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特 集
韓国サーカスの魅力 その2

韓国の綱渡り芸
チュルタギ横浜公演について
韓国サーカス日本公演の意義
対談を終えて

以下は、掲示板対談の抜粋(前回の続き)です。進行に関することなどは割愛し、改行を変更しました。また、一部の発言順序を入れ替え、見出しはこちらでつけさせていただきました。大島の発言中、オレンジ色の文字は林氏の発言からの引用です。(デスク・大野)

韓国の綱渡り芸
大島  去年9月韓国で初めて、チュルタギという韓国の伝統芸能でもある綱渡りを見て、すっかり魅了されてしまったのですが、韓国のサーカスにもこれに類した芸はあるのでしょうか?

 また男寺党にも綱渡りがありますよね。芸の内容としては、チュルタギとかなり似ているというか、根は一緒だと思うのですが、林さんの論文を見ると、チュルタギとは言ってませんよね。
 これはどういう理由からなのでしょう。
 男寺党の綱渡りがすぐに思いつきますが、それよりも広大と呼ばれる人々が綱渡りを行っていました
 広大とは、もともと宮廷や官庁に呼ばれて曲芸を行っており、散楽の芸風を取り入れていたともいわれています。
 李氏朝鮮時代も中期から末期にいたると、力が弱まり、彼らも次第に必要とされなくなります。
 そこであるものは地方に流れ、あるものは男寺党などに入っていきました。
 韓国の綱渡りのスタイルとしては、特徴的なのは、@縄の太さとA観客との掛け合いでしょうか
 もちろん、これは大島さんの方がお詳しそうなので、逆におたずねしたいことです。
 観客との掛け合いは、韓国サーカス全体にいえるような気がします。
 息を止めるほどの名人芸をみせつけるといったよりも、観客と掛け合いながら曲芸をみせ、客と一緒に楽しむといった雰囲気が韓国サーカスのひとつの魅力ともいえるでしょうか。

 さて、このような「綱渡り」のことを、韓国では「チュルタギ」というのですが、大島さんのおっしゃるように、『季刊民族学』に寄稿したなかでも、私はチュルタギとは使っていません。
 理由は簡単です。
 カンスに対して主にチュルタギと使うからです。
 そして、広大や男寺党などが行っていた綱渡りを彼らは、広大の意味で「クァンデ」と呼ぶのです。

 また、演出の仕方をみてみるとサーカスで行われる「クァンデ」には、テンポのよい民謡調の音楽が流されます
 もちろん、金大均さんの綱渡りなどに音楽は流れません
 ときどき、伝統的な音楽を演奏する人がいたりはするようです。
 衣装もサーカスではあでやかです
 私がいたサーカスで使われた衣装は青を基調とした光沢がある素材で衣装が使われておりました。
 ただし、衣装の形態は韓服(伝統衣装)に似せてあります。
それに比べて、金さんの綱渡りの衣装は韓国で好んで用いられる白を基調とした、韓服そのものといってよいでしょう。

 もちろん、金さんの綱渡りとて、改良が加えられているでしょう。
 衣装の素材しかり、準備するものしかり、あるいは芸にも。
 いろいろなところに着目していくことで、さらに面白さを発見できるのかもしれません。
大島  世界のサーカスの綱渡りを見ると、ハイワイヤーと呼ばれる高いところにワイヤーを張った綱渡り、それとピーンと張ったタイトロープと呼ばれるもの、それとゆる綱と呼ばれる緩くたわみができるように張られた綱渡りの3つに区分することができると思います。
 ハイワイヤーは圧倒的に、中央アジアが多いですね。
 これは山岳地方だったため、渓谷に綱を張って渡っていた生活習慣が、ベースになっていると、ソ連のサーカスの辞典には書いてあります。
 韓国の綱渡りもかなり伝統がありますよね。
 金さんは自分のパンフレットに1300年の歴史をもったみたいないい方をしています。
 平安時代に書かれたといわれる『信西古楽図』には、ジャグリングや、綱渡りの絵がでていますが、太い杭を両側にたて、そこに綱をかけています。
 ほぼチュルタギと同じ張りかただと思います。
 このルーツはおそらく大陸にあると思うのですが、中国の雑技と韓国のチュルタギのつながりみたいなものについてなにか研究されて、わかっていることとかはあるのでしょうか?
 曲芸の歴史については、適任者がほかにいるような気がします。
 というのは、韓国でも男寺党に関する研究は民俗学の分野からいくつかでており、
 たとえば、散楽の流れとの関係についても言及しています。
 逆にこの掲示板を借りて、どなたかお詳しい方がいらっしゃれば、ぜひ教示いただきたいと思います。

 ちなみに、韓国サーカスのアクロバットなどは、中国との関係が深く、雑伎とよく似た曲芸が行われます
 実際に中国人が初期の韓国サーカスに入団していたときに取り入れた曲芸のようです。
大島 > 観客との掛け合いは、韓国サーカス全体にいえるような気がします。
息を止めるほどの名人芸をみせつけるといったよりも、観客と掛け合いながら曲芸をみせ、客と一緒に楽しむといった雰囲気が韓国サーカスのひとつの魅力ともいえるでしょうか。


 金さんのチュルタギを見た時も、いろいろお客さんや楽隊の人と掛け合いをやっていました。
 僕は言葉がわからないので、どんなことを言っているのかさっぱりわからなかったのですが、主にどんなやりとりをしているのですか?
 綱渡りでは、「両班(官僚を輩出した上層階級)の歩き方」や「貴婦人の歩き方」など、滑稽に真似てみせて綱を渡ります
 そのとき「両班といえばどうだろうか」「貴婦人はこうする」などと観客に話を振りながら綱を渡るわけです。
 私は残念ながら、それを録音したわけでないのですが、ある程度の話すネタは決まっているようですが、そのときどきの観客の反応によって即興で答えていくようです
 観客の反応が悪ければ、わざと揶揄して笑いをとってみたり、また、演技に対して拍手がくれば、「今拍手をされ方は200年も300年も長生きしてください」と持ち上げます。
 これは、大体、サーカスの「クァンデ」とも共通しています。
大島 > カンスに対して主にチュルタギと使うからです。
そして、広大や男寺党などが行っていた綱渡りを彼らは、広大の意味で「クァンデ」と呼ぶのです。


 つまり綱わたりをする人のことを「クァンデ」というのでしょうか?
 もう少し説明して下さい。

> もちろん、金大均さんの綱渡りなどに音楽は流れません。

 音楽は流れていました。楽隊の人が、鼓とか、笛とかを演奏していました。
 アップテンポではなく、伝統的な音楽でした。
 ということは、このあたりも金さんは改良したのでしょうか?

> それに比べて、金さんの綱渡りの衣装は韓国で好んで用いられる白を基調とした、韓服そのものといってよいでしょう。

 あの白はいいですよね。被っている帽子の羽根のせいもあって、鳥のような感じがします。
 音楽に関しては、サーカスはカセット・テープをかけます
 サーカスの他の演目がシンセサイザーなどを使うことがあっても、私がみた頃のものは、すべてテープでした。
 それに比べて金大均さんの綱渡りで音楽は流れませんといったのは、少し誇張した表現になりました。
 サーカスの場合、サシモノやブランコ系統では大音量でBGMがかけられることが多いのですが、そのような音楽はないという意味でした。
 大島さんのおっしゃるように、鼓とか笛とかの演奏で、もっと「のどかな」感じがするものです
 音楽自体の自己主張が激しくないと表現すれば、余計にわかりにくくするかもしれませんが。
大島  中南米のサーカスもかなりやかましいですよね。
 リングマスターが、ずーっとしゃべりぱなし、よくあんななんで見れるなと思うのですが・・・
 演じる方は、気合いが入っていいのかも知れません?!
チュルタギ横浜公演について
大島  さてこれは林さんの個人的な意見を聞かせてもらいのですが、今度チュルタギを、横浜の野毛の大道芸フェスティバルにお呼びするのですが、この掛け合いの観客とのやりとりをどうしようか、迷っているのです。
 金さんはアメリカでやったときは、カタコトの英語を交えて演じた、といいますし、フランスで公演したときは、字幕スーパーをつかったとも言ってました。
 字幕ということは全く考えていないのですが、そのまま意味がわからないままやってもらうというのも芸がないし、ちょっと迷っているのです。

 いっそのこと、林さんに呼び込みの口上と、掛け合いの解説を、即興でお願いしようかと企んでいるのですが、・・・
 日程的な問題をのぞいても、同時通訳は難しい気がします。

 確かに日常生活で、私は韓国で不自由をしなくなりましたし、もちろん、調査は韓国語で行うわけですから、
 飲み屋のお姉さんを口説くくらいは問題ありません。
 しかし、これは大島さんご自身もおわかりのように、会話が流暢にできることと、同時通訳ができることは違います。

 とくに口上や掛け合いも、逐語訳的で差し支えないものと、ウイットを聞かせた固有語でないと、あるいはその言語の背景をよく知っていないと口上の「味」がでない表現があります。

 そこで、おすすめするのは日韓両言語に堪能な方に依頼し、できれば、おおまかに演技ごとに話を振るネタがあるはずですから、それを聞きだしておくこと、あるいは書きだしておくことをすすめます。それは後ほど資料としても使えるでしょう。
 それをもとに、即興の部分は通訳ができる方にお願いするわけです。
 いかがでしょうか。
 観客の方からもリアクションがあれば、なお面白いのですが。

 それにしても、大島さんとお話をしていると強い力でまたグイグイとサーカスや曲芸の方に引き寄せられていく気がします。薬草商人に浸かって遠ざかっていたのですが。
 これはやはり、サーカスが持つ力でしょうか、
 あるいは大島さんの持つ力でしょうか。
大島  野毛のフェスティバルに、2年前韓国のサムルノリのグループが参加したようなのですが、野毛の近くにある福富町という飲み屋街に住む在日韓国人が多数参加して、いいノリになったそうです。
 だから当日のお客さんの雰囲気をみて、セリフをどうするかは考えればいいと思うのですが、極力今回はセリフを絞ってやってもらおうと思ってます。
 是非見に来て下さい。
 そしてうずうずしてきたらマイクをお渡ししますので、公演の前の口上だけでもやってもらえるとうれしいなあ。
 金大均さんのチュルタギは、在日の方を巻き込めば、もっと面白くなるかもしれませんね。
韓国サーカス日本公演の意義
大島  いま私の耳に、韓国のサーカスを日本に呼ぼうという話がいくつか入ってきてます。
 ワールドカップ絡みということもあると思うのですが、韓国のサーカス団も日本で、在日の観客をあてこんで、公演したいという希望もあるようです。
 どうなんでしょう。
 韓国サーカスを日本でやることの意義のようなもの、あるいは日本でやって果たして在日のひとだけでなく、日本の観客に伝えるものがあると思いますか?

 私はそのまんま韓国でやっている公演スタイルをもってくることはあまり賢明な方法ではないように思ってます。

 6年前と比べて、芸のジャンル、演出のしかたはどうなのでしょう、多少変わってきているのでしょうか?
 ロシアのサーカスが、ホテルやロッテワールドなどでかなり進出しているようなのですが・・・
 韓国サーカスの日本公演ですか。
 まず、在日の各団体にあらかじめ声をかけておかないと一部の物好き(私がその最たるものですが)だけのための公演に終わってしまう気がします。

 あと、これは韓国側の望むところではないでしょうが、「郷愁のサーカス」というのをキャッチフレーズに押しださないと難しい気もします。
 世界のサーカスについては、あまり詳しくありませんが、シルク・ド・ソレイユやボリショイのAグループなどと比較すると採算が合わない気がいたします。
 現在はクレーンなどを使って小屋をたてますが、昔ながらの丸太を組む小屋をわざとつくってもらい公演すると特色もでる気がいたします。
 材料は日本の歩方(現在もいるのでしょうか)にお願いして揃えればよいかもしれません。
 玄人には受けるでしょうが、素人にはどうかわかりません。
 問題は玄人が見学者としてどれほど集まってくるかでしょう。

 面白さの面からいえば、ぜひ呼びたいですが、採算ベースに載せるとなると、さらに慎重な検討が必要なように思われます。
大島  確かに「郷愁のサーカス」が売りにはなると思うのですが、これで見に来る人って、少ないような気がしませんか?
 丸太で組んだテント掛けで、ガンガン口上をがなりたて、音楽をならし、そこにひとつの雰囲気が醸し出されるような気はしますが、見世物と同じになってしまうのではないか、そんな気がするのですけど。

 でも去年ぐらいから、秘かなる見世物ブームみたいなものはありますよね。
 これもノスタルジックなものへの興味と、何か知らない異界がのぞけるという関心なのかもしれません。
 「郷愁のサーカス」が売りだと思いますが、これでみにくる人は大島さんが感じられておられるように、少ないと思います。たぶん採算が合わないでしょう。

 しかし、そうかといって、大島さんがおっしゃる「賢明な方法」が私にはみあたりません。
 現段階では、結構、難しいのではと思っています。
 もちろん、難しいことを成功させるまでに持っていくところに醍醐味があるのでしょうけれど。知恵を絞ってみます。
対談を終えて
大島  今回の対談の感想をお互いにし合いましょう。
 まあとりとめなかったといえば、それまでですが、私は、楽しかったです。
 私なりには、それなりに思っていることを書けた気がします。
 もちろん、時間的な制約など、どうも私が思うように書けない状態ですので、大島さんやROMしてくださった方に申し訳ない気もいたします。

 あと、これは私に問題があるのでしょうが、何名かの方が参加されたり、あるいは2名の対談ではなく、あらかじめ複数名の対談者を決められて、複数名+掲示板参加者といった形式もおもしろいかもしれません。

 それでも、掲示板を用いた対談は思ったよりおもしろいのでないかと思いました。タイムラグがある分、適切なより(あくまでも「より」ですが)表現ができるのも掲示板による対談の利点かもしれません。
 また、いずれそんな機会があればと思います。
大島  自分の反省としては、ホストという役割をもう少し果たすべきだったかなということはあります。
 なんか自分の聞きたいことばかりをあせって聞いていた、そんなことをちょっと思ってます。

 林さんが言っておられるように、複数の対談者というのは、いいアイディアかもしれません。
 これは次の機会に試してみたいと思います。
 例えば、ちょっとマニアックになるかもしれませんが、サーカスの芸、綱渡りとか、空中ブランコをとりあげて、林さんには韓国のことを例にしてもらったり、川添さんあたりに、日本のことをしゃべってもらったりとかそんな風にしたらもっと話はふくらむかもしれませんね。

 ただ私にとってなによりの収穫は、林さんが、サーカスというか、旅芸人への思いとかをまた強く思い起こしてくれたことです。

 きっと学者として、これから広く活躍していくことと思いますが、サーカスへの思いをどこかに持ってフィールドをもっとひろげてもらいたと思います。
 これがきっかけで、韓国サーカス放浪記なんてのが生まれたら、私としては、大成功だと思ってます。

 林さんもどうやらひとつの区切りの時を迎えているようです。
 今後の活躍をかげながら、応援させてください。
 そしてまた別の機会に、対談をしましょう。
 明日からいよいよ旅立ちですね。いい旅であることをお祈りしてます。
 帰ったら、また報告して下さい。
 ながい間ありがとうございました。

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