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【連載】玉井喜作 イルクーツク−トムスクの旅

第3回

現在新設したカウンターによると、最も読まれていない連載であることが判明した玉井の日記を紹介するコーナー。ちょっと読みづらいかもしれませんが、シベリアの酷寒にあえて橇に乗って旅を続ける玉井の心意気を、是非読んでもらいたい。

イルクーツク−トムスクの旅
   露歴 1893年12月7日 明治26年12月19日
   露歴 1893年12月8日 明治26年12月20日
   露歴 1893年12月9日 明治26年12月21日

   露歴 1893年12月10日 明治26年12月22日
   露歴 1893年12月11日 明治26年12月23日
   露歴 1893年12月12日 明治26年12月24日

十二月七日  19/12
 十二時過ぎ三人にて酒を飲み、スップ、カルトフェリ、パンを喫し時に、室内暖気非常に強くを以て、喫茶せずして、一杯の冷たき牛乳を飲む。其(その)味実に美なりし。食事中、車隊既に出発せしを以て、午前一時半頃三人後して発す。時に降雪強し。
 12半里進み、ラスゴンナヤ村を過ぎ、尚十八里程都合30半里間安眠し、小便をはずし、目覚し見れば、ペロノヴフスカヤ村迄五里の里標あり。是(これ)を見た時の快、実に大なりし。時に来明なりし。午前九時弐十分ペロノヴフスカヤに着す。
 ×××(ドイツ語表記)
 小店に行き、煙子紙(2カペイカ)、マホルカ(8カペイカ)、七枚小判洋紙(10カペイカ)を求めしに、釣り銭なく(1ルーブルを出せり)店の婦人弐人にて東奔西走、大(おおい)に困難す。余、爰(ここ)に至って、余の札幌に於いて常々釣り銭に窮せし事を思ひ出せり。
 カバンを開き、シヤツを着替え、日記を出し、眠らず十二時四十分喫茶せずして(湯を飲む)出発す。六時頃ビリウシンスカヤ村を通過す。村の手前に急なる坂あり。時に歩行す。村の長さ七里、イルクーツク県極西の一村なり。此(この)村にて椎名、ベルシン氏及び西村××氏行きのハガキを投函せんと苦心せしも、局を見出す能はざりし。電信局あり。馬車取り次ぎ前に見受けたり。此(この)村七里間、村の西端迄近道して、河上(結氷す)橇を馳せる。
 夫(そ)れより十四里間、月明にして寒気強く、或いは乗り、或いは歩行し、午後十一時エニセイスク県最東の村なるチェリムコヴァヤ村に着す。
 宿に弐人の娘あり。姉は弐十、妹は十八、結婚云々の談話せり。一同大笑いす。
(ドイツ語表記)
 食後、和服及び毛布を持ち来るが為め、橇を探す事暫(しばら)く、外套を着せずに、外に出たる故
、寒気受ける事甚だしく。漸(ようや)く之(これ)を発見し、室に帰りて和服を着け、ディバーン(ソファーのこと)の上で就寝す。
 弐時半起き見れば、橇夫馬を車に付け居りたり。直ぐに服を付け、×××(ドイツ語表記)を喫す。食事中橇隊既に出発せり。時にクリモーフ、余が後して出発せしに付き、不平を述ぶ。是(こ)れ途中食料20ルーブルにて引受け為。頭(かしら)に払ひ、自腹を切らざる可らざるを以てなる乎(かな)。此(この)宿に橇夫一人に付き30カペイカ、小生に×ぞ45カペイカを払へり。 十一時半、三人後れて出発す。途中余の橇に移る。出発の際、西比利亜道中記なく、宿の主人は自ら疑はれる事を恐れし、余は無学文盲必用なし、疑うなかれと心配面を以て、述べたり。
 此(この)宿に息子あり。年一四、五才、能く書するを見る。
十二月八日  21/12
 前夜十一時半出発して眠りに就き、目覚め見れば、余の馬倒れ、五人にて大騒動し居たり。暫(しばら)くして馬再び立ち、9里進んでプロヴイ・チェレムチョヴスクを通過せしを知らず。又、一九里進みクルチンスカヤ(村を知らず。尚五里進んで目覚めたり。夫(そ)れより歩行して三里進み、午前九時レシェト村に着す。之(この)間34里、此(この)村にて橇を過進し、後ろより呼び返され、宿に就く。
 時に弐人は既に喫茶後なり為を以て、主婦は余に別にサマワルを立て、××−(ドイツ語表記)、スビニーナ−(豚肉)始めて食す。×××(ドイツ語表記)其(その)美味非常なりし故、4××(ドイツ語表記)を喫す。宿は清潔なりし、主人をキリビンと云う。 ペン及びインキを借り、日記を書せしに中途にて、インキを持ち行きし為止めたり。
 本日小雪。宿にて眠らず。十二時大便に至る便所ナシ。馬小屋に入り、垂れ居りし所、穴を打つものあり、驚きて見れば、此(この)家の下男来り、曰く「馬小屋に糞をする之(この)馬鹿野郎、門外に出て垂れ可し」と。止む得ず少し穴に挟んで門外に出づれば、数多の糞山所々に在り、成程野獣共の大便所は之(これ)所なるを悟り、門前にて用便す。用便中、最前の下男馬車を馳せ、門前に出づるの際、余の用便するを見て曰く「日本人其(その)所また便所なり。何程(いかほど)垂れしも勝手なり」と。実に野蛮の×と云う可し。
 一時半橇夫と共々(始めてなり)ソップ、カルトツフエル、××(ドイツ語表記)を喫し、再び三人にて喫茶す。此(この)日暖なりと思ひ、外套前に置きしに、板の如くなり居りたり。
 二時半出発す。二十里進み、××村を通過せし時は八時頃なりし。町の長さ、凡(およそ)三里、郵便局を見付けんかな。凡(およ)そ二里余歩行す。村の中央に大坂あり。五、六回倒る。坂の中央にて一隊のカラワンに会す。橇を降り坂を登り、待つしも橇来らず。寒気強く(月明なり)酒屋を探せども酒屋なし。依って再び橋を渡り、折り返し、坂の下にて橇に乗り、夫(そ)れより17里進み、午前三時頃ポイマ村に着す。之(この)間凡(およそ)一五里の間居眠りす。
十二月九日 20/12
 午前三時ポイマ村に着す。宿は中々清潔にして、老婆至って親切なり。丸肉一皿、其味美なり。一種異様の茸、その味美ならず。××(ドイツ語)。
 床上、毛布をしき、寝×タリしに、別室即ち客室故、暖炉十分暖めなかりし故、寒気を堪え難く、幸い傍らに二枚のシューバありしを以て、一枚をしき、一枚を着て、×く寝ね入り。
 老婆は時計の鍵を取り、××大(おおい)に仕合わせたり。
 橇夫は向(かい)の家、即(すなわ)ち台所に於いて、飲食せり。
 午前四時半起き見れば、橇夫は既に出発の用意をなせり。大急ぎにて仕度をなし、向(かい)の台所に行き、白湯を飲み、食事をせずして、五時出発す。
 七里進んで、ニジニェインガシェフスカヤ村を過ぎ、なお十三里間安眠す。
 午後一時十五分、イランスカヤ村に着す。本日快晴、寒気強し故に、イランスカヤ村の手前凡(およそ)五里間、歩行し、幾分か寒気を××得たり。
 親方弐人は、既に喫茶せしを以て、余一人にてなす。××(ドイツ語)而己にて、実に殺風景なりし。
 宿に数人の子供あり。母親が外出するに×し、子供同行を望み、泣き出し、余思、我三人の子女を思ひ出せり。弐時より四時まで安眠す。
 此(この)村郵便箱なし。
 四時起こされて、大急ぎにて××(ドイツ語)、大魚のピローグ(久しぶりにて魚を食す、是(これ)エニセイ及(び)カン川に近きを以てなり)、茸、××(ドイツ語)
 此(この)宿にて始めて便所に入りを得たり。中に入り見れば、糞山の如く、大(おおい)に困難す。
 五時出発して、十二時半カンスクに着す。之(この)間××、及び二十五里の地に村あり。町の手前にカン川あり。川の手前に小村あり。町の入口に、××(ドイツ語)、壮麗なる門あり。
 町に着し、宿を見出す能はず。時に明月天に満ち、銀世界にえいじ、絶景云う可らざるも、寒気の強きに閉口せり。時にバザールの傍の寺院、十二時を報ず。
 本日、昼間一回、夜三回、野糞を垂れる。其(その)苦云う可らず。
 宿に着し、カマスのピローグ、ビフテキ、××(ドイツ語)入りのパン、××(ドイツ語)、ヴォトカ。 家大、且(つ)美にして、橇夫と其(その)室を向(かい)を合(わ)せなす。
十二月十日 21/12
 夜半十二時過ぎカンスク町に着し、食事をして眠らんとすれども、眠る能はず。四時迄防長新聞社行き通信を書し、四時より六時半迄、弐時間程眠りに就く。(床上毛布をしき、和服を着たる)
 六時半起きて入浴す。湯は幸いに宿に有りしも、浴室小にして、三人同浴せしも充分あらざりし為め、20日振りに浴したりしも、左程快を感ずる能ざりし。
 七時半ピロシキ、××(ドイツ語表記)。十時郵便局に至り、A椎名君、ペルシン連名、B西村××、C玉井兄、D防長新聞社に書面郵便を出す。
 余は、六日夜ムコリスカヤ村に於いて書せし端書数通、漸(ようや)く五日目にして本日投函するを得たり。
 十時半、橇夫と共々ソップ、カルトツフエル、××(ドイツ語表記)を喫し、荷物を橇に持行き、室にて喫煙し、十一時半出発す。直ぐに眠りに就き、十二里の地にて目覚めし見れば、午後三時なり。時に寒気強く、毛布外套板の如く、寒気を感ずる如き益々甚だし。頻りに眠気を催すも、寒気強き為め、眠る能はず。十一時四十分クリウチェウスカヤ村着する迄、三、四里程非常に寒苦の為め困難す。此(この)間或いは歩み、或いは乗る。午後七時ボリシャウリンスカヤ村を過ぎ、村は坂下にあり。中央に橋あり。其(その)傍に大寺院あり。巡査二名を見る。村の長さ二里余。村の前後二十里間に山数なり、
岡原なり。
 本日天気快晴、降雪なく、寒気強く、夜に入り、明月天に満つ、11時頃より餓を催し
、一層困難を感ず。
 クリウチェウスカヤ村は長さ2里余りなり。
十二月十一日 23/12
 夜一時半和服を着け暖炉の上に毛布をしき就寝す。至って暖なりし。午前五時半起きて、服を付け洗顔して、向室に至り見れば、橇夫達五人起きて、靴をはき居れり。六時半橇夫と共々××(ドイツ語表記)(一人にて食す)×××(ドイツ語表記)。夫(そ)れより×四日の日記を清書す。
 七時より橇夫仕度取り掛かり、八時出発す。××(ドイツ語表記)。
 八時出発。十四里間安眠す。小便をはずみ目覚し、次いで大便を催し、大(おおい)に困難す。二里進んでボロジンスカヤ村を通過す。夫(それ)より17半里進み、午後三時半リュビンスカヤに着す。
 村の手前寒気強き故、五里間歩行す。坂の上より村を臨みみれば、恰(あたか)も大津町の如く。茫々たる大原、其はビワ湖の如く。其(その)絶景×く可からず。
 坂の中央に於いて、余の馬倒る。十九里間眠る能はざれど、又大便に困難す。此(この)村、戸数多く、恰(あたか)も町の如し。此(この)宿家大、且美にして、細君愛嬌たっぷり能く弁ず。曰く「トムスク大通りに日本人小店を開き居りし」と。
 弐人の少年来り、種々の問いをなし頻(頻りに)。堪えず、後傍にて弐人相撲をなし、大に困る。カルミックに始めて会す。容ぼう東洋人の如し、××(ドイツ語表記)
 七時半出発す。十四里安眠す。降雪ありたれば寒苦強からず。
十二月十二日 24/12
 午前二時半ウヤルスカヤに着す。弐人親方既に就きたるの後なるを以て、一人にて喫茶す。老婆親切にして丸肉一皿を呈す。×××(ドイツ語表記)
 三時半和服を着け就眠す。老婆枕を貸し呈し、別室にて就寝す可き様言いし故、上等なる室に入り、宿着(き)たりしに寒気強く、幸いに傍に有りし引き物の毛皮及び外套を以て、温かく眠れり。
 六時服を着け、外に出て見れば、既に馬を橇に付け居たり。一人にて食事をなす(××肉、×××(ドイツ語表記))
 午前七時出発。八里の地より二十里の地まで安眠す。更に寒気を感ぜざりし。午後一時
バライスカヤ)村に着す。此(この)間24里。此(この)村はウヤルスカヤ村の如く、岡上にあり、村の入口、橋改築中なるを見る。
 此(この)家の老婆、其(その)顔色、実に見るもあわれにして、事に触れ感を易く。頻り流×せり。四、五人の男女来客あり。酒瓶を×し、別れに臨み、床上ひざまづき合い後、口吸、及び握手の於いてなし去れり。
 主人、婦人に其(その)客に茶を贈らん事を命ず、婦人半分の茶を持来れり。主人、大(おお)いに怒り、更に一個の茶を與(与)へり。女のケチなるは日本人も其×を同ふす。主人夫婦の愛嬌なき驚き入れり。インキ及びペンを求む、なし。
 弐時半極めて堅き肉、カルトフェリ(ドイツ語表記)、酒、パン及喫茶す。
 時に暖気甚(はなは)だ強し。坂の上より之(こ)れ村を臨みしに、町、弐×に分し、家屋の構(え)、造り以て、推する様は何れも貧乏人なり。4カペイカ、マホルカ、1カペイカ、マッチを求む。
 出発前××(ドイツ語表記)を喫茶。××(ドイツ語表記)を食す。
 午後六時出発、17半里を進みテルテシウ村を過ぎ、20里間安眠す。目覚し見れば午前一時半なり。
 三時クスフンスカヤ村に着す。此(この)家清潔にして、室内の製物、非常に美を悉し(尽くし)、万事紳士風なに、時に弐人の客あり。机上インキ及びペンあり。
 今夜には、昼間良く眠りたれば、数日間の日記を書かんと覚悟をなし、大(おおい)に愉快を感じ。暫(しばら)く待ちおりし、弐人の親方来らず、又一人の橇夫を見ず。様子怪しきを以(もっ)た為、外に出、最初車を入れし前の家(屋)敷に至ってみれば、他の橇なり。驚きて再び、室に入り、家間違ひの事を主人に談ず。大(おおい)に大笑いす。 毛皮外套及び和服を付け、外に出でしに、弐、三軒先にもカラワン(ドイツ語表記)に会す。此(これ)黄金車なり。去る五日イルクーツク発せしものにして、当地迄は八日間で達せり。即ち十日の差なり。
 夫(そ)れより十数軒先に至り、漸(ようや)く宿を見出し、内に入り見れば、橇夫共食事をなし居たり。共に××(ドイツ語表記)を喫す。何処に寝かんと、室内不潔なる故、台所に寝し居りたり、時に四時なり。此(この)宿にて四回下痢を催す。
 四時半頃から凡(およ)そ壱時間×眠す。宿にインキ、ペンなし。
 今朝ウカベルスカヤの夢
 ××××、××(ドイツ語表記)
 バライオキッチ村出発後の夢:玉井兄、鯖のサシミ、×の一、山谷、
東井、片瀬、児玉、古谷順次郎、西×、玉井なる認め印
 クスクンスカヤ宿の夢 土屋と山道を行く。汽車に乗る。

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