月刊デラシネ通信 > サーカス&パフォーマンス > パフォーマンスКИНО (キノ)を聴く > 第2回

【連載】КИНО (キノ)を聴く

第2回 「46」

 一部の人しか知らないロシアのグループのアルバムについて、自分はこう聞いて、こんな感想を持ったということを書いていたわけだが、これではまさに独り言以外のなにものでもない。ということでこの企画については、少しじっくり取り組むことにする。なにをするかというと、音を聞かせることができないので(もしかしたらできるのかもしれないが、これについては今後の課題)、歌詞を少しずつ訳していくことにする。今回は一曲のみだが、次回以降ひとつのアルバムにつき、3曲から4曲ぐらい訳詩を紹介したい。
 今回紹介するのは、私が好きな曲のひとつ『トロリーバス』。
 まずはアルバムのデーターと曲目を紹介する。

Виктор Цой(ビクトル・ツォイ) - ボーカル・ギター
Юрий Каспарян(ユーリー・カスパリャン) - ギター・コーラス (1-12)
Майк Науменко(マイク・ナウメンコ) - ギター (14, 15)
詩 - Виктор Цой(ビクトル・ツォイ)
曲・編曲 - Кино(キノ)
(14)は、詩- Владимир Болучевский(ヴラジミール・ボルチェフスキイ)、曲 - Сергей Курёхин(セルゲイ・クリョーヒン)
録音 - 1983年夏
録音技師− Алексей Вишня (アレクセイ・ヴィーシニャ)
A面:
1. Троллейбус (トロリーバス)
2. Камчатка  (カムチャッカ)
3. Транквилизатор (鎮静剤)
4. Я иду по улице (僕は通りを歩く)
5. Дождь для нас (僕たちのための雨)
6. Пора  (もう時間だ)
7. Каждую ночь  (毎晩に)

B面
8. Без десяти (10時前)
9. Музыка волн (波の音楽)
10. Саша (サーシャ)
11. Хочу быть с тобой (お前と一緒にいたい)
12. Генерал (将軍)
(ボーナストラック)
13. Стань птицей (鳥の巣)
14. Сельва
15. Я хочу быть (僕は生きたい)

 この2枚目のアルバムとなる『46』に収められている曲の多くは、このあとに出されたアルバム『カムチャッカのボス』にも収められることになる。ツォイ自身は、このアルバムをグループな正式なアルバムとは見なさず、『カムチャッカのボス』のデモテープ的な意味合いをもつものだとと語っている。録音自体も、スタジオで行われものではなく、アレクセイ・ヴィーシニャの自宅で、普通のテープレコーダーで録音されたものだった。実際に聞いてみると、音質も良くないし、録音を意識せずに、自然な感じで歌われており、いかにも身内でやっているという感じだ。
 前回のアルバムと同じで、ツォイのボーカル・ギター、ユーリーのギターとコーラスというデュオでの演奏である。シンプルで、ロックというよりはフォークのノリで、ベースギターの音が全編響きわたる『カムチャッカのボス』と比べたら、同じ曲でもまったく違う印象を与える。
 これを正式なアルバムと見ていなかったツォイのいい分もわかるような気がする。しかしこのデモ・アルバムは、ツォイにとっては、思い出深いものとなった。この演奏を最後に、メンバーのユーリーが退団してしまったからだ。デュオ編成のキノは、今度はロックバンドとして生まれ変わっていくのである。
 『46』の一曲目と二曲目の『トロリーバス』、『カムチャッカ』は、初期の『キノ』を代表する名曲といっていいのではないだろうか。私自身もとても好きな曲だ。どちらともあてもなく彷徨い歩くイメージが、モノトーンのなかで、わき上がってくる。
 『トロリーバス』を訳してみよう。

『トロリーバス』
ぼくが座る場所は左かわ、そこに座らなくてはならないんだ
なぜそこがそんな寒いのか、ぼくにはわからない
もう一年も一緒なのに、乗客たちのことはわからない
みんなどこに浅瀬があるのか知っているくせに、僕たちは溺れかけている
みんな希望をもちながら天井を見つめている
東へ行く、トロリーバス
東へ行く、トロリーバス
トロリーバス

全て人間はみな兄弟、僕たちは、第七の波
そして僕たちは、何故、どこへ行くのがわからないまま、走っている
僕の隣の人は、降りたいのに、できないでいる
彼は降りれない、道を知らないのだ
どのくらいもうけられるか、みんなで占っている
東へ行く、トロリーバス
東へ行く、トロリーバス
トロリーバス

運転席には運転手がいない、でもトロリーバスは進む
エンジンは錆びついている、でも僕たちは前に進んでいる
息もせずに僕らは座っている、一秒ごとに星が示すところを見つめている
僕たちは黙っている、でもこの方がいいことをみんなは知っている
東へ行く、トロリーバス
東へ行く、トロリーバス
トロリーバス

 「東へ行く、トロリーバス」というリフレインのフレーズが、切ない。目的もなく、でも期待を抱いて乗り込んだ客を乗せた、陸地を彷徨うトロリーバスが、とにもかくにも東へ向かっているというのが、なにか謎めいている。前回の『45』と同じように、このアルバムのトーンも、袋小路で出口が見えないまま、彷徨う若者の閉塞感が背景になっている。しかしその中で、「東」が、なにか出口のようなものになっているのではないだろうか。『三人姉妹』の有名なセリフ『モスクワへ、モスクワへ』ではないが、その逆で、東という辺境の地をめざして進んでいるところに、ツォイのなにか思いを感じる。それは、流れものとして生きることに対するひとつの意志表示のようなものかもしれない。


連載目次へ デラシネ通信 Top 前へ