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【特別記事】クマのロシア通信

第3号 3月22日

 3月22日無事帰国。日本に着いてとにもかくにもホッとしている。
7泊8日の旅だったが、とにかく疲れた。モスクワではひたすら寝、クラスノヤルスクではとにかくまあよく動いたという感じだった。
最後の通信を・・・



3月21日クラスノヤルスク
 朝食をとって、荷物を片づけ、フロントで電話代の精算。まもなく金倉さんがやってくる。博物館のおばさんたちと別れる時に、11時に見送りに来ると言っていたのを思い出した。電話でお別れをしようと思ったのだが、やはりこれから来るという。10分ぐらいして、サブ・ディレクターとリューダのふたりがやって来る。お土産に、コマンドールレザーノフのウォッカをもらう。今度来るときは私たちが招待するし、ホテル代も食事も負担しますよと言ってくれた。
 金倉さんのジープに乗って、束の間のクラスノヤルスク観光。まずは丘の上の教会へ。これはクラスノヤルスクの日和山ともいうべきところ、見晴らしのいい場所にある。ここから今度は金倉さんが教えている大学の近くへ。静かな、白樺林の中にある。エニセイ川を見下ろしながら、ビールを飲む。気持ちがいい。
 ここから空港まで走る。空港には11時半すぎに到着。金倉さんたちと別れを告げ、チェックイン。飛行機は13時出発の予定、搭乗したあと、少し寝る。目が覚めたのが、13時すぎ。飛行機はまだ飛び立っていない。席はかなり前の方だったので、操縦室がよく見える。なにやらたくさんの人がそこに集まり、なんやかんややっている。そのうち技術的な問題で出発が遅れているという場内アナウンス。今日のモスクワからの便で帰国することになっているので、少しイライラしてくる。なによりもなにか飛行機のトラブルであれば、ちょっと間に合わなくなるかもしれない。それにスチュワーデスがかなりイライラしているのが気になる。
 そのうちに、猛スピードでベンツが飛行機の前に乗り付ける。ここから5人の男が下りて来て、飛行機の前の席に座る。そのうちにアナウンス、技術的な問題が解決しましたので、まもなく離陸しますという。なんのことはない、この男たちを待つために離陸を見合わせていたのだ。それにしても操縦室に技術者らしき人たちが集まり、いかにも技術的な問題があるようにカモフラージュまでして、ずいぶん手の込んだことをするもんだ。そういえばスチューワデスが、誰かに向かって「もうこれ以上私は説明できないわよ」と言っていた。悪びれる様子もなく、あとから乗り組んで来た男たちは、新聞を広げ、大きい顔をして座っている。それにしてもこの様子を見ていた乗客からなんのクレームもないし、説明を求める様子もなかった、みんな割り切っているというか、あきらめているというか・・・・これにもちとびっくり。およそ1時間半遅れて、離陸。これだとモスクワには、3時前には到着することになる。なんとか間に合うだろう。
 14時50分モスクワのドモジェワ空港到着。迎えに来てくれたA氏の車に乗って、シェルメチボ空港に向かう。ここから150キロぐらい離れているということだが、外環状線を通って、市内を通過しなくてもいい分、渋滞にあうことなく、17時すぎに到着。車の中で、A氏からイラク戦争の状況を聞く。
 空港で待っていたペーチャから書類や、ビデオを受け取る。そのままチェックイン。今回もまた荷物は結構あったのだが、エクセスもとられずに済んだ。ここまで見届けてくれたA氏とペーチャに別れを告げ、出国手続き。
 ここまで終わるとホッとする。免税店で家へ持っていくお土産を購入、予定の出発時間より1時間遅れで、搭乗開始。待っている間にビールを飲んでいたので、座席に着いてから、すぐに寝はじめる。とにかくここ3日ぐらいは睡眠不足が続いていたので、眠たい眠たい。

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