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【連載】長谷川 濬―彷徨える青鴉

第13回 長谷川濬作品紹介3 「風の人」

 今回紹介する『風の人』は、1965年『作文』60号に掲載された小説である。昭和9年新婚生活を送っていた満洲の国境の町、ポグラニーチナを舞台に、長谷川にとって最初の子供となった長女嶺子が生まれたときの思い出が背景になっている。結婚する前の最初の喀血、嶺子誕生のエピソードなど実体験を軸にしているが、風のように現れ、風のように消えていく謎の満人が登場することによって、小説に奥行きが生まれている。国境での生活の緊張感、ここで暮らす若い夫婦の感情の機微、風の人との交流や国境で生きる人々を活写することで、多民族がうごめく満洲の一断面が見事に描かれている。戦後の長谷川文学のある到達点をこの小説のなかに見ることできる。
 戦後、もがきながら何を書くべきか彷徨をつづけてきた濬が、満洲を書くことを自分の定めとしたことで、戦後の呪縛から解き放たれ、ふっきれた感じさえする。戦前のころの簡潔で、凛々しい文体が戻ってきている。
 この作品について長谷川は日誌『青鴉』のなかでこんなことを書いている。

作品「風の人」は古風な物語です。或る奇妙な頭目と私の長女出生のエピソードでベールキン物語のような香気を放てば成功です。
主要な部分は満ソ国境生活の思い出で、恐らく私の若い時、最もたのしい思い出深いポグラニーチナヤで私がはじめて父となったよろこび、子の成長に伴い、一人の頭目との短い交流と彼の処刑で終わる短編。
プーシキン的、或いはメリメ的に書けたらと思いつつ執筆した作品です。
面白い処は処刑される頭目の老人が時々ふと現れて成長する子供(私の長女)をあやし、忽ち去って行くことである。この描写は簡潔で一つの無駄があってはならない。短い会話、動作、そして消えていく男。風のように・・・。

 「風の人」という満人の姿に、長谷川濬が本質としてもっていた無国籍的放浪者のイメージが重ねられているように思えてならない。

長谷川濬 作品3
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作品3