クマの公演日誌

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2000年11月30日〜12月16日
山本光洋/シャムシュール/五人囃子解散 編


2000年11月30日(木)

10時品川にあるウクライナ大使館で、来年1月からキエフのサーカス学校に入学する五人囃子のよっちゃんのビザを受け取る。ここのビザ担当のおじさん、日本語がめちゃめちゃ上手なのだが、つまらない冗談を言うので、合わせるのに苦労する。
会社に寄ってから新潟に行こうと思ったのだが、なるたけ早く新潟に入ってもらいたいといわれたので、ここから直接新潟に向かうことにする。
上越新幹線に乗るのは、実に久しぶり。一寝入りしたあと、読みかけになっていたマクベインの87分署シリーズ『ビッグ・バッド・シティー』を読みはじめる。あともう少しというところで新潟に着く。やはりちょっと寒い。タクシーで新潟市民芸術会館へ向かう。運転手のおばさんにいろいろ話しかけるのだが、87分署の続きを読むのに夢中、ほとんど無視。
最後事件が解決して、主人公のキャレラが、相棒のブラウンと酒を飲みながら、昔のことを思い出すシーンに胸がジーンとしてくる。思えば結婚した直後にこのシリーズを読みはじめたわけで、あきっぽい自分としては珍しくずっと続けている。キャレラの回顧談を読む内に、自分の過去がだぶってきた。タクシーが会館に着いた頃に読了。
この会館とにかくでかい、今日の公演はスタジオBというところで行われるのだが、迷路みたいなところで、迷子になりそうだ。スタジオに入ると山本光洋がばあたりの真っ最中。客席で見ていた、今日共演する手塚と挨拶。今日の公演は、プランビーのプロデューサー斉藤朋のプロデュース。
斉藤君の話しだと、昨日手塚が夕方のローカルテレビ番組に出演、光洋ちゃんもワークショップをしたこともあって、今日になって40枚ぐらい切符が売れたらしい。120席の客席もほぼ満員になるらしい。パントマイムを新潟でするのに、動員のことを心配していたが、どうやら杞憂に終わったようだ。
ばあたりのあと、ゲネ。どうもばあたりといってもほぼゲネに近いことをやったらしい。今日は光洋ちゃんも手塚君も、音響も照明も本番を入れて三回公演したのと同じ。
手伝うことはあまりなさそう。ゲネ終了後、席を少し増やすということで、椅子並べをちょっと手伝う。
会館の人に演劇ホールを案内してもらう。九百人の演劇ホール、二千人のコンサートホール、能舞台、スタジオがふたつ、贅沢を尽くした劇場だ。
楽屋で弁当を食べて、本番。一番うしろの席から見ることに。
ほぼ満杯。お客さんの反応もなかなかいい。光洋ちゃんが、タイトルを書いたスケッチブックを片付けのを忘れたり、ネクタイをするのを忘れたりとか小さなミスがいくつかあったが、全体的にはなかなかいい出来だったと思う。
公演後ホテルに寄って、打ち上げ会場に、光洋ちゃんと手塚君と先に行く。ふたりに聞くと、昨日も同じところで、3時ぐらいまで飲んでいたらしい。演劇仲間がよく集まる店らしい。なかなか感じのいい店だった。後片付けを終えた、照明さんや音響さん、斉藤君、会館の事業課の人たちも交えて、飲み会。ここでずっと白州の身体気象農場にいたダンサーの堀川さんと久しぶりに会う。二年前から白州を引き上げ、新潟に戻って活動しているという。
ここでダンスや演劇のプロジュースをしている文化現場の小川さんと知り合う。地域で文化事業をやっている人が必ずいるものだが、小川さんもいまはプロデュース業を本職としているという。こうした人たちの力を借りないと、マイムとか、ダンスとかマイナーなジャンルのパフォーマンスものはなかなか地方では難しい。
結局朝2時すぎまで、酒を飲む。
翌朝9時朝食を食べ、新幹線で東京に戻る。さすが新潟だと思ったのは、ホテルのロビーにロシア人が群がっていたことだ。おそらく昼ぐらいの飛行機でハバロフスクに戻る一行なのだろうが、視察とかではなく、グループ観光のツアーのような感じだった。

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2000年12月5日(火)

上野発10時の特急に乗車。常磐線に乗るのは久しぶり。水戸までわずか1時間強で着いてしまうという。早いもんだ。
水戸駅に着くと、キグレサーカスの小野社長がお出迎え。車に乗ってまずは昼飯ということで、サーカス会場近くのそば屋さんへ。サーカスの人たちは本当に美味しい店を探すのが上手だ。ここのそば屋もなかなか美味しかった。食事のあと、サーカスの公演会場に。千波公園の近くでなかなか場所はいいと思うのだが、それほど今回は人が集まらなかったらしい。
二回目の公演が始まるまで、小野さんと雑談。いまはサーカス会場を探すのが、大変だという。これだけ大きい所帯になると、場所もそう簡単には見つからないという。駐車場も必要だし、団員のワゴン車もかなりの数になる、特に大きい都市での公演を打つ時は、場所探しが一番の問題だということだ。
今日はいまキグレに出演しているロシアのクマのチームのリーダーのシャムシュール(クマとは何者かのクマの写真参照)と会ってもらいたいということで、水戸まで呼ばれていた。水戸公演が終わると、いったん契約を終えるのだが、その後の話しについて説明してもらいたいということだった。
シャムシュールとは、2年前の相模原公演の時知り合い、言葉や生活でなんか困ったことがあったら、いつでも相談にのるよと言ってしまい、それから度々いろんなことで相談にのっていた。契約がここで終わるというのは、前にちらっと聞いていたのだが、本人は5年ぐらいはやりたいと言っていたし、キグレ側もかなり気に入っていたようで、何故こんなことになったのか不思議だったのだが、なんのことはない、来年3月に再契約をするという。今日はその辺の話しを通訳して欲しいといをことだった。
3時の公演を見る。相模原の時とは番組の構成が若干変わっていた。嬉しかったのは、日本の伝統芸羽根だし(肩芸)をやっていたこと。こうした伝統芸に挑戦する姿勢はとてもかえる。全体的には、うすあじのあっさりした味付けで、物足りない部分がかなりある。あとふたつ三つ濃い目の演目が絶対に必要だと思う。ひとつひとつの芸があっというまに終わってしまうのはちょっと問題だと思う。
公演後事務所で、再契約についての話しをシャムシュールを交えて2時間ぐらいする。お互いに納得してくれた。
駅の近くの焼き肉屋でシャムシュール、小野さん、芸能部長の木暮さんと食事。公演の感想を素直に言うと、シャムシュールも普段から感じている芸の内容への不満について意見を述べる。アルコールも入り、いろいろ意見が飛び出す。木暮さんもいろいろやりたいことがあるようだし、なんといってもキグレサーカスは、平均22歳という若さが一番の売り、現状に満足するのではなく、どんどん新しいことに挑戦してもらいたいと思う。小野さんもシャムシュールや木暮さん、私の意見に耳を傾け、こんな風にやってみようとか言いだした。こうしたやりとりが必要なのだと思う。
12時過ぎ、車でホテルまで送ってもらう。翌朝9時すぎの特急で東京に戻る。お土産はもちろん納豆。

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2000年12月16日(土)

14時半に浅草の雷門で大野と待ち合わせ。東村に行く前にうなぎを食べることに。ネットで調べていた小柳屋という店で、鰻重の竹を食べる。なかなか美味しかった。仲見世をふらふらしながら、3時過ぎに東武浅草駅へ。五人囃子最終公演観覧ツアー希望者で、浅草発赤城行きの急行に乗る人は20数名いたが、ふたりを除いて、皆には事前に切符を送っていた。携帯で連絡をとりながら、このふたりに切符を渡し、急行の一号車に乗車。名簿を見て、ほとんどがツアーの人であることがわかり、発車してすぐに、参加者のみなさんにあいさつと、今日の段取りを説明する。
17時すぎに赤城に到着。打ち合わせではここから歩いて私と大野が引率して劇場まで行くことになっていたのだが、関口さんがバスで迎えに来てくれていた。バスの中で、関口さんと大須賀が挨拶。
今日の公演会場は、大間々町にあるながめ余興場という大衆演劇用の小屋。花道もあれば桟敷席もある、しかも床暖房の設備付。すばらしい劇場だ。
仙台から6月の公演でお世話になったおやこ劇場の加藤さん、舞台を手伝ってくれた八巻さん、伊藤さんも車で駆けつけてくれた。観劇ツアーのメンバーの他にも、東京や静岡、岐阜などから来てくれた人がたくさんいた。いわいる群馬県以外から来た人は、七十人近くいた。たいへんなことである。五人囃子解散というニュースは、地元の新聞で大きく紹介されていたこともあって、お客さんがどんどんやってくる。いい公演になりそうな予感がする。
開演前に西田の挨拶がちょっとあって、公演がはじまる。私は去年の初演の時と同じようにビデオ撮影を担当する。
9月にひとりメンバーが変わっているのだが、新メンバーでの公演は初めて見る。新加入の志保が、なかなかいい味をだしている。前のメンバーのハナが、カンフー娘を演じてなかなか人気だったが、志保は、読書好きのキャラを演じ、ハナとはまた違う味を出していた。ずっと見てきた西田の話しを聞くと、今日が新メンバーになって一番いい公演だったというが、実際いい公演だった。
公演後ツアーの人たちは打ち上げ会場のカラオケスナック、山峡へバスで移動する。このカラオケスナック、山の上にあり、満員のバスが登りきれなくなり、途中から全員バスを降りて、歩いていくという一幕も。
五人囃子のキャスト、スタッフ、西田、関口は、跡片づけがあるので、先に宴会を開始することに。
しかしよく集まったものだ。六十人近くの人たちが宴会に集まった。皆がそろうまで、テーブルをまわってご挨拶をする。
11時半ぐらいにメンバー以下全員そろって、また乾杯。
五人囃子のメンバーひとりひとりの今後の抱負から始まって、あとは王様ゲームのようにスピーチした人が、次のスピーチする人を指名するというやりかたで、次々に今回の五人囃子解散への思いをしゃべることに。五人囃子のメンバーは、解散ということの寂しさというよりは、やっと終わったせいせいしたという感じがありあり。逆にいろいろなかたちで五人囃子と関わってきた人たちから解散を惜しむ意見が多く出された。中には、途中でやめるって少し無責任だよみたいな意見もあったし、ウクライナツアーに同行した関係者からは、西田への批判も出された。この中で印象的だっのは、通訳としてウクライナに同行した小原さんが、涙ぐんでいたことだ。妹みたいに五人囃子を可愛いがっていたので、無理ないのかもしれない。
2時すぎにお開き。今日は参加者が多くて、民宿二軒に分宿することになっていたが、私は仙台から来た加藤さんたちと一緒の民宿へ。民宿のおばさんは迷惑そうだったが、一階の居間で、また宴会が始まった。3時半ぐらいには、二階にあがり、就寝。みんなはかなり遅くまでやっていたようだ。
翌日は、9時に朝飯(赤飯だった)を食べ、歩いて神戸駅へ。ツアー参加者の四人と一緒にわたらせ渓谷鉄道、東武鉄道をつかって、浅草に戻る。

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