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クマの読書乱読 2001年7月

『出ニッポン記』
著者 上野英信   社会思想社(現代教養文庫) 1400円

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 久し振りによみごたえるのあるノンフィクションに出会えた。こういう書は、本当に励みになる。この本が書かれたのは、いまから20年以上前の1977年、著者の上野はこの10年後に64歳の生涯を終えている。
 この本を読もうと思ったのは、最近出た上野の息子さんが書いた父の思い出を綴ったエッセイ『蕨の家』を読んでからだっだ。なんとなく勘で、これは読まなくてはならないとピーンと感じるものがあった。
 日本という国が、戦後の大きな転換期にあった1960年代を象徴していたのは、安保闘争であったが、それ以上に労使が激突する激烈な階級闘争の舞台になっていたのが、福岡の三池炭鉱であった。
 安保闘争の左翼側の敗北、そして挫折感は、左翼の分派、分裂、思想のヘゲモニー争いなど、その後の反体制運動に大きな影響を与える。それは思想の問題であった。
 労働者側の敗北に終わった三池闘争は、いまでいうリストラを炭鉱夫たちに強いることになり、生活そのものの問題になっていた。彼らは、炭鉱という職場を失い、経営者側から南米移民という、選択肢を与えられる。何百人もの炭鉱夫たちが、国を、そして故郷を、炭鉱を追われて、この選択を否応なく選ばせられたという事実を、かつてその炭鉱夫として働き、この闘争の渦中にいた上野は、忘れることができなかった。
 生まれた国を追われ、職場を追われた、炭鉱夫たちの南米でのその後の生きざまを知ること、そしてそれを記録に留めること、それはノンフィクションの作家としての上野の義務であった。上野は、どうしても書かなくてはならなかった。そんな意気込みがひしひしと伝わってくる。だからここには書かなければならない、その宿命を自ら背負った上野の、切羽詰まった心情が、すべて込められている。
 スポンサーなし、まさに金をかきあつめて、二百日あまりの南米取材を敢行した背景には、こうした切実な思いがあったはずだ。
 この大著には、たくさんの個人の名前が出てくる。著者上野は、個人名をだしながら、祖国を追われ、炭鉱という職場を追われた人々が、何故南米まで来なければならなかったのか、そこで生きることはどういうことだったのかを真正面にとらえようとしながら、南米へ渡ることを余儀なくされたひとりひとりの生きざまを書き残そうとした。その慈しむような書き方に胸をしめつけられた。
 この書の大きなテーマは、棄民である。炭鉱夫たちを南米へ追いやった日本という国家、三井という資本家たちの犯罪を炙り出しながら、その棄民政策を声高に非難するのではなく、棄てられた無名の人々の生活を、丁寧に追いかけることで、人間の尊厳を守ろうとする上野のとった手法に、感銘を受ける。
 この「出ニッポン記」は、私にとって、ノンフィクションの本来のありかたは、あくまでも「個」として生きた人間のルポを書くことではないか、そんなことをあらためて思い起こさせてくれた書でもあった。


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