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【連載】玉井喜作 イルクーツク−トムスクの旅

第2回

玉井喜作は、真冬のシベリア街道を橇で横断続ける。寒さ、睡眠不足、そして下痢に苦しむ玉井の悪戦苦闘の旅を伝える日記。

イルクーツク−トムスクの旅
   露歴 1893年12月2日 明治26年12月14日
   露歴 1893年12月3日 明治26年12月15日
   露歴 1893年12月4日 明治26年12月16日

   露歴 1893年12月5日 明治26年12月17日
   露歴 1893年12月6日 明治26年12月18日

十二月二日  14/12
 午前弐時宿に就き、休息し居りしに、三時頃主人の客亦(また)来れり。六人共々に酒を飲み、(食事メニュー)(ドイツ語表記)を食す。
 此(この)家は家屋壮麗、室内装飾非常に美を悉くし(尽くし)、日本にて弐三百円位収入あるにあらざれば見受けざる程の家なりし。
 本日は如何なる吉日か。二回共上等の宿に就きたれば何よりの仕合なりし。此(この)夜始めて床上に毛布をしきて就寝す。
 八時起きて、(食事メニュー)(ドイツ語表記)を食し、酒を飲む。十時出発す。途中大に(おおいに)暖なりし。老夫婦弐人の歩行者を見る。
 三時過ぎ、坂を下り、二三里を進み、トリノフスカヤ村を通過す。(書き込みあり−坂の上にて、馬溝に落つ)
 人家107戸。獄屋あり。此(この)村は松林中を切開しものならん。四方は密林を以て取囲まる。右側に馬車取次所あり。其(その)前に郵便局あるを見る。イルクーツクを離る325里なり。
 五里進んで日全く没す。夫れ(それ)よりシェラグリスカヤ村迄一五里間非常に長き様思ひし。九時同地に着す。
 家の小なる割合には清潔なり。直に(すぐに)(食事メニュー)(ドイツ語表記)を食し、酒を飲む。傍に小児あり。歳を聞けば壱歳九か月なりと、十弐三才の機敏なる一女子あり。彼れを見に、札幌の女将軍なる小川貞子氏を思い出せり。十時板の長腰掛の上に毛布をしき、就寝す。
 本日は余程暖気なりしを以て、車上終日眠らず。且つ喫煙す。平坦なる樹林中×××を馳る。
 夜に入り、途中火をたき大声を発するを聞く。暫くして寄り見れば枯草に××人を見ず、数×間進んで、亦(また)火を見る。
十二月三日 15/12
 午前一時半車卒来り起こして出発の用意を催す。直ぐに洗顔す。食事尚整はず。台所に至り見れば、車卒の食ひ残せん、××(ドイツ語表記)大平鍋に山を為す。間に合はん事を恐れ、之(こ)れを食す、時に十弐三才の機敏なる少女茶及び砂糖を持来る。之れを食して出発せんと、室に帰り来れば妻君ソップ、××(ドイツ語表記)及び酒を持来り、之れをすすむ。尚時間ある様なにを以て、之れを飲み、且つ食し、終いに喫茶す。喫茶の際発車の言を聞きしを以て急ぎ出て、車に乗り16里間安眠す。此(この)間の夢右に
  A 原田信次郎氏毛利家より×上の御出門を見、門口に立ちて感泣す。
  B 原田松二郎氏札幌勤工場にて数の子及び×を焼き売れり。勤工場より娼奴を退去せり。京花橋の色男山下氏、上野××氏北海行きの件、弘中及び長谷川老婆、其(その)他数件
    (以上バルノフスカ村に於いて十二月七日に記す)
 十六里の地に小村あり。村端に小川あり。渡船場あり。渡船河中に氷を以て閉じらる。
川を渡り、堤上よりドルムスカヤ村を臨む。
 此(この)間三四里、或いは歩行し、或いは乗車し、寒気強からず、天気は快晴実に快なりし。
 村の入口に茶、山の如く積みありたり。橋の傍に税関あり、橋を渡らず、親分と共に近道して宿に就く。
 直ぐにイクラー、ヲーモリ、カルトシュカー、茶を喫し、酒を飲む。宿の前に郵便局あり、9カペイカにて三枚のハガキを求め、ペルシン及び椎名君連名及びグルコフ氏にハガキ出す。
 九時四十分大便を催す。家敷内に大便所を発見す。イルクーツク出発以来九日間便所に入って用便したる事なく、常に動物同様家敷内勝手の場所で用便したりしが、今日ばかり人間らしき便所に入りて用便をし得る。村が大なりし丈ありし、他の村より便所を×け×く所は其×を異にするも道理なり、戸を開かんとするを計みにして、開く鈍りず、依って馬の如く馬小屋に入り、大便をなす。馬糞小屋内に山を為す。
 此(この)村にはイルクーツク及びブラジノフスク)に於いて稀に見る三階造りの大商店あり。店の裏にも亦(また)住家ならんが三階、煉瓦石造の家あり、構造実に壮麗を極め、此(この)村に於いて此(この)家を見れば、実に圓らざりき。
 薬店あり、女学校あり、学校あり、電信郵便局あり、大寺院二ケ所にあり。
 昨日来非常に暖気たるを以て旅行も六日間の如く困難ならざるもの、今日は殊に暖気強く、十時四十分出発して(再び喫茶して)三四里間歩行し、途上××を以て楽しむ。
 五里の地より15里の地迄安眠す。
 六時半前クルツァンスカヤ村を通過す。此(この)村を手前の坂の上より臨みし時は、戸数実に僅少なる様見受けしも、長き坂を迂回して下り橋を渡り、村に入り見れば可(か)なりの大村なりし。此(この)夜車上にて眠らざりし故、宿に就き眠気を催し甚だし。
 一二時半シェリバリチンノカヤ村に着す。
 宿の妻君美にして言少なく、且つ其(その)言葉の温和なる露婦人には稀に見る可なり。且つ至って、全てに対して親切なりし。
 セリョチハー入りのパン、×××、(ドイツ語表記)(味第一号)
   (以上ルシェチ村に於いて一二月八日午前十時記す)
十二月四日 16/12
 午前五時起き、三人にて(ドイツ語表記)を喫するの際、出発せしを以て、小生は親方と共に後して出発し。車に乗り眠気を催す甚だしく、直ぐに眠りに就く。暫(しばら)くして車隊に追い付き、自分の車に移り、再び眠りに就き、フドエランスカヤ村まで21里間更に×××目覚めし見れば村に着きし様子なりしを以て、大に喜びを感ぜり。
 十一時小雪あり。其(その)前目覚めしたり時は、天気快晴なりしが、此(この)時既に雪模様に変じ居たり。
 本日は前弐日より寒気一層弱まり、且つ眠気甚だしきを以て、×××の村に遅着を×り居りたるに、×××内に着せじ。之(こ)れ喜き仕合なりし。常に早く村に着せん事を×り居りしが、今日の如く遅着を×みたくは、今回を以て初となす。
 更に十六里を進み、ヒングイ村に着す。時に弐時四十分なりし。此(この)宿、間取り非常に××り、余も業成り住家を建築するの時は此(この)家の構造に×む事を考えり。
 宿に就き、一人にて先に、××を喫し、且つ一杯の酒をドリンクン(ドイツ語表記)せり。暫(しばら)くして親方弐人来れり。時に主婦(ドイツ語表記)を持来れり。
 宿に居り毎にフィッシュを出さざりし事なかりしが、此(この)度に×く。フィッシュなきは、×を思ひし。実にして×り××。カンスクの手前シリンスカヤまで300余里間魚を食せざりし。アンガラ川に通ざかりし為のならん。
 午後六時半頃×××を喫し居りたりし時、車隊出発せり為め、直ぐに××及び毛布を持、一里余追い掛(か)け、漸(ようや)く追付きたりしが、随分困難なりし。
 此(この)宿にて日記を書せんとせしも、インキ及びペンなかりし。
 九時半クリチンスカヤ村を過ぎしが、此(この)村家至って少なし。
 午前三時四十分ニジネウジンスク町に着す。村の××さ四五里手前に、四、五十戸の小村なり。夫(そ)れより道の両側に樹林あり。之(こ)れが町の入口かとの感ありたり。
 ヒングイ村にて聞きししに、石油1フント13カペイカ、砂糖25カペイカ。
 本日五頭×のカラワンを弐回始めて見たり。
十二月五日 17/12
 午前三時四十分ニジネウジンスク村に着す。宿に就き(着き)、家の内に入るに、暗黒にして戸を見出す能はず。時に寒気強く困難せり。
 此(この)家は其構造大にして壮麗、室内装飾亦美を極む。唯惜しむらくは、主人××。恰(あたか)も乞食の如く、実に貧相の男にして、且つ其(その)音声婦人の如し、此(この)家の主人公には不相当なり、乍然息子は活発なる様見受けたり。宿に就き(着き)和服を着け、四時四十分×
 暫(しばら)く長椅子の上にて眠りに就く。七時起き洗顔して前同様の食事をなし、外に出て見れば降雪あり。車卒馬の用意をなし居りたり。八時弐十分出発す。
 七里間安眠す。目を覚まし見れば、両方山あり。天気快晴にして暖なり。車上喫煙し、或いは歩行し、小便を為し、万事意の如く実に愉快なりし。20ヴェルスタ進んで×下マルスカヤなる小村を通過す。家屋の構造を以て見れば、貧乏人の巣窟なり極めらんとなる寺の形あり。村の手前に橋あり。此(この)村迄は平原中両方に山を見しが、此(この)村より岡原樹林中馬を馳せる。
 弐時半28ヴェルスタなる、ウコヴスカヤ村に着す。
 戸数百八十六、人口(男 五百十弐(512)、女411)。此(この)宿は家屋大ならざれど極めて清潔にして、机椅子等中々上等なりし。机の上に煙草を見る。今日迄何れ(いずれ)の宿に就く(着く)も、マホルカの他見ざりしが、煙草を見しは今日始めてなりし。上等なるピストル及び数個の銀あり。
 宿に着く際、××の婦人客あり。本日婦人及び十四、五才子供の商車隊御者を数人見受けたり。又四頭×のカラワンを見し。宿に就き×(ドイツ語表記)、弐、三種のパン、××を喫す。四時頃より大雪となる。
 此(この)村にて始めて村役場を見る。又郵便局を見し。
 此(この)宿に愛らしき少女あり。年齢を聞けば七才、即ち綾子と同年なり。日々学校に四時間宛通学すると謂へり。本を買ひ與へ(与え)ければ、彼れ曰く「本あり、石筆なければ石筆を×」と。金を與へ(与え)ければ、彼れ自ら店に行き、六本の×色せり石筆を買い来る。石筆を持出し、大(おおい)に喜びたるを見て、綾子を斯(か)く石筆を以て学×し居る哉(かな)と、親はしてるを思ふの、情切なるはと、人情己を得ざるなり。
 此(この)家の家族一同親切にして、至って愉快なりし。婦人曰く「余に弐、三の日本語を教えられし、後日日本人来宿せらるる際、其(その)国語の一、二字も話せば、彼れに非常の愉快を與へ(与え)ん」と。余も其(その)言、尤もなるを×つ、彼れの望みに応じ、頭、口、鼻、目、髪、耳の五字を教へたれば、彼れ自ら筆記せり。露婦人にて中学以て字を知るは稀なるが、彼レ能く書せり。
 出発の際、非常に酒を勧められ、数杯(4グラス)を傾け、大酔し、××(ドイツ語表記)(大酔の為め喫茶せず)
 七時、三人にて車隊に後し出発す。(車隊は五時四〇分出発す)
 途中自分の橇に移り、12/2進みカミシェツカヤ村を過ぎ、ザムゾルスカヤ村(24里)迄四里安眠す。午前四時四十分着す。
十二月六日 18/12
 午前四時四十分ザムゾルスカヤに着し。門内に入り始めて目覚めたり。斯(か)く村に着し目覚めたるは今日始めてにて×し。村に着すは、××一分も早く村に着せん事を祈り居りしに、今朝安眠中に着せんは意気の愉快なりし。之(この)夜途中茶橇破損せしなす。小生の橇に二個の茶を乗せ為に、橇狭く、身体の不自由なりしにも係わらず、斯(か)く安眠せしは前夜出発の際、大酔せし為めなり。
 宿は室小にして、不潔と云う程には非るなれば、先ず其(その)方に××が如し。一杯の酒を傾け、×(ドイツ語表記)を喫す。食事に××なりし。
 五時三十分和服を着て、床上外套をしき、眠りに就く。時に眠気甚だしかりし。
 七時半起き出で見れば、橇夫既に馬を橇に付け居りたり。依って洋服を着、毛皮外套を橇に持ち行き、暫(しばら)くして出発す。時に八時。降雪甚だし。出発前ラクノーフの余に対する挙動不快を感ずる甚だしく。食事せずして出発す。
 七里進んでルカシェヴスカヤ村、尚十七里進んでアルザマイスカヤ、尚七里進んでリコリスカヤ村に午後六時着す。此(この)間三十里程、降雪強く、就眠して其(その)苦を忘れんとするも、眠り能はず。乍然寒気の割合に弱かりし為め、幾分の苦を減ずるを得たり。此(この)間平原、樹林中而己なりし。アルザマイスカヤ村にて始めて村役場を見たり。又アルザマイスカヤ通過の際、本日は大祭日なるを以て××戸国旗を揚げしを見たり。又、村役場、郵便局を見る。リコリスカヤ村に着の前一里手前より、村を見し時の愉快爰(ここ)に記し難し。
 スミタン(?)、同パン弐、三種のパン即ち×××(ドイツ語表記)
 九時迄西村元内及び椎名、ペルシュ氏行きのハガキ及び日記を書す。宿にて眠りに就かず。
 宿にトムスク方面より来たりカラワンの親方あり。主人其(その)親方に数多くのソーブル、毛皮を出し、見せ居りたり。其(その)客余に曰く「学生マホールカ(を吸ふや、是(こ)れ余が主人にマホールカを求めしを、傍に立って聞きたるを以てなり。
 十一時橇夫食事をなし仕度に取り掛れり。

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