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【連載】玉井喜作 イルクーツク−トムスクの旅

第5回(最終回)

いよいよ三〇日間にわたる冬のシベリア横断の終着点トムスクは目の前となった。
厳冬と飢えとの最後の闘いを描く。

イルクーツク−トムスクの旅
   露歴 1893年12月19日 明治26年12月31日
   露歴 1893年12月20日 明治27年1月1日
   露歴 1893年12月21日 明治27年1月2日

   露歴 1893年12月22日 明治27年1月3日
   露歴 1893年12月23日 明治27年1月4日
   露歴 1893年12月24日 明治27年1月5日

十二月十九日  31/12
 夜半十二時イタトスカヤ村を発す。
 出発の際、足の冷(え)を防がんが為、××(ドイツ語表記)にて足を巻きし故、今日より足に寒気を受くる事なく旅行も気楽ならんと思いが、三時半頃足の冷え強きを以て、目覚め、眠らんとするも、眠る能はず。プロシウトチャナヤ村を過ぎ(此(この)間十六半里)、午後九時三十分尚六と3/4里進んで、チャーチンスカヤ村着迄、弐、三十分間ば眠りせしが、更に眠りに就く能はざりし。
 此(この)間夢に、原田精一氏一婦人に会す。氏病気の風あり。余札幌に在り、氷上素足にて帰宅し、エツ及び千代に×××(ドイツ語表記)を×ず云々。
 イタトスカヤ村よりチャーチンスカヤ村迄三十三里程、九時三十分間大風雪、加ふ(え)るに、寒気非常に強く、其(その)困難、実に言ふ可かず。
 此(この)宿の主婦は、実に愛嬌なき馬鹿野郎にして、万事に於いて不快少なからず。
 ×××××××(ドイツ語表記)
 食事中、テリモフ肉を持行く事を×ず。余食する能はず。其(その)不快亦(また)云ふ可らず。室内×××(ドイツ語表記)あり。食事後、橇夫共の室に行き、靴を脱して足を暖め入り。
 此(この)宿にて、始めて大便所に入り、快便せり。
 此(この)宿にてクリモフに食料残りとして5ルーブルを払いたれば、懐中残す所、僅か40カペイカ、凡(およそ)我三十銭なり。此(この)宿にて一時ベット(ドイツ語表記)の上にて体を休み、出発、主婦不平顔にてベット(ドイツ語表記)を直し居たり。
 十一時半×××(ドイツ語表記)を食す。十二時出発す。村の中央に長き橋あり。両側
の川原に数多の家を見る。
 十二里を進み、×××(ドイツ語表記)を見る。長さ壱露里。夫(そ)れより茫々たる原野中を大風を犯して、橇を馳せん。其(その)苦、実に言う可からず。漸(ようや)く弐十九里を進み、七時半ツススロワに着す。
 此(この)宿、実に少(小)なして、不潔極れり。特に室内寒気強く、二か所に××(ドイツ語表記)をしき、(室小にして弐階あり)漸(ようや)く暖を取るを得たり。
 テルモフ及びクリモフ既に食し、机上肉なし。パン、××(ドイツ語表記)を食し、ウォトカ(ドイツ語表記)を喫す。余インキ及びペンを貸されし呉れる事を、小児に言いせしに、小児インキを持ち来れり、老婆剣幕を食わせしを以て、小児インキを持出しを以て、日記を書する能ざりし。之(この)夜、前室橇夫共の食事せし。高寝床極めて不潔なりしも我慢して快眠せり。
 明治二十六年の歳末の今夜一の催鬼の声を聞かず。蜜を嘗めて二十七年を迎へんと実に
夢にたる。期せざるし是(これ)亦(また)天なる乎(かな)。
十二月二十日  明治二十七年一月元旦
 昨夕午後七時半ツススロワ村に着し、一時半橇夫に起こされ、目覚まし見れば、橇夫共既に出発の用意をなし居れり。洗顔し外に出て、遥か東に向て、我両陛下を拝せんと思ひしも、既に十数日入浴をせず、且つ今朝快く洗顔する能はず。此(この)不潔の身、不潔の顔を以て、陛下を拝するも恐れ気次第故、正月元旦を今四、五日延引する事を決心せり。
 再び室に入り喫煙す。時に精神非常に壮快を感じ、今年の仕事好結果を得んかと思へば
、何となく喜抱くを為す×を知らず。
 夫(そ)れより橇夫と共々不潔なる机に依り食事せしが、狭くて、喫するに堪えざるを以て、室の隅にある小机にて、一人にて食事せり。×××(ドイツ語表記)。又暫(しばら)くして、他の室に於いて親方弐人と共々に××(ドイツ語表記)を喫し、××(ドイツ語表記)且つウォトカを飲む。
 午前三時出発、二十四里半進んで、マリエンスク町に着せしは、午前十時なりし。之(この)間十五里安眠す。夢に小生イルクーツク宗教中学五年級に在り云々。
 之(この)間、風非常に強く、雪を吹き飛ばし、恰(あたか)も降雪あるが如し。其(その)困難、亦(また)言う可らず。
 之(この)町の弐里手前、凡(およそ)二里余の村あり。家概して小にして、其(その)貧なるを知るるに足る。
 当マリエンスクはトムスク県(ロシア語表記)にしてトムスク町迄(?)、二百十二と1/4ベルスタ、又ペテルブルグを離れる四千二百六十四ベルスタにして、人口千三百、オビ川の支流グリミチ川の亦(また)支流ケーヤ川岸にあり。岸上バザールあり。電信局
、学校あり、寺院あり。イルクーツク、トムスク間に於いて、其(その)繁栄クラスノヤールスク町に次ぐ。
 此(この)宿、非常に清潔且つ主人夫婦至って親切なりし。弐階に於いて三人食事す。×××(ドイツ語表記)、且つウォトカを飲む。此(この)宿に於いて非常に快を感じ、恰(あたか)も日本に於ける正月元旦の感あり。此(ここ)広大便所あり。
 十二時、見れば知らざる内にカラバン既に出発せり。喫茶して壱人カイノーフと共に発す。クリモフ、バザールに於いて茶とカトンキを交易せり。テルモフは用事せんとて×に残れり。
 此(この)間近道をなし、小生御者となし時に風雪強く、漸(ようや)く六、七里進んで追い付きたり。時に余の橇に移るに、風雪強く大(おおい)に困難せり。此(この)間歩行者、日本人を知るものに会す。彼は歩行し、余は橇上より談ず。(×中)彼は浦潮他、方々に在りたりしなり。
 午後四時ポドベルニチュナヤ村を通過す。此(この)間二十二と3/4里なれば、非常に近き感あり。時に大風雪。夫(そ)れより十五里進んで、午後十時チューメネワヤに着す。弐階に登る。老婆食を出す。××(ドイツ語表記、和服を着け、弐階の箱の上に毛布をしき、寝に就きしに、寒き故、起きて外套を着たり。老夫婦床上に××(ドイツ語表記)せり。此(この)家の××、×××(ドイツ語表記)するが如し。夜半足冷えて、困難す。此(この)宿にて赤の絹ハンケチを逸する。
十二月二十一日  明治二十七年一月二日
 昨夜十時チューメネワヤに着、老夫婦の傍の箱の上に毛布をしき、就寝せしに、数多くの夢を結ぶ。
 即ち、余東京に在り、上野公園に遊ぶ。時に森重和一、谷富俊一弐氏あり。弐氏某学校に於いて数学を学なり。傍に松井茂氏あり。余謂って曰く「春暖かさ加はり、×単袷一枚にて、丁度買い×なり」。松井氏曰く「君寒からず哉」。余答えて曰く「否、乍然(しかしながら)寒からんが、他に着替えの着物なければ如何とを仕方なし。××余は単衣に羽織り着け居たり」
 此(この)夢を結び、目覚め見れば、果して全身寒気を感じる事甚(はなは)だし。時に午前五時なり。 夫(そ)れより寝衣を脱ぎし、洋服を着け、橇夫と共に食事す。×××(ドイツ語表記)を食し、二階に上り、再び×××を食し、七時出発す。
 時に大風雪。夫(そ)れより十六と1/2ベルスタを進み、ビリクリスカヤ村を過ぎんを知らず、同村より弐里の地にて目覚めたり。夫(そ)れより十六里進んで、コリョンスカヤ−(クリモフに村の長さを問いたれば、彼レ斯(か)く知りせしも、答えなく×くならん)に午後四時着す。
 村の入口に税関あり。本日午前七時より午後四時迄、九時間、三十一里程強寒の為め、非常に困難せり。 此(この)宿清潔と云ふ程にも非ず、亦(また)不潔と云ふ程にも非ず。家は中々大なりし。数多の子供あり。宿に就(着)き見れば、親方弐人既に食事を終わりしと思ひ、自ら机上にありしサマワールより湯を取りて喫茶す。肉なく亦(また)××(ドイツ語表記)亦(また)既に之(これ)食し悉せり(尽くせり)を依って、××××(ドイツ語表記)を××、且つ××(ドイツ語表記)を食せしも其(その)味美なりしを以て、再び主婦にカリーチを請求す。
 今朝橇上の夢−迎え(?)小橋より帰る。国本××、和田善太郎、緒×平五郎
 六時親方弐人食机につきしが以て×××(ドイツ語表記)。
 防長新聞通信を出す。
 此(この)夜、眠ん就く能はず。夜中机上に在りしヴォトカを飲む。
十二月二十二日  明治二十七年一月三日
 昨日午後四時某村に着(?)、暫(しばら)く休息して、夜半十二時クリモーフを起こせしに、彼れ直ぐに下に行き、橇夫を起こせり。十二時半下に行きて、橇夫と共に××××(ドイツ語表記)を食し、弐時出発す。
 ××ベルスタ進んで、ポツダンスカヤ村を過ぎ、夫(そ)れより十三里間、眠せしに×××(maro)不快極めり。又此(この)間夢あり。
 延一浦潮に来れり。久得に聞きしに、既にイルクーツクに向かって出発し、何時帰浦するか未定に付、小生をイルクーツク迄追い来れり。在浦中は長崎××川辺も狭き故、百の内に四、五日宿せし云々(百は札幌に居りし広島人なり)延一×××××××××××持来れり。
 島田竜助、児玉佐一、及び××云々
 ポツダンスカヤ村より十三里の地に於いて、目覚めし見れば、八時十分、時に尚暗し。小村の長さ、凡(およ)そ壱里余り。時に車を止め、橇夫共大騒動をなす故、様子を聞け
ば、賊不知内(知らない内に)壱個の茶を持ち去れりと。其(その)橇を見れば、細引を寸断し居れり。テリモフ氏、馬に鞭を加えて、賊を探しに引き返したり。凡(およ)そ三十分間止り、再び車を進む。
 小生亦(また)就眠せり。六里間眠りし、午前十一時コリュンスカヤ村に着す。
 ××××(ドイツ語表記)。老婆あり。容貌、恰(あたか)も鬼の如し、小生の喫煙するを見、大声を発して、曰く「煙室内に充たり、喫煙するならウーリッツア ハジイー(通りに出てやれ)」と。尚弐、三本を吹(吸う)ひるに、彼、益(益々)怒る。
 夫(そ)れより郵便電信局に至る。時に壱時四十分
 A 玉井兄、×村、原田精一
 B 浦潮港日本人
 C 椎名君
 三通の賀状を局にて認め(したため)、直ぐに投函す。
 此(この)郵便電信局に電化技師、機械を取り扱うを見て、小樽の佐伯兄を思いの情切なし。
 局の傍に×××(ドイツ語表記)及び学校あり、其(その)下にバザールあり。バザールの傍らに於いて、弐人の子供スケート(ドイツ語表記)なるを見る。
 宿に帰り、鼻を見るが、強寒の為、凍りて赤くなり。×××××を思い出したり。××××(ドイツ語表記)×××を橇夫と共に、×××(ドイツ語表記)。
 夫(そ)れより別室にて三人共に××××(ドイツ語表記)。宿にてインキ及びペンを借用せん事を老婆に云いしも、彼鬼の如き顔色を以て、余の為に貸すインキペンなしと。
 午後四時出発す。
 当地よりトムスク迄、余すところ百十八ベルスタ。何となく、心中非常に愉快にして、勇気勃々たり。
十二月二十三日  明治二十七年一月四日
 昨日午後四時、コリュンスカヤ村を発し、午前三時十分迄四十三と1/2ベルスタ間、何の苦もなく、安眠す。風なく雪振らず、今日の如き暖気はイルクーツク出発以来始めてなり。更に途中十一時四十分間、四と2/3里迄、苦を知らず。宿に就(着)きて始めて目覚めたり。之(この)村はツルンテワなり。
 此(この)宿の主婦は愛嬌なき婦人にして、弐人の少女あり。年十二、三及び十歳位なり。一人は極めて機敏なれど、気の毒なるや胸と背飛び出たる×××(ドイツ語表記)なり。傍に老婦病床にあり。宿極めて亦(また)小なり。親方弐人既に食したる後なれば、小生は残×××××(ドイツ語表記)を食す。食事中少女来て、机を持来れり。思(い)しに、橇夫共食、狭きが故なり。故に余は、壁隅の小机にて食事せり。 天井下の高寝台に上りて、和服を着け就寝す。暖房強く、大(おおい)に閉口せり。安眠中夢あり。
 河村老婆病危篤なる故、余至る。老婆大に喜んで手を出せり。余之(これ)をすひし(吸いし)に、益々喜べり。時に岡村姉、河村叔母、生田叔母亦(また)あり。
 目覚し見れば、之(この)宿の老婆病の為に、ウナリ居れり。午前十一時弐十分起きて、和服を脱ぎ、洋服を着けたり。橇夫と共々××××(ドイツ語表記)を食す。喫茶せず。亦(また)ウォトカ(ロシア語表記)を飲まず。
 午前九時出発す。
 十ベルスタ進んで一村あり。村の手前に於いて、罪人隊と会す。凡(およ)そ300余人、婦人あり、子供あり。熟れ(いずれ)も防寒の具不十分なれば、憫×に堪え書ざりし。暫(しばら)く車を止めて、其(その)通過過ぎるを待つ。時に午後壱時四十分なり。
 夕刻弐十六里進んで、ハルデワ村を過ぎ、午後九時セミルシュナヤ村に着す。
 本日×××ベルスタ里間、拾壱時程、昼間多少降雪ありし、北風なく、暖なりし。又夜に入り風起こりしも暖にして、さしたる困難なかりし。夜に入り、月光天に満ち、実に絶景なりし。乍然(しかれども)ハルデワ村より十四と1/4ベルスタ間、非常に道長き様思はれたり。之(これ)セミルシュナヤ村は中々大村にして、家屋も立派なりし、宿は右側、坂の上にあり(町坂になり、家屋大にして、亦(また)美なり。家族××優遇極めり。余心中、さすが、大学の共にトムスク町に近づきありて、幾分か人間も開け居れりと思へ(え)り。
 ××××(ドイツ語表記)(××(ドイツ語表記)1フント12カペイカなりと、之(この)宿の主人は、××(ドイツ語表記)にて大(おおい)に金満家になれりと)、二八の別品(別嬪)ありし、頻りに茶を勧む。
 二階に於いて、和服を着け、ディバーン(ソファー)の上に快眠す。
十二月二十四日  明治二十七年一月五日
 午前三時に起きし、洋服を着付け、大急ぎにて、×××(ドイツ語表記)を食し、主人
主婦に別れを告ぐるを閑なり。午前四時大風雪しかも向風を犯して出発す。其(その)困難亦(また)云ふ可らず。
 五ベルスタ及び十ベルスタの地に小村あり。
 午後弐時××トムスク町に入る。
 町の入口に、親方弐人既に在り、酒瓶を持ち、橇夫共に一杯宛酒を飲まし、且つカラチ一個宛を與(与)へり。
 三時頃肉店肉屋の沢山ある町の倉庫に茶を入れたり。
 倉庫に付(着)く前、一頭の馬、某家敷内に入れり。余後に残り、其(その)馬を引き出さんとするも出でず。依って其(その)ままにして走り出て、クリモフと共々、再び其(その)家に至り、馬を叩き出したり。其(その)騒動の際、耳を包む能はず。耳こをり(凍り)て、暫く(しばら)く後にして、非常に痛をはせり。
 又十数台の橇道に迷いし為、暫(しばら)く待ちしが、非常に時間を要し、夫(そ)れより又××(ロシア語表記)河岸の倉庫に至り、残品物を下し、住所(ロシア語表記)に着せしは、既に五時過ぎにして、日全く没し、大に快感ぜり。
 時に懐中僅かに30カペイカ、我凡(およそ)弐十弐銭なり。
 此(この)宿にて非常に優待を受けたり。××××(ドイツ語表記)。就中(その中)尤も美味を感ぜしは、子持の鯉の煮付けなり。其(その)味美なりし故、数尾を食せり。
 夜十一時橇夫と共に湯屋に至る。××(ドイツ語表記)を×り、クリモフら五、六人の橇夫と合流して、豚との混浴、不潔ながらも亦(また)数十日間入浴せざるを以て、非常に快を感ぜり。余は橇夫より一人にて先に帰宿せんが、其(その)時、家を間違い四、五分の間××××(ドイツ語表記)
 夜十一時××××(ドイツ語表記)
 此(この)夜ディバーンの上で就寝す。

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