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【連載】サーカス漂流

第9回 『野毛の街と大道芸』

 私が住んでいる横浜に、野毛という飲み屋街がある。代表的な観光名所みなとみらい地区の玄関口「桜木町」の南西にひろがる野毛は、幕末の開港によってできた盛り場、終戦直後は、「闇市」として栄えたところである。横浜磯子に生まれた美空ひばりが歌手としてデビューする横浜国際劇場も野毛にあった。
 いまでもさほど広くない一角に、飲み屋、ストリップ劇場、場外馬券場、ゲイバーなどが林立する、一言でいえばいかがわしい、B級の匂いがぷんぷんする街である。野毛が活気づくのは、日が暮れてから、会社帰りのサラーマンのおじさんたちが、狭い路地を徘徊している。この路地を歩いているとホットする。きっとまわりがおじさんだけということもあるのかもしれない。
 この街に足繁く通うようになったのは、10年以上前になる。この連載でもとりあげたが、「海を渡ったサーカス芸人」沢田豊の次男マンフレッドが、父の故郷日本を一目見たいという記事が出た時に、真っ先に電話をくれ、「野毛で招待しますよ」と言ってくれたのが、野毛の大将こと、餃子屋「萬里」のおやじ福田豊さんだった。福田さんと出会ったことで、この街にどっぷりつかることになったのだ。

 福田さんは私のことを人に紹介するとき「この人はとても変な人でして」という前置きをするのだが、こっちからすれば福田さんこそ「変な人」である。それを最初に知ったのは、マンフレッドが野毛に来たときのこと。マンフレッドと一緒に野毛を歩いていたら、急ににわか雨が降ってきた。本部があるテントで雨宿りをしていたら、福田さんが「これはお困りですねえ」と、突然傘をさしていた見ず知らずの人に、1000円札を差し出して、傘を売ってくれませんかと言うではないか。当然のことながら言われた人はびっくり、ちょっとおびさえしていた。あとで福田さんが言うには、困っているのだからなんとかしなくちゃいけない、商人は金で解決するしかないだよねえとあっけらかんとしたものである。
福田さんは、いまどき珍しい「遊び心」をもったおじさんである。そしてまさに類は友を呼ぶとの譬え通り、福田さんの回りには、変な大人たちがいっぱい群がっている。こうした面々を結集した最大のお遊びが「野毛大道芝居」である。福田さんの竹馬の友でもある俳優の高橋長英を座長に、平岡正明、荻野アンナ、山崎洋子などそうそうたる顔ぶれの作家たち、公務員、主婦、飲み屋のおやじたち、さらには故高秀横浜市長など、総勢30人近くの座員が集まり大道で芝居を演じているのである。素人芝居なのだが、やっている方は真剣そのもの、台本も自分たちで書き、セットや衣装も本格的、稽古に参加しないと即刻役を外されてしまう徹底ぶりである。お代はおひねり、旅役者になった気分の役者たちは、みんな嬉々として演じている。これこそ大人の遊びの極めつけといっていいだろう。大道芝居の座員たちは、ことあるごとに集まり、座員のひとりが経営しているうなぎ屋で「うな丼ライブ」を開いたり、はたまたモンゴルまでツアーにでかけたり、つい最近では歌声喫茶ならぬ「歌声食堂」というイベントをしたりと、真剣に遊んでいる。
残念ながら、私は座員には入れてもらってないのだが、こうした馬鹿馬鹿しい集まりにはなるたけ出席するようにしている。

というわけで、野毛や福田さん、さらには野毛(やもう)者たちとは、仕事抜きの遊びとして付き合っているのだが、福田さんがプロデューサーに就任した5年前から仕事も一緒にするようになった。毎年4月に開催されている野毛大道芸フェスティバルの海外ゲスト招聘を担当するようになったのだ。この大道芸フェスティバルは、福田さんのアイディアで17年前から始まったのだが、いまでは横浜を代表する一大イベントとなっている。仕事といっても相手が福田さんだから、遊び心にあふれたオーダーばかりで、楽しくやらせてもらっている。福田さんと組んだ最初の年は、かねてから福田さんが憧れていたモンゴルから怪力男とコントーション(柔軟アクロバット)の少女を招聘した。モンゴルから芸人が来るというので、すっかりまいあがった福田さんは、会場内にゲル(移動式虚住居用テント)まで建ててしまい、ゲルで寝たいという夢を実現している。ますますモンゴルにはまった福田さんと大道芝居座員たちは、モンゴルツアーまで敢行している。
2001年は、「21世紀は綱渡りで始まった」というテーマで、韓国の伝統的綱渡り「チュルタギ」がメインゲスト、去年は「クレージーガール」をテーマに、カザフスタンからベリーダンサーのエンマを呼んだ。いままで大道芸というと、欧米というイメージが強かったのだが、アジアという視点を入れたところは、福田さんらしい。今年は「家族」がテーマ、ロシアの5人だけのファミリーサーカスが大評判をとった。
来年は、ペリー来航150周年を記念して、「アメリカ」がテーマになるようなのだが、カーボーイでも呼びましょうかというスタッフに対して、野毛は「闇市」で活気づいた街、スタッフみんなに進駐軍の格好させればいいんですよと言い放った。さすが福田さんである。
「めげない、こりない、あきらめない」が野毛のモットーと福田さんは言う。こんな精神があるから、この街で飲んでいると、元気がわいてくるのかもしれない。まだまだおやじたちが元気な街があるのである。


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