月に契約を解除、今年からフリーのクラウンとして働いている。

ということで本題に入ろう。


ロシアのクラウンたち

関根 「ちっとも変わってませんねえ」
大島 「理恵ちゃんも全然変わってないんじゃない」
関根 「そうですか?とにかくスティーブが、大島さんにくれぐれもよろしくって、うるさいんですよ。で、電話したんですけど。覚えててくれてうれしかった。」
大島 「忘れないよ。そう簡単に。スティーブは元気?」
関根 「はい、おかげさまで。元気でやってます。市川のカーニバルプラザで働いてた時のこと、とてもなつかしいみたいで、よくみんなはどうしてるんだろうなあって話してます。あの時いたロシア人のクラウンのこととても気にしているですけど、似顔絵描いていたサーシャとか、奥さんと一緒に来ていたセルゲイなんかはどうしてるですか?スティーブは、アメリカ人とあまり気が合わないけど、ロシア人のクラウンの人たちとは本当に仲よかったし、すごく勉強になったと言ってました」
大島 「サーシャはいまフロリダのディズニーで働いている。子供も生まれて幸せそうだよ。セルゲイは確か2年前にディズニーシーに働きに来て、その時会った。彼も元気にがんばっていたよ」
関根 「そうなんだ。サーシャとは、ずいぶん前にアメリカで会ったことがあるんですよ。確かロシアサーカスのメンバーとして巡業していて、スティーブの実家の近くで公演やっていて、その時に会いに行きました」
大島 「それからが大変だったみたいで、そのサーカス団が途中で倒産して、国にも戻れず、アメリカ国内を転々としていた。何度か泣きの電話が入ったけど、どうにもできないじゃない。でもうまい具合に、ディズニーの仕事にありつけたみたいで、グリーンカードもとって、家も買って、いまは安定した生活を送ってるよ」
関根 「住所とか電話番号知ってますか?絶対連絡してみます。スティーブもきっと喜ぶだろうなあ」
大島 「で、いまは何やっているの?」
関根 「去年の暮れにリングと契約しないって決めて、今年からは2人でエージェントに所属してフリーでやっています」
大島 「リングでなんかあったの?」
関根 「長いことやってきましたからね。いろいろあったのですが・・・。一番の原因は、一緒に働いていたクラウンの中に、とても嫌な奴がいて、その人がまた来年もリングと契約することを知って、とてもじゃないが、やってられないって、辞めました」

リングリングサーカスのクラウン

関根 「リングのクラウンって、一年契約で、それが終わりに近づくと、社長との面接があって、そこでこんなアイディア、こんなネタで来年はやろうと思っていますというプレゼンテーションをします。私とスティーブは、ここでネタを見せて、社長も気に入ってくれました。ただですね、ひとり質の悪いクラウンがいて、彼がそのプレゼンの時に、ネタを見せるんじゃなくて、他の一緒に働いているクラウンの仲間の悪口を言ってですよ、悪口を言われたクラウンは泣く泣く辞めざるを得なくなりました。リングのクラウンって集団でやるじゃないですか。そんなチームとしてやるのに仲間にこんな人がいたらやってられませんよね。タレントがあって、こいつ面白い、ということだったらまだしもですよ、他のクラウンの悪口を言う人と、とてもじゃないですが、一緒になんかできないですよ」
大島 「なるほどね。クラウンカレッジがなくなったこともあるのかなあ?」
関根 「それはあると思います。クラウンを大量に雇えなくなったから、例えばハンガリーのアクロバットとかジャグリングやっている人たちをクラウンとして雇ったり、どこかのワークショップでクラウンやったことがあるぐらいのキャリアで、入ってくる人も結構いました。
 リングのクラウンにとって、一番の仕事は、プレショーなんですよ。本番のショーでクラウンはあくまでも脇役で、集団でバッーと出てきて、合間を埋めるだけじゃないですか。しかも遠くからしか見えないから、一人ひとりどんなことやってるかはわかりません。プレーショーはちがうんです。公演の前にお客さんを集めて、自分のやりたいことができます。私とスティーブは、犬を使ったショーをつくって、これを社長が結構気に入ってくれて、自分たちが辞めるっいったらびっくりして、このプレショーだけでもやらないかって言ってくれたんですけど、ギャラがとても合わなくて、それで正式に退団することになりました。これからどうなるんでしょうねえ」

リングでの生活

関根 「でもリングで働いて勉強になったことはたくさんあります。一番は、3つのリングという大きな舞台での表現のしかたを勉強できたことです。四方八方のまなざしを背中から受けているわけで、その中でどう表現することは学んだと思います」
大島 「リングでの生活はどうなの?」
関根 「リングは一年中仕事しています。休みなんかないんです。移動が休みみたいなもんでしたね。例えば、日曜日が楽だとすると、月・火が移動、水曜からショーです」
大島 「やっぱり、移動は汽車なの?」
関根 「そうです。良かったですよ。300人ぐらい乗せて、道具とか動物も全部積んで。私たちは犬と一緒だから、汽車で移動しましたし、公演中もここで寝泊まりしてました。仕事も生活も一緒ですからね。プライベートがない生活です。かっこうつけている暇なんかないですよ。秘密がないっていうか。これはこれで良かったと思いますけど」
大島 「どうなの、お客さんは入っているの?」
関根 「そこそこ入っていました。こけるのは2カ所ぐらいでしたね。リングは大体一年に40都市ぐらい廻ります。ひとつの都市で1週間、大きい都市だと2〜3週間、ニューヨークでは3週間公演します。そういえばいままでリングは、レッドとブルーの二つのユニットだったのですが、去年からゴールドというユニットができて、これは3リングではなく、ワンリングでショーをしています」
大島 「デビット・ラリブレってクラウンがいたじゃない、彼はまだリングで働いているの?」
関根 「ええ、まだ働いています。ブルーで働いています。彼だけじゃなくて、家族と一緒に働いてます。彼はイタリア人ですが、メインリングでやっている芸人さんは、ロシア人が多いですよね。空中ブランコのチームは、日本でやっていた『シャングリア』に出演したメンバーです。『シャングリア』といえば、この時の美術デザイナーが、リングのショーのデザイナーをやっている人です。ブラジル人の芸人さんも多かったですね」

インストラクターからクラウンへ

大島 「話しは変わるけど、理恵ちゃんってクラウンカレッジに入る前は何してたの?」
関根 「エアロビクスのインストラクターです。CCJ(クラウンカレッジジャパン)ができて、マスコミに露出していたじゃないですか?テレビでそれを見て、これを習ってエアロビクスのトレーニングの時にやると受けるかなあって思って受けました」
大島 「へえ、そうなんだ」
関根 「まさかこんなことになろうとは思わなかったですよ。だいだいクラウンという仕事があるなんて、その時は信じられなかったですからねえ」
大島 「どうしてまた、クラウンを続けているの?」
関根 「私は、ひとつのことがうまくいかないとイライラしてしまいます。これをなんとかクリアしたいと必死になるんです。それを一つずつクリアーしていくことで喜びがあって、それがクラウンを続けている原動力になっていると思います。
 それと、お客さんが知らない秘密をもって、ステージに立つ喜びかなあ。私たちは自分たちだけの秘密をもっているわけです、こんな風な段取りで笑わせてやろうって。それはお客さん知らないわけですよね。それが楽しかったし、クラウンの楽しさじゃないですかね。木下サーカスで働いているとき、ひとつのリングですし、お客さんの視線がひとつになって自分たちを見ているわけです。それもが楽しかったし、受けたときに、ワッーときたときの喜び、最高でした」
大島 「木下で働いて、それからアメリカへ行って、すぐにリングと契約したの?」
関根 「いえ、そんなことはないですよ。7ヶ月ぐらい何にもしないで、スティーブの実家にこもって、リハだけをやっていました。ずっと日本にいたので、誰も私たちのことなんて知らないわけですよ。そんな時に、近くにサーカス一座がたちあがり、そこでクラウンを探しているという話しが舞い込みました。すぐに飛んで行って契約しました。団長さんは、コロンビア人の綱渡りの芸人さんでした。、ワイヤーの上で縄跳びするのが得意で、それでギネスにも載ったことがある有名な芸人さんらしいですよ。いいおじさんだったのですが、2週間でつぶれちゃった!
 その時一緒に働いていたジャグラーの人の紹介で、また小さなサーカス団で働きました。最初の日にスケジュールをもらってびっくり、クラウニングとパブリシティーというふたつの仕事が書いてあるのですが、クラウニングはなくて、ほとんどパブリシティーでぎっちり。パブリシティーって何をやるかというと、要はサーカスのポスター貼りです。気に入られたみたいで、来年も契約しようと言ってきたのですが、話しが違うし、自分たちはクラウンなんだから、クラウニングだけの契約にしてくれって言ったら、翌日解雇されました。でもスティーブとふたりで、万歳しましたよ」

CCJの仲間たち

大島 「(2月に公演したカバレットキネマ倶楽部のチラシを見せながら)今度こんなのやるんだけど、CCJ出身の人が何人か出てるよ」
関根 「(チラシを見ながら、ダメじゃん小出を見て)これネオキ君?しゃべくりコント?へえ〜。三雲さんは相変わらずですね。こうじ君は、記憶にないです」
大島 「去年、三雲君が中心になって、CCJの同窓会やったんだよ」
関根 「与作さんどうしてました?」
大島 「知らないなあ」
関根 「三雲さんとか剛さんたちと一緒にやっていたはずだけど・・・」
大島 「他の人たちとは会ったことある?」
関根 「木下サーカスで働いている時に、長野瑞代ちゃんに会ったことはあります。彼女、外国のサーカスで働いてるんですよね?」
大島 「たしかスゥエーデンのサーカスで働いていると思うよ。理恵ちゃんもほとんどアメリカで、家族の人は何にもいわないの?」
関根 「だいだいCCJにお金払って、入学した時から、あきらめているみたいです」

クラウン・スピリット

大島 「この前同窓会があって、二次会の時に、CCJには天然クラウンっていないなあって話しになったんだけど・・・」
関根 「それはそうですよ。授業料高いですからねえ。天然の人ってわざわざそんな高いお金を払って、笑いのテクニック学ぼうなんてしないんじゃないですか?アメリカは15万円ぐらいですよね。
 スティーブもアメリカのクラウンカレッジ出身ですけど、彼は天然とは違いますが、クラウンが染みついてますよね。いつも身の回りの日常をじっと見ていて、それをギャグにしています。スティーブって5才の時に初めてリングのサーカスを見たんですって。その時のクラウンがルー・ジャコブ。このクラウンと虎の調教師を覚えているらしいです。彼はクラウンになりたいって、もうその時から思っていたようです。彼の憧れはスイスのグロック。それと自転車のりもやるジャクソン。」
大島 「さてこれから、リングを退団して、ふたりだけでやっていくわけだけど、今後はどんなことをやっていくつもり?」
関根 「いままでリングのプレショーで犬とのコメディーや紙風船をつかったジャグリングなどやっていましたが、とにかくいままで人が見たことのないショーをつくりたいです。いまはサウスキャロライナのスティーブの実家を拠点に、ふたりのショーをつくり、できれば、ヨーロッパのサーカスでも働きたいと思っています。」

 実にさわやかな対談だった。言葉は悪いかもしれないが、あっけらかんとそして堂々とクラウンの人生を歩いている関根さんの潔さに、思わず拍手したくなった。会ったのは、お昼時。軽くワインを飲みながらのランチミーティングとなったのだが、彼女はお酒もかなりいけそうだったし、夜に酒でも飲みながら、もっとゆっくり話した方が良かったかもしれない。彼女は、何度も何度も、「スティーブがいれば、良かったのに、きっと喜んだのに」と言っていた。確かにスティーブとも会いたかった。
 クラウンになるつもりもなかった関根さんが、サーカスのクラウンとして日本やアメリカを代表するサーカス団で、バリバリ働いているのだから、人生とは面白いものだ。話していて、ショービズの世界で鍛えられてきた筋金入りのたくましさを感じた。こうしたたくましさがないと、実際に生きていけないのだろう。スティーブは、見るからに真面目で気の優しい男なのだが、こうした彼を、異国で、百戦錬磨の興行師を相手に、リードしていっている様子が目に浮かんでくる。クラウン道を追求するスティーブと、それを支えながら、自分に負けたくないと、クラウン道をさわやかにスキップするかのように疾走している関根さんは、本当にいいコンビだと思う。
 今度ふたりに会えるのは、いつになるのだろう。今度こそはスティーブも一緒に、ゆっくり杯をかわしたいものである。


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