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クマのコスモポリタン紀行

第12回 秋田の旅

【前編】追分・秋田――菅江真澄を求めて

2008年7月6日(日)

 5時半起床。予定通り8時38分東京発のはやて・こまちに乗車。今回持参した本は二冊。『菅江真澄遊覧記』第5巻と、内田武志著『菅江真澄の旅と日記』なのだが、一頁も開くことなく盛岡まで爆睡。盛岡からはやてを切り離し、電車は一路秋田へ向かう。秋田新幹線でこれから先に乗るのは初めてだったのだが、何のことはないこまちは田沢湖線を走っていく。いまから20年以上前に冬の田沢湖を見にこの路線を走ったことがある。新幹線だと車窓からは景色を見る楽しみはないのだが、在来線だとそれができる。すっかり熟睡し、目もさめ、車内販売のまずいコーヒーを飲みながら、車窓の景色を楽しむことにする。新緑が美しい。

 今回の旅の最大の目的は明日7月7日東湖八坂神社で行われる「くも舞」を見ることである。何故「くも舞」なのか、それは何年か前に読んだ『つく舞考』にこの芸能のことが紹介されてあり、ずっと気になっていたこともある。『つく舞考』に導かれ、一昨年竜ヶ崎で初めて「つく舞」を見た。これについてはすでにデラシネでも書いている(「サーカスのシルクロード」第2章 龍ヶ崎で「つく舞」を見る)が、この芸のルーツになったものは何か、それをたぐりよせたい、そのことからサーカスのシルクロードをたどれるのではないかという漠然とした思いがある。

 でも秋田まで来たのはそれだけではなかった。菅江真澄がこの祭りについて詳細な報告を書いていたのを知ったからだ。菅江真澄が歩いた東北の道を歩きたい、それは自分のライフワークだという啓示を受けたのは、『菅江真澄みちのくの旅』を読んでからだった。これを読んで猛烈に東北を旅したいと思った。何故かはわからない。でも天からの啓示だと自分は思いこんでしまったのだ。去年突然下北の旅を思い立ったのは、この本を読んだからである。何故菅江真澄なのか、どうして彼が歩いた道を歩きたいのかわからないのだが、これは自分がやりたかったことという確信があった。何かが自分を東北へ誘っている、ということもあった。
 菅江真澄は柳田国男や宮本常一が評価するように民俗学の始祖といってもいいだろう。彼は旅するなかで、民俗だけでなく、出会った市井の人びとのことを克明に書き記している。菅江真澄は柳田国男のように民俗学を確立しようなんて気持ちはまったくなかったはずである。彼にとって大事なことは、東北の村々を歩くこと、そしてそこで自分の目で見たものを記録するということであった。今回の旅では、そんな真澄が歩いた道をちょっとでもいいからまず歩いてみて、彼が見たものを見ることができればいい。いずれにしても菅江真澄を追う旅はきっと長い旅路となるのは間違いないであろう。そんなことに車窓を眺めながら思いを馳せていた。

男潟
男潟

 大曲でこまちは逆方向に走ることになる。そして12時38分秋田駅に到着。いまから20年近く前に来たことがあるのだが、ほとんど記憶はない。立ち食いそばでも食べようと思ったのだが、タバコも吸いたいし、まずは男鹿線のホームまで行くことにする。1番線の男鹿線は、2番線と共用しているようでホームの一番奥にあった。すでに電車は入線していた。食べるのはあきらめてタバコを一本吸って、電車に乗る。12時57分出発。目的地の追分駅には13時09分着。予想通り駅前には何もない。
 今日の目的は秋田県立博物館にある菅江真澄史料センターを見学することなのだが、県立博物館だから駅に道順を書いた案内板ぐらいはあるだろうと思ったのに、見事に何もない。ネットで地図を見ていたのでだいたいの方向は分かっていたので歩き始めたのはいいが、その方向に行くために線路を越えなくてはいけない。それに四苦八苦、結局30分ぐらいかかってやっと踏切を見つけ、線路を渡ることができた。甲子園にも何度かでたことがある金足農業高校の前を通り、博物館がある小泉潟公園に向かう。日差しがキツイ、蒸し暑い。汗でびっしょりになる。
 大きな道路を渡ると、右手に女潟と呼ばれる湿地帯、そして左手に男潟と呼ばれる沼が見えてきた。おおきな公園のようだ。日曜日ということもあり、駐車場はそこそこ一杯になっている。入館料が無料というのはありがたい。菅江真澄資料センターの場所を確認して、まずは腹ごしらえ。軽食コーナーは人で一杯、カレーを注文するが、結構待たされる。出てきたカレーにびっくり、どうも最後らしくこってりと煮込まれというか、煮込みすぎ、味も塩辛いし、カレーの量が多すぎ。喉が乾きそう。とにかく腹ごしらえができたので、一階の菅江真澄資料センターに向かう。

 菅江真澄の足跡を追いながら三河から始まり、出羽、陸奥、下北、蝦夷、秋田と彼が残した日記や手紙など(ほとんど複製)を展示・紹介してある。下北のコーナーには、昨年佐井村の渋田さんの家で見せていただい真澄直筆の手紙の複製もあった。なによりもありがたかったのは、その旅の足跡を追った映像資料である。それぞれのコーナーに再生装置が置かれ、一本7〜8分の映像が流される。これを全部見たので、結局1時間以上滞在することになった。驚いたのは真澄が男鹿を訪ねたときにその漁法を克明に描いた八郎潟の氷を割って魚を捕る漁法が、昭和30年ごろまで行われたという映像だった。伝統漁法がつい最近まで行われていたことの驚きもあったが、半端でない魚が捕れているのにびっくりした。最初の頃は何人かお客さんも入ってきたが、あとの方は完全に貸し切り状態になっていた。
 菅江真澄が各地で出会った人々の名前を記した東北地図もあった。遊覧記を読んでいて、真澄が会った人物のことが気になっていたのだが、この地図はそれをまとめたものだけにコピーが欲しいぐらいだった。最後のコーナーは菅江真澄を現代に蘇らせた研究者たちの紹介、この最後を飾るのは今回持参した本の著者でもある内田武志であった。『菅江真澄の旅と日記』のあとがきを読んで、彼が寝たきりの状態で研究を続けていたことを初めて知った。内田は「わたしはベッド一つが生活の場で、いつも原稿は自分の腹の上に載せた羽根枕へ菓子箱の蓋をたてかけて、やわらかい鉛筆で書く。普通の紙ではかたくて腕をいためるので、ごくなめらかな紙に6Bか8Bで軽く書いた原稿をいつもひとに頼んで清書してもらっている」と書いているのだが、その大きく書かれた原稿も展示されていた。東北を死ぬまでくまなく歩いた菅江真澄を追う人間が、寝たきりの状態であったことに胸がつまってきた。内田武志のことももう少し知りたくなってきた。

 この資料センターにはこうした展示以外に菅江真澄関係の図書を集めた(この中には内田武志の所蔵本もあった)スタディールーム、文献が簡単にPCで検索できる文献閲覧室もあった。スタディールームではひとりの人が文献を見ながらPCに何かを打ち込んでいた。ここには誰でも持って帰ることが出来る「真澄」というここで発行している小冊子も置いてある。菅江真澄研究者にとって、こうした拠点があることはいいことだろう。菅江真澄資料センターの隣には、秋田の先駆記念室というのがあったのでそれを覗いてみる。あきたゆかりの人物152人の業績やエピソード、遺品などが紹介されている。このなかにサーカス芸人鳥潟小三吉でもあったらすごいと思ったのだが、やはりなく、親戚筋にあたる医学者鳥潟隆三がとりあげられていた。

 気がついたら16時近くになっていた。追分から秋田へ向かう電車は、16時37分があったはず。その前にせっかくだから分館の旧奈良家住宅を見学することにする。ここは菅江真澄が滞在したところでもあるという。本館から男潟沿いの道を歩いていくと、立派な建物が建っている。中に入ってもいいというので係員の人の解説を聞きながら部屋を見て回る。襖や欄間などにも趣向が凝らされており、これを建てた人の趣味の高さがわかる。真澄もこの部屋で主人と一緒に和歌を詠みあいながら時を過ごしたのだろう。

旧奈良邸
旧奈良邸
旧奈良邸内
旧奈良邸内

 電車の時間もあるのでちょっと速歩で駅まで向かう。16時37分発の電車で秋田へ向かう。思いがけなくたくさん歩くことになり、全身汗まみれになっている。
 17時前に秋田駅に着く。案内所で、市内の地図をもらい、古四王神社の場所を聞く。歩いて行けるところではなさそうだ。あまり遅くなってもなんなのでタクシーで古四王神社に行くことにする。タクシーの運ちゃんの話だと、今年の秋田は暑く、雨が少ないという。ただ6月の中頃まではストーブがないと過ごせないほど寒かったとも。春とか秋という季節がなくなったような気がするとも言っていた。どこもかしこも異常気象ということだ。
 しかしメーターを見たら2000円近くいっている。そんな遠いところでもなかった感じがしたのだが、結構距離はあったようだ。

古四王神社
古四王神社
菅江真澄の歌碑(古四王神社)(クリックで拡大)
菅江真澄の歌碑(古四王神社)
(クリックで拡大)
仙台藩士殉死碑(クリックで拡大)
仙台藩殉死碑(クリックで拡大)
仙台藩士殉死碑の説明(クリックで拡大)
仙台藩殉死碑の説明(クリックで拡大)

 やっと古四王神社に到着。ここは菅江真澄研究会の所在地にもなっているので、なにか菅江真澄について資料とか誰か知っている人とかがいるかなとあたりをつけてきたのだが、それらしきものはまったくないただの神社であった。菅江真澄の歌碑はあったが、他はなにもなし、ちょっとかわされた感じである。
 いつまでいてもしかたがないので、10分ほど見学して市内に戻ることにする。国道沿いを歩けばバス停があるだろうと思い、市内に向かう道を歩く。仙台藩殉難の碑というのがあったので、のぞいてみる。バス停はこの近くにあった。あと10分ほどで駅行きのバスが来るようなので待つことにする。ガラガラのバスに乗り、今日泊まる「ほくと」というホテル近くのバス停で降り、チェックイン。ネットで予約したのだが、一周年割引ということでなんと一泊3000円という格安料金。部屋は広く、設備も整いラッキーという感じである。

 ちょっと横になり休んだ後、夕飯を食べに外へ出る。なんとなく匂いでホテルの前の川沿いあたりに飲み屋街があるのではないかと察し、そこを歩いてみる。案の定そうだったのだが、今日は日曜ということでほとんどの店はクローズ。わずかに開いていた何軒かの店のなかで、焼鳥屋に入る。比内地鶏の焼きとりをつまみながらビールと酒を二合ほど飲んで、ホテルに引き上げる。朝も早かったし、暑かったので少しバテたようだ。寝酒に持ってきたウォッカを少し飲んで、あとはバターンキュー、そのまま就寝。

つづく


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