月刊デラシネ通信 > サーカス&パフォーマンス > パフォーマンス > クマの2000年のベスト5(ステージ編)

週刊デラシネ通信 今週のトピックス(2000.12.25)
今年の収穫−クマの今年のベスト5(ステージ編)

 今週は、私が今年見たステージのなかで印象深かったものベスト5を選んでみました。

1.「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」
2.「BPズーム」
3.「NANTA」
4.「チュルタギ」
5.「トリトン」

NHKのドキュメンタリー番組『小さき人々の記録』
秋野豊『ユーラシアの世紀』
映画『ルナ・パパ』

1.「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」9月1日東京国際フォーラム

 やはりなんといっても今年一番のステージは、ブエナ・ビスタ。映画も良かったけど、生のステージで見る三人のおじさん、おばさんたちは、実にチャーミングで、熱ぽかった。ゴンザレスおじいちゃんのピアノの軽やかさ、そしてオマーラおばちゃんのエキサイティングな歌と、そして踊り、最後に出てきたハンチィングの涙目のフェレールおじさんの艶ぽい、甘い声。
 音楽の楽しさを存分に味わったのは実に久し振りだった。一緒に見に行った人の話を聞くと、興奮して私は、ピョンピョン飛び上がって、歓声をあげていたとのこと。こんなに熱狂させてくれたのは、彼らが単純に音楽を愛し、それに魂を吹き込む、そんなオーラが身体全体から発せられ、それが聞くものに伝わってきたのだと思う。

2.「BPズーム」4月22日シアターΧ

 仕事として携わった「国際フール祭」にフランスから出演したふたり組のステージは、喜劇の醍醐味を教えてくれた。
 オープニング、トム・ウェイツの音楽が流れる中、雨の中車を運転するふたりが登場する。ワイパーをつかったギャグなど古典的ともいえる冒頭のシーンにぞくぞくし、そしてそのあとふたりが見せてくれる荒唐無稽な、まさに喜劇の王道をいくコメディーに、爽快な気分に浸ることができた。何か新しいことをしているわけでない、むしろ懐かしさを感じさせるようなギャグの連発、それを巧みに組み立てていく構成の見事さ、発想の飛躍、練りに練られた喜劇だとは思うのだが、こむずかしさがなく、流れるような展開は、まるでキートンの無声映画を見ているようだった。

3.「NANTA」1月14日青山劇場

 韓国が発見した新しいパーカッションパフォーマンス。宴会場の厨房を舞台に、コックに扮した4人のアーティストが、鍋、包丁やボウルなど、なんでも叩いてパーカッションにしてしまうという設定を思いついたプロデューサーのアイディアの勝利なのかもしれないが、演じる側の熱気が客席にも素直に伝ってくるところが、このパフォーマンスの見所。アメリカの「STOMP」も同じようになんでも打楽器に代えて、演奏していたが、STOMPの方は、緻密な構成とアンサンブルに支えられているのに対して、NANTAは荒々しいまでの押し出すようなビート感が、魅力。
 新しい韓国の魅力を十分に伝えてくれる。

4.「チュルタギ」10月2日韓国・安東市

 「NANTA」が新しい韓国の魅力を伝えるのなら、チュルタギは1300年の伝統を誇る大道芸。綱渡りという離れ技のなかに、客とのやりとり、風刺、即興をとりいれ、ひとつのエンターテイメントをつくりあげる。韓国風の優雅な舞の身のこなしとスピード感あふれる跳躍技が見事に一体化した。
 キム・デギュンというまだ若いアーティストは、この芸を守るということにストイックなまでにこだわる。そんなこだわりが、とても新鮮に感じられた。

5.「トリトン」10月26日世田谷パブリックシアター

 ドゥクフレらしい遊びの精神が満載されたステージだった。サーカス小屋を模したステージで、ドゥクフレらしい奇抜なアイディアが、次から次へと、俳優たちによって肉体化されていく。肉体が、現実から遊離して、不思議な浮遊感の中で、漂っている、そんな風に見せることで、見る側の想像力をかき立ててくれるドゥクフレの演出の冴えが感じられた。


 これ以外印象に残ったステージ以外のものを列挙する。

NHKのドキュメンタリー番組『小さき人々の記録』

 ベラルーシのノンフィクション作家スベトラーナ・アレクシェーヴィチが追いかけたソ連人の小さき人々、庶民の記録を映像化したこの作品を通じて、アレクシェーヴィチと出会えたこと、私にとってはこの意義ははかりしれない。ソ連解体にともないいき場を失い自殺した人々、チェルノブイリを経験した人々、アフガン戦争からの帰還兵たちの生きた声を集め、ドキュメンタリーとして残す彼女の姿勢から、ノンフィクションとは何なのだろうか、ものを書くということは何なのだろうか、いま一度問いかけられた。そして自分が付き合ってきたソ連・ロシアについてもう一度考える機会を与えてくれた。

秋野豊『ユーラシアの世紀』

 著者は、98年国連監視団のひとりとしてタジキスタンに出向中に、何者かに殺害された政治学者。グルジア、チェチェンといったコーカサスがいま抱えている問題、そして中央アジアの今を、実際に現地に赴き、調査し、インタビューしながら伝えようとした著者の熱気が伝わってくる。危険を省みないその行動力が、著者を死に至らせたと思う。しかし彼が身をもって感じ、書き留めたこの書を通じて、ユーラシアのいまが、誰も教えてくれなかったその意義が、立ち現れてくる。
東西冷戦の終結と共に、中央アジア、コーカサスを結ぶユーラシアのいまが、どれだけ大きな意義をもっているのかを、まさに身を削って知らしめてくれたのが、この書である。

映画『ルナ・パパ』

 秋野さんが命を落とした地である、タジキスタンでつくられたこの映画の魅力、それは不条理を不条理として抱え込もうという迫力ではないかと思う。その意味ではユーゴ映画『アンダーグランド』と同じような迫力を持っている映画であるといえる。戦争という人と人が殺しあう非日常的なことが、現実としていつも生の隣合わせとしてあるタジキスタンで、愛を語ること、家族を語ること、生と死を語ること、宗教を語ること、それを混沌の中で描こうとする迫力、それがビンビン伝わってくる。混沌を引き受ける、混沌を受け入れる、こうした骨太な姿勢こそが、いま創造の世界で求められていることではないか、そんなことを思わせてくれた映画だった。


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