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【連載】ツィルカッチたち−アリーナの片隅で

第3回 『空中ブランコの神話−三回転への道』

 ここに紹介する原稿は、1996年『中原中也生誕90−1年祭』のパンフレットに寄稿したものである。
 いま思うとこのイベントも金にはまったくならなかったが、思い出深いものだった。山口在住の永井さんを中心に、中也祭をしたい、それにはサーカスだというとんでもない思いにとりつかれた人たちが、中也の詩の「ゆあーん、ゆよーん」というブランコのイメージだけを頼りに、3年間イベントをやり続けた。4月29日の中也の生誕日に、3年間空中ものを呼んできた。無茶な話だったが、とても楽しかった。
 このイベントのために3回パンフレットに、中也とサーカスにかこつけて、原稿を書かされた。中也とサーカス、フランスのヌーボーシルクについて書いて、ネタがなくなった時、最後に書いたのが、この空中ブランコの神話である。これは、フライング空中ブランコ、特に三回転という技に挑んだ芸人群像を書いたものである。

 いまルスツ・リゾートで公演している『ワールド空中サーカス』に出演しているフライング空中ブランコのチームの最後の技は空中三回転、よくもこんな高さがなく、距離も短いところで、この技をやるなあと思ったとき、三回転に魅せられた人々のことを書いた原稿を思い出した。三回転には限りない、ロマンと悲劇が秘められているのである。
 ルスツ・リゾートで公演している空中ブランコのチームのリハで何度も繰り返してやっていたのが、ミーシャが演じる三回転だった。三回転に賭ける思いがヒタヒタと伝わってきた。
 これを見て、どうしてもこの原稿を探さなくてと思ったのだ。
 いまから8年前に書いた原稿だが、そのまま掲載したい。


『空中ブランコの神話−三回転への道』

 中也の『サーカス』で「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と唄われているブランコの芸は、一人乗りのブランコでさまざまな曲芸をする、小一丁ブランコと呼ばれるものだと思われる。
 サーカスで「ブランコ」という芸というと、こうした一人乗りのブランコよりは、ブランコからブランコに飛び移る芸を目に浮かべる人のほうが多いのではないだろうか。
 「空中ブランコ」と呼ばれる、ブランコからブランコへ飛び移る芸を最初に演じたのは、レオタールというフランス人であった。レオタールは、パリのナポレオンサーカスで、空中から吊るされたブランコからブランコに跳びうつるという妙技を、初めて披露した。一八五九年十一月のことであったというから、サーカスの芸としては、比較的新しい芸だといえるかもしれない。
 レオタール以降、空中に憧れたアクロバットの名手たちが、さらに高度な芸をめざして、挑戦を開始する。そしてそれは、空中ブランコ伝説の芸「三回転」をめぐって、さまざまなドラマを生み出していく。
 ここで「三回転」に挑んだ芸人たちの栄光と悲劇の足跡を見てみることにしよう。

 世界最初の三回転飛行を成功させたのは、レーナ・ジョルダンというリガ出身の女性であった。ブランコから跳び出したレーナの身体は、空中でボールのように三回転し、中台(受け手)の手にしっかりとキャッチされた。一八九七年のことであった。彼女は受け手の手から跳び出し、三回転し、また受け手の手に戻るという離れ技も演じたと伝えられる。
 次に三回転飛行を成功させたのは、アーネスト・クラークというイギリス人であった。アメリカのリング・リング・サーカスでデビューしたクラークは、四年間二回転半の飛行を演じ続けたあと、一九一○年三回転飛行を成功させる。
 三回転飛行は、サーカスの華となった。
 何人ものスターを夢見る芸人たちが、三回転に挑戦するが、ここでいくつかの悲劇が生まれる。クラークのもとで三回転飛行を学び、空中ブランコの若きスターとして脚光を浴びていた、アニー・レインは、一九二一年四月シカゴの公演中、三回転に失敗、ネットに頭から落下、命を落とす。二十二歳という若さであった。華やかで、観客の視線をひきつける芸だからこそ、そのかげには大きな危険がひそんでいるのだ。
 しかしなんといっても、空中ブランコ最大の悲劇とされるのは、メキシコの生んだ空中スター、アルフレッド・コドナの物語であろう。

 一九一九年三回転に成功したコドナは、一躍リング・リング・サーカスのトップスターにのしあがる。二八年には「サーカスの女王」と呼ばれていた、空中アクロバットのスター、リリアン・ライツェルと結婚。トップスター同士の結婚ということで、たいへんな話題を呼んだ。
 しかし人気の絶頂にいたこのふたりにやがて悲劇がおとずれる。結婚してわずか三年後の一九三一年、コペンハーゲンで公演していたリリアンは、テントのてっぺんから吊るされた輪を掴んで回転するというお得意の芸をしている最中、輪がはずれてしまい、頭から墜落し、二日後に死亡する。
 この痛ましい死の二年後、別の空中アクロバットの芸人と再婚していたコドナは、三回転飛行に失敗、両手の筋を損傷してしまい、二度と演技のできない身体になってしまう。この事故のあと、コドナの生活は一変する。妻と争う日が続き、生活は荒れる。離婚をせまられていたコドナは、調停にあたっていた弁護士事務所で、突然ポケットからピストルをとりだし、妻を撃ち殺し、自分もピストルで自殺する。一九三七年のことであった。世界最高の空中ブランコの跳び手といわれた天才アクロバットの、あまりにも悲しい最期であった。

 観客はこんな悲劇をすぐに忘れ、また新たなスリリングなショーを求める。それに答えるように三回転を越える技の探究が始まる。アメリカ人トミー・スティルは、一九六二年メキシコで三回転半飛行に成功した。究極の芸「四回転」飛行に最も近い男といわれていたが、演技中に失敗、足から落下、下半身が麻痺し、四回転は幻に終わった。
 この幻の芸「四回転」飛行を成功させたのは、リング・リング・サーカスのスター、ドン・マルチネスであった。一九七五年モナコのモンテカルロで開かれたサーカスコンクールで、初めて四回転に挑戦したマルチネスは、わずか数センチのタッチの差で失敗したが、二年後に成功し、世界をあっといわせた。

 わずか一瞬の芸のために、三回転を夢みた芸人たちは、ギリシア神話で翼を求めたイカロスにたとえられるかもしれない。華やかなスポットライトに照らしだされる「空中ブランコ」に、「三回転」さらには「四回転」と、重力の法則に逆らう究極の芸に、命を賭けて挑んだ芸人たちの物語があったことを思い出してほしい。


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