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【連載】玉井喜作 イルクーツク−トムスクの旅

第4回

真冬のシベリア横断の旅も、いよいよヤマ場を迎える。

イルクーツク−トムスクの旅
   露歴 1893年12月13日 明治26年12月25日
   露歴 1893年12月14日 明治26年12月26日
   露歴 1893年12月15日 明治26年12月27日

   露歴 1893年12月16日 明治26年12月28日
   露歴 1893年12月17日 明治26年12月29日
   露歴 1893年12月18日 明治26年12月30日

十二月十三日  25/12
 午前三時クスクンスカヤ村に着し、四時から凡(およそ)一時間眠り、八時半より仕度に取り掛かり、九時壱杯の酒を傾け、下に行きて橇夫と共に××(ドイツ語表記)を食す。夫(そ)れより弐階に至り喫茶す。
 十時出発、六里の地より二十一里の地迄安眠す。時にボトイスカヤ村を、岡上より谷に掛けて臨む。
 壱時同地を通過し、大なる坂あり。坂の中央にて野糞をはずみ、大(おおい)に困難す。之(この)坂実に急にして、馬の困難少なからず。夫(そ)れより歩行して、数里間足の冷たき×れたりし。
 午後七時ボトイスカヤ村より九里の地、ベレゾヴスカヤ)村に着す。村を行き過ごし、次の村に出て、再び後に引き返し、漸(ようや)く宿を見つけたり。
 幸いにて暖なりし、何よりの幸いなり。此(この)宿、下にして僅かに集まる客に、×る老夫婦、至って親切なるは、家狭きも我慢しかりし。×××(ドイツ語表記)。インキ、ペンなし。
 食事を終わりに付き、床上に眠らんとせしに、老婆親切にも箱の上にシューバを敷き呈したり。且(か)つ曰く「神に足を向けたる勿(な)かれ」と。
 十一時半、寒気強き為め、目覚し、下女に其(その)×を告げたれば、彼れ薪を持(ち)来り、××(ドイツ語表記)せり。次いで十二時、再び寒気強き為、目覚めし、敢えて毛布を持ち行き、台所の×寝台の上に上がらんとせしに、下男目覚め、再び××(ドイツ語表記)を差したれば、再び安眠するを得たり。
十二月十四日  26/12
 六時起きて仕度をなし、三人にて××(ドイツ語表記)。テリモーフ曰く「既にグリシキビッチ氏に十四回発電せり」と。
 七時半出発、行く数里にして、エニセイ河上、橇を馳せる(十一月二十五日より結氷、橇道せりと聞く)。川幅三四里ある橋を見受けらる。午後一時迄安眠し、快夢数多くを結ぶ。
 午後五時ウスタノヴスカヤ村に着す。旅行里程の三十六里、此(この)間五里間、近道せんが為め、エニセイ河岸有名の町クラスノヤールスカヤ町を通過し得ざりしは、実に遺憾千万なり。
 本日概して岡原而己にして、寒気強からず、差したる苦なかりし。ウスタノヴスカヤ村の手前、五里の地に小村あり。一小寺院あり、否、寺に非ずして、寺の形なり。
 ウスタノヴスカヤ村は長さ七里。宿は三里の地にあり。一人にて弐階に於いて、主婦の優待を受け、××(ドイツ語表記)。此(この)宿にて手袋を暖炉の上にをき(置き)、凹(くぼみ)に落ちこみ、子供に頼み、漸(ようや)く取り上げたり。又弐階にて一歳位の子供、余を慕ふ。甚(はなは)だしく、文子も斯(こ)うやる得しを思いの情、切なりし。十時頃迄、一枚防長新聞通信を書する。十時半下に行き、×××(ドイツ語表記)を喫し、十一時頃出発す。 此(この)宿アイラス55カペイカなり。
十二月十五日 27/12
 前夜十一時ウスタノヴスカヤを発し、スホブスカヤ村を過ぎ、マロケムチュグスカヤ迄三十三里間安眠し、午前七時弐十分着す。
 ××宿の××の七時半にしも尚暗し。凡(およそ)三十分して夜明けたり。是(こ)れ土地の差に依り随し××に差を見しならん。
 此(この)村にて橇夫大騒動をなす故、目覚し見れば、宿より行き過ぎし為にして、斯(か)く安眠中に村に着せば、大(おおい)に愉快なりし。宿にて××(ドイツ語表記)を喫茶、アイラス38カペイカ。
 日記を書せんと、インキ及びペンを求めるに、子供ペンを探しだし処も、インキなし。暫(しばら)くして、前室橇夫の所に行かんと戸を開き出て見れば、野獣の妻、豚糞の露婦、余の毛皮外套を戸前に投げ出し居たり。斯(かく)の如く、豚婦は弁情なりしも、主人は至って親切なりし。時に来客あり。主人、頻りに茶及酒を持来る事を命ず。豚婦、容易に屈せず、暫(しばら)くして、瓶に僅かの酒を持来れり。
 此(この)日降雪あり。本日は紙なきに苦みを得ず、松草を以て、×うふきたり。
 十一時半出発す。台所に至り、××(ドイツ語表記)を食し喫茶を為す。一個の××(ドイツ語表記)を××(ドイツ語表記)に入れたり。
 十五里間安眠す。其(その)間シャギ(歩行)をやらかし、不快少なからず。是(これ)疲労せし為めなり。夢あり。土屋、原田氏、久保田為×助、山形××、玉井姉、背山弧を斬る、原田姉、田辺佐助
 薄暮イブリュルスカヤ村を過ぎ、九時ボルシェケムチュグスカヤ村に着す。時に安眠中××(ドイツ語表記)に入り、起こされ目覚まし、見れば既に馬を橇から解き居たれば、凡(およ)そ弐分間位、××(ドイツ語表記)にて眠り居りたるならん。
 本日風雪強かりしも、一度なく故、大(おおい)に仕合わせなり。乍然(しかしながら)、昼間更に苦なかりしも、夜に入り、多少の苦あり。
 宿に於いて×××(ドイツ語表記)
 老婆至って親切にして、宿亦情深なり、思い大なり。右の書状を認む。十二月十八日ボルシェケムチュグスカヤ村にて、投函するを得たり。
 A 中村、原田、二×、土屋
 B 豊田順、文、君村、渡辺、賀川××
 C 重村正樹
 D 長間、熊谷、吉川、××、一本松
 E 椎名およびペルシン
 主婦股引を縫い、且つシャツの牡丹(ボタン)を付け呉(くれ)り
 本日一回のNokuso(野糞のことか?)大(おおい)に閉口す
 夜に入り、暗黒にして不快なり。
十二月十六日 28/12
 前夜眠らず(宿にて)。午前一時半より仕度に取り掛かり、二時半××(ドイツ語表記)
 午前三時半出発す。時に降雪なり、至って暖なりし。村の中央大寺院の手前に税関あり。コズィリスカヤ村を過ぎ、二十三里間安眠し、小便はづに目覚る。再び眠りに就く。××(ドイツ語表記)、平井××氏年末困難の件。
 夫(そ)れより十七ベルスタ間、チェルノトレチンスカヤ村に午後一時半着く迄、更に眠らざりし。天気曇模様を以て、降雪なく暖なりし故、苦を知らず。
 途中在任凡(およそ)弐、三百人護送さるるを見る(坂の下なり)。其(その)内凡(およ)そ四、五十人は橇でのる。最初の橇に一士官を見る。本日歩行者弐、三人見受けたり。
 宿に就き、一人にて××(ドイツ語表記)。
 活発なる二十四、五才の一露人あり、曰く「クラスナヤールスクに支那店あり。支那人五人」
 三時頃×××(ドイツ語表記)せしに、彼の××(ドイツ語表記)枕を持ち来れり。
 三時十分の後、起こされ目覚めし見れば、既に馬を付け居りたり。××(ドイツ語表記)に至り×××(ドイツ語表記)を××(ドイツ語表記)して、四時出発す。
 午後八時タルムンスカヤ村を過ぎ、凡(およ)そ七、八里進み、目覚めし見れば、風雪強く、随(したが)つて寒気亦(また)強し。茫々たる草原野中に於いて、弐人の賊ありし為、暫(しばら)く橇を止め、彼れを捕らへしとせしも、捕らえる能はず。取り逃がせるは遺憾なり。
 十二時四十分アチンスク町に着す。三里手前にて里標を見し時は、実に愉快なりし。
十二月十七日 29/12
 十二時四十分アチンスク町に着し、×××(ドイツ語表記)。
 午前一時和服を着け、上等の室に床上に毛布をしき、就寝す。午前五時起きて仕度に取り掛かり、食事す。×××(ドイツ語表記)。中途にて乗車し追いかけ、アチンスク川岸に就(着)く。追い付き、河上に於いて橇上するを一馬たり(?)。ブラゴヤルスカヤ村を過ぎ、チュリム川上、橇を馳せる。川風強く、其(その)困難、筆にする能はず。
 十二時四十分クラスナリンチンスカヤ村に着す。××(ドイツ語表記)。此(この)間Nokuso(野糞のことか)大(おおいに)困難す。
 教師来れりとて室を他に移る。其(その)室に於いて地理×を聞き

(略)

 午後五時半、橇夫と共にソップ、カルトツフエル、(全身汗を以て揚げる)クワス。
 六時半出発し、十一時半迄安眠す。風強く、三時間半程寒気強く、大(おおい)に困難す。ドゥフ板の如く、更に其(そ)れ用をなさず。
 午前三時ベロヤルスカヤ村に着す。村の手前、川原あり。夫(そ)より歩行す、此(この)夜一時半頃より月出て、絶景極めり。(ヨウケヨウ)たる毒婦を見るの感あり。
十二月十八日 30/12
 午前三時ベロヤルスカヤ村に着し、主人出で、迎え入へり、優待極めり、食なす。×××(ドイツ語表記)。
 此(今)夜此(この)村に着き、歩行し宿に就き、和服を着けんと、橇に至り見れば、既になし。暫(しばら)くの間盗まれしものと思い、×の×にて床上毛布をしき、就眠す(×し二階ににて)。
 午前十一時、起こされし時に眠気甚(はなは)だし、下に行きて、橇夫と共にスープ(ドイツ語表記)(匙なきに困る。橇夫の用いし匙を用いたり)及び××(ドイツ語表記)を食す。二階に行き喫茶す。
 尚時間ありを以て、郵便局に行き、去る十五日認めし、原田×、×××、重村、長岡三名、椎名ペンシン氏行き五通のハガキを出し、再び宿に帰り、九時半出発す。
 此(この)村にてバザール及び学校を見る。九里の地迄、弐時間半程安眠せしも、足の冷甚(はなは)だしき為、目覚め、夫(そ)れより八里半進み、ボリショイ・コスリ(此(この)村弐里余せり)を通過し、午後五時四十分イタトスカヤ村に着す。二十五里間、或いは歩み、或いは乗りたり、之(この)日寒気及び風強く、非常に困難せしも、村に着する前は少し暖となりたり。天気は快晴なりし。
 ××××(ドイツ語表記)
 宿にて日記を記せんとせしも、インキ及びペンなし。
 此(この)村町幅凡(およそ)三十間、家屋概して美なり。町の長さ3里。此(この)宿の息子スタルチェフ氏、嘗(かつ)て浦潮港、ニコライエフ地方にあり、日本の事情に多少通ぜり。且つ会談に於ける、日本×女の事を談ぜしを以て、之(この)村より、ラリノーフ、クリモーフ宿に戻り、毎に日本の女の話しをなし、大(おおい)に困る。
 4カペイカ××(ドイツ語表記)、2カペイカ××(ドイツ語表記)(2箱を與(与)へし故、其下(そのした)直に(すぐに)×)、4カペイカ、マホルカを向(向かえ)の店にて求む。
 此(この)夜、防長新聞通信を出す。其(その)際、1グラス(ドイツ語表記)ヲーツカを飲む。
 十時半×××(ドイツ語表記)
 十一時半×××(ドイツ語表記)、十二時出発す。
 本日は××××(ドイツ語表記)

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