クマの公演日誌

前の日誌へ クマの公演日誌 Topへ 次の日誌へ

2000年11月24日〜11月28日
リトルワールド ラスベガスサーカス帰国編


2000年11月24日(金)

 10時23分新横浜発のひかりに乗車。車中で少し寝たあと、沢田隆治編『小菅一夫が見た浅草』を読み終える。
 12時1分名古屋着。会社から電話。舞台道具をアメリカに送るにあたって、書類が来てないと、名鉄から電話があったらしい。月曜日のピックアップの時に、すべての書類を渡すという打ち合わせになっていたので、名鉄に確認の電話する。打ち合わせた通りのスケジュールでいきましょうと再確認。
 12時17分着のひかりで到着した武村氏と共にリトルに向かう。
 今回は武村氏の親会社がつくる予定の新しい施設のソフトとして、サーカスをとりあげたらどうかと提案するための視察に、ラスベガスサーカスを見ることになった。
 犬山駅で偶然、モンゴル・クラウンのハトガーと会う。これから名古屋で仕事だという。私が犬山にいる間に一回会おうということにして、別れる。
 リトルに、13時30分ちょっと前に到着。すぐに野外ステージに。すでに客席は超満員。武村氏も平日にも関わらず、これだけたくさんのお客さんが入っていることにかなりびっくりした様子。アクトの中ではアーチェリーに驚いていた。
 公演後楽屋に行く。今日はみんないま刈谷でやっているザ・ポップ・サーカスを見に行く予定らしく、かなり急いで帰り支度をしていた。空中ブランコのジンジャーから航空券を預かり、また明日ということに。
 武村氏と近くの韓国亭で遅い昼食をとったあと、園内を案内する。
 16時35分のバスで犬山に戻る。武村氏とはここで別れ、ホテルにチェックイン。1時間ぐらい昼寝。
 起きて、前に田中氏より教えてもらった半身浴を試してみる。エド・マクベインの87分署シリーズ49作目の「ビック・バッド・シティー」を読みながら、30分ぐらいに半分だけ身体をつけて入浴。20分ぐらいしてから汗がしたたり落ちてくる。
 20時ころ志保さんから電話、一緒にお好み焼き屋へ行く。
 いろいろあったラスベガスサーカスの話に耳を傾ける。今回ぐらい辛い思いをしたことはなかったという。いままでいろんな国のサーカスのメンバーと仕事をしてきたが、これだけ大変な思いをしたのは初めてだったという。みんなの自己主張があまりにも強かったのに、ついていけない部分もあったし、みんなが自分にすべてなんでも言いに来るのにちょっとまいったようだ。
 でもとにかくあと2日というところまできて、この大変さを乗り越えてしまったという自信のようなものが感じられているのも事実。たくましさを感じた。
 22時ぐらいに別れる。この日はビールを3杯だけ、今週は飲み会が続いたので、胃が疲れているようだ。23時過ぎに就寝。

このページのTopへ

2000年11月25日(土)

 8時半起床、なんと10時間ちかく寝たことになる。朝食をとって、10時35分発のバスでリトルへ。バスに乗っている間、ウォークマンで元気いいぞうのライブのMDを聞く。今度プラコメスペシャルで小出直樹と景気いいぞうのジョイントライブを企画している。少し毒のある笑いをプロデュースしたいと思ったときに、真っ先にこのふたりが頭のなかに浮かんできた。来週打ち合わせをすることになっているので、もう一度聞いておきたかった。
 リトルに11時頃に到着。上の駐車場はほぼ一杯。事務所に寄って挨拶して、すぐに野外ステージへ。ほぼ満員、昨日よりは反応がずっといい。昨日はほとんどが団体客、そのせいがあるのかもしれない。
 この仕事をしていて何が楽しいかといったら、観客のワッーという歓声。BMXショーでステファンがジャンプするところ、アーチェリーのオープニング、そして背面撃ち、最後のクロスボーのところで、アッーという歓声がまきおこる。
 大野が井上さんを連れて見ていた。アーチェリーのエリサは井上さんのことを知っていた。二十年前空中ブランコのメンバーとして日本公演に参加していたのだが、この時井上さんがこれを呼んだ会社で働いていたのだ。
 公演後アーティストからパスポートとエアーチケットを預かる。
 大野と井上さんと三人で韓国亭で昼食。
 このあとふたりは刈谷のポップサーカスへ。私は事務所でパスポートとチケットをコピーする。
 ジンジャーのチケットの日にちを変更するために、このまま名古屋へ。
 栄のジャルプラザで、日付変更してもらったあと、本屋を三軒ハシゴ。丸善の前にかなり大きな本屋ができていた。
 18時すぎに犬山に戻る。駅近くのきしめん屋で味噌にこみキシメンを食べる。イトーヨーカドで買い物をしてホテルに戻る。
 またマクベインの本を読みながら、半身浴を楽しむ。主人公のキャレラももう四十才だ。
 「サタスマ」で中居君がサルティンバンコに出演しているウクライナの子どもと半日遊ぶというコーナーがあった。
 レザーノフの『日本滞在日記』の重版にそなえて、少し直しをする。
 犬山二日目も静かなもんだ。12時前に就寝。

このページのTopへ

2000年11月26日(日)

 7時起床。久々にジョギング。今日は木曽川沿いを走ってみる。寂光院の近くでUターン、およそ10キロのコースだが、なかなかいいコースだった。シャワーを浴びたあと、朝食。走ったあとは飯がうまい。
 10時すぎに犬山駅に、バス停の前は長蛇の列。11月最後の日曜日、しかも快晴ということもあるのだろう。ラスベガスサーカスの公演も九月は例の大雨、さらには週末はいつも天気が悪く、来客者も前年をおおきく下回り、ハラハラしていたが、11月は天気も続き、事務所の来客数を書いた黒板を見たら、だいぶ取り戻したようだった。
 11時リトルに到着。ステージは立錐の余地もない、外の芝生でショーを見ることなく、ただ時折おこる歓声や拍手を聞くだけ。
 一回目のショーが終わったあと、大野がやって来る。今日のラストショーで、メンバーではなく、3カ月間大変な思いをして仕事をしていたMCの志保さんとPAの京子ちゃんにメンバーから贈る花束を買ってきてくれた。これはいい思いつきだ。
 昼はインド屋でカレーを食べる。二回目の公演も満杯。福岡から来てくれた内村さんを公演後に発見、メンバーに紹介する。
 この時アーチェリーのロスが、そうだ記念に頭の上にリンゴを載せたものをアーチェリーで撃ち抜いてやろうといいだす。この男が何か言い出すと、拒否できなくなる独特のムードがある。まずは志保さんが標的に選ばれた。当然のことだがビビルのを見ると、ロスがリハーサルするからと言って、的に小さなシールを貼り、それを試し撃ちすることに。それが大きく外れたのを見て、志保さんは「ウソッー」と叫ぶも、ロスとエリサは志保さんの頭の上にリンゴを載せ、的の前に立たせるなど淡々と準備を進める。志保さんはもう逃げることも出来ず、観念してじっと矢が放たれるのを待つ。二メートルぐらい離れたところからロスが矢を放つ、リンゴのかなり上の部分を撃ち抜いた。ロスは慎重になりすぎたと言って、もうひとり誰かをといいだし、結局は私が選ばれ、リンゴを頭に載せられ、的の前に立たされる。志保さんや京子さんはいろいろお世話になりましたとか、大野はギャラはどこに入っているのとか、言っていたらしいがこの言葉は耳に入らなかった。ロスは今度はもっと遠くから撃とうと、3メートルぐらいのところからアーチェリーを構える。エリサがドント・ムーブと言い残して立ち去った。とても矢を正視できず、視線をロスの足元あたりに置いて、目をつぶる。的に矢が当たるブスッという音と共に、頭にリンゴの汁が流れたことで、矢がリンゴを射抜いたことを知った。本当に肝がつぶれた瞬間だった。ロスが例の高笑いをしながら、近寄ってきて、お前は立派な男だと肩を叩く。矢はリンゴのかなり下の方を射抜いていた。ラストショー前のちょっとした茶番であった。
 近くのカフェで内村さんとコーヒーを飲みながら、雑談。
 いよいよ「ラスベガスサーカス」最後のショー。超満員。もしかしたら最後なのでいつもと変わったことをするかもしれない、ということで、ビデオ撮影を頼まれる。ただやはり危険な芸が多かったので、そんなにおふざけははいらなかった。公演後所長からエリサに花束が渡される。そして打ち合わせどおり、志保さんと京子さんにメンバーから花束が贈られた。ふたりとも大感激。よかった。公演後ステージで記念撮影。エリサが矢が刺さったリンゴを持ってきて、私の頭に載せてくれた。
 公演後すぐに撤収。チェコの三人がジンジャーのブランコを外すのを手伝ってくれた。ただやはり時間がかかる。6時からさよならパーティーの予定だったのだが、30分ほど開始が遅れる。しかもトムとジンジャーはこれにも間に合わず、ふたりと大野を残して、パーティーを始めることに。
 最初に所長のスピーチ、サーカスを代表して最年少のマリアが簡単なスピーチ。このあとは私が乾杯の音頭をとるという段取りだったのだが、突然ロスがマイクを握り、長々とスピーチを始める。スタッフひとりひとりに感謝の言葉を述べはじめ、ハラハラしたのだが、ロスなりになにか感謝の意を表したいということだったと思ったので、そのままほっておく。志保さんのところで特別に長く、真心をこめて感謝の言葉を述べてくれた。これには志保さんも感激、あとであの一言で三カ月の苦労が報われたと言っていたほどだった。
 あとは8時ぐらいまで、のんびりとみんなと語り合いながら食事を楽しむ。いつもだったら余興なども入るのだが、今日はなし。こうしてゆっくり飲み食べたほうがこうした会ではいいのかもしれない。
 トムとロスたちにギャラを支払う。ふたりとも一枚一枚数える。公演後片づけの終わったフランスのステファンとチェコのヨセフにはギャラを払ったのだが、彼らは数えようとしなかった。これがアメリカ式なのかもしれない。トムが足らないと言いはじめたので、一枚一枚数えるのに付き合わされる。実際は間違っていなかったのでちょっとムッとしてしまったのだが、あとで大野が言うように、もらったあとに足らないと言われるよりは、こうしてお互いにチェックし合うのが、いいのかもしれない。
 途中でマリアとジンジャーが名古屋に行くため抜け出した。ふたりともポップサーカスで働いているアメリカの空中ブランコチームのメンバーと仲良くなったようで、名古屋で待ち合わせているようだった。
 リトルのスタッフが向かい合ってアーチをつくってくれた間を、メンバーひとりひとりが通り抜けるといういつもの儀式を終えて、タクシーで宿舎へ戻る。ロスとエリサは真っ直ぐアパートへ帰った他は、岩の茶屋で二次会。いままでこういう席にはほとんどいない珍しくヨセフパパもしばらく付き合ってくれた。ルビーのさよならパーティーの時のビデオをトムがまた皆に見せる。私がハローウィンだとだまされてひとりだけ宴会マンの衣装を着て、食堂に姿を現すところが映し出されると、また皆が大爆笑。
 トムが腕相撲しようといいだし、男どもを中心に腕相撲大会がはじまる。圧倒的な強さを誇ったのは、二十才のヨセフ。女性の腰ぐらいあるあの太い腕だ、当然である。
 12時ぐらいにひきあげる。大野と一緒に歩いてホテルに戻る。ホテルから皆のパスポートとエアーチケットのコピーを名鉄にファックスする。2時すぎに就寝。、音って、また、はニはこのヤ花束を贈ったらA歓声を天機。

このページのTopへ

2000年11月27日(月)

 10時近くまで、寝ていた。12時にバス亭で大野と待ち合わせ。時間があったので、前に行ったことがある古本屋へ。ここは歴史書が結構をそろっている。前から欲しいと思っていた『ティチングの日本風俗誌』が3000円であった。ちょっと迷ったが購入することに。
 12時バス亭に行くと、大野の他に、ロスとエリサもいた。リトルに着いて、事務所に寄るものの、歳事のメンバーは誰もいない。ステージで車が来るのを待つ。ステージのラスベガスサーカスの看板は下ろされている。誰もいない客席で枯れ葉が、舞うのを見ると、なにか祭のあとのような感じがしてくる。エリサもロスも寂しい光景だねってつぶやいていた。
 13時の約束なのに、なかなかトラックが来ない。20分ぐらい遅れて一トン車のトラックが遠くに見えたので、行ってみたら、舞台道具をひき取りにきた車なのに間違いはないのだが、事務所がどこにあるのか探していた。かなりトロイドライバーのようだ。事務所に行くと、鈴木さんが来ていた。構内通行許可書をもらい、車に乗り込んで、ステージまで案内する。
 ドライバーは、ほとんど手伝うことがなく、ロスと鈴木さんと三人で、あの重たい荷物の箱を積み上げる。
 搬出後、韓国亭でロスとエリサ、大野と四人で食事。この時ロスが、自分のおじいちゃんの話をしていたのだが、これがなかなか面白い話だった。ロスのおじいちゃんは1930年代にカナダからアメリカに渡ってきて、サーカスの興業をしはじめたという。サーカスが華やかだった頃の話をおじいちゃんから聞かされたことを、ここでいろいろ紹介してくれたのだが、大野が、これは面白い、「サーカス新聞」で取り上げてみようと言い出すと、ロスはすっかりその気になり、アメリカに戻ったら、いろいろ資料を探してみると約束してくれた。ロスはサーカスファミリーの3代目になるが、エリサの方もサーカスファミリーの出で、これは古く6代目にあたるという。このふたりはバリバリのサーカスピュープルだったのだ。
 携帯にハトガーから電話。いま名古屋だという。6時には犬山に戻るというので、犬山に着いたら電話をもらうことにした。
 4時前に犬山に戻る。エリサとロスと別れる。大野は友人と会うために名古屋へ。私はホテルに戻り、昼寝。
 7時ちかくハトガーから電話。最初は焼き肉屋でもいこうと思ったのだが、ハトガーはウィスキイを飲むことを考えて、白木屋へ行くことにする。
 奥さんは確かもう時期予定日なはずなのだが、まだ生れる気配がないという。ビールを2杯飲んだあとに、ウィスキイをボトル一本頼む。ハトガーがウィスキイは久しぶり、この前ここで大島と飲んで以来だという。ということは約一カ月ぶりということだ。ハトガーは少し寂しいのかもしれない。酒を飲むっていっても、いまハトガーが一緒に飲める相手はあまりいないのかもしれない。モンゴルのサーカスにいた頃は、サーカスの仲間とあれやこれやいいながら飲んでいたのだろう。もう少し日本語ができたらまた違ってくるような気はするのだが、サーカスを肴に酒を飲む相手っていうとそう簡単には見つからないかもしれない。サーカスを生業とする人間は自分の回りを見てもそんなにはいない。
 なんだかんだとふたりでボトル一本開けてしまう。奥さんにも電話をしたが、きっとベロベロ状態だったと思う。
 11時すぎにホテルに戻る。

このページのTopへ

2000年11月28日(火)

 5時50分目覚ましの音で目が覚める。昨日の酒がまだ残っている。大急ぎでシャワーを浴びて、チェックアウト。6時20分鈴木さんが車で迎えにきてくれた。まずはロスのアパートへ。荷物はすっかりふたりが5階から下ろしていた。きっとたいへんだったと思う。ふたりを乗せて、岩の茶屋へ向かう。ロスがどうしたミキオ、今日はおとなしいじゃないかというが、二日酔いで頭がガンガンして、口をきく気にもなれない。
 岩の茶屋に着いたら、何故か知らない外国人がふたり、みんなの荷物を運んでいる。ポップサーカスに参加している、空中ブランコのメンバーで、マリアとジンジャーのボーイフレンドだという。ということはふたりは昨日、岩の茶屋に泊まり、別れを惜しんだということだ。荷物をバスに積み込み、7時前には出発。前の座席に座っていた大野が、「大島さん酒臭い」と大声をあげる。ここで鈴木さんとポップのブランコのメンバーはお別れ。マリアは涙ぐんでいた。
 バスの中では爆睡。一時間ほどで空港に着く。国内線だとばかり思っていたのだが、国際線でチェックインしなくてはならないといわれる。バスで国際ターミナルへ移動。9時のフライトで成田へ行くのだが、この時すでに8時半。国内線だから大丈夫かと思っていたら、荷物を全部ここでチェックインしなくてはならないということで、カウンターの係員はかなりパニくっている。8人で、しかもそれぞれ行き先が違うので、慌てていたようだ。こういう時は完全に傍観者になるに限る。ステファンの自転車も含め、かなりエクセスが出ると思ったのだが、係の人は計量するどころの騒ぎでない。男の係員が現れ、搭乗者は集まって下さいとかなり慌てている。通関の手続き、出国手続きを待っていたら、定時の出発に間に合わないということで、特別に案内してくれるらしい。いよいよお別れという場面で、みんなと抱き合って別れを惜しんでいると、この係員が、ノータイム、早くと急かす。確かにもう出発まで10分しかなかった。あわただしくみんなとお別れ。なんかあっという間のお別れだった。
 朝飯を食べようということで、空港内のレストランへ、大野、志保さん、アイクと4人で朝食をとる。
 9時過ぎに、ハトガーがいま世話になっている名古屋の大棟さんから電話、空港まで迎えに来てくれたのだ。昨日ハトガーと飲んでいる時に、今日会うと約束していたのだ。とりあえずレストランに来てもらう。かつては棒高跳びの全日本の選手だったというだけあって、堂々とした身体。自己紹介をしたあと、大棟さんの車で名古屋にある事務所まで行くことに。大野、志保さん、アイクとはここでお別れ。
 大棟さんは、プレジャー企画の社長さん。自分もクラウンが大好きで、いまはクラウンやクラウンの卵たちを抱えて、学校やイベントに派遣している。ハトガーもここでいまは仕事をもらっているし、若いメンバーに週に三回クラウニングを教えている。
 大棟さんは、実直そうな人。まだ31歳という若さ、いろいろ吸収したいという姿勢に好感をもつ。情報にはかなり飢えを感じているようだ。別れ際に、ハトガーがやって来る。彼も二日酔いがモロ顔に出ている。
 大棟さんの車で名古屋駅まで送ってもらう。
 こだまに乗り、1時間ちかく寝ているうちに、静岡に到着。コインロッカーに荷物を預け、市役所まで歩く。静岡の大道芸フェスティバル実行委員長の甲賀さんに電話、市役所の喫茶室で会うことに。17階にある喫茶室から、南アルプスや富士山が一望にできる。甲賀さんとは初対面。具体的な仕事の話というよりは、とりあえず自己紹介のような感じで1時間ぐらい話をする。
 16時35分のこだまに乗り、新横浜へ。ビールを飲んで、あとはまたひたすら寝るだけ。18時30分すぎに帰宅。

このページのTopへ


前の日誌へ クマの公演日誌 Topへ 次の日誌へ
デラシネ通信 Top