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クマのコスモポリタン紀行

第3回 名古屋・大須 ペーチャの思い出

 大須は、東京でいえば浅草のようなところ、小さな店がアーケードの中に立ち並び、下町の匂いが漂ってくる街だ。この街を訪れたのは、今度が三回目。考えてみたらいつもカザフサーカスのメンバーと一緒だった。
 最初ここに来たのは、国立カザフサーカスがリトルワールドで公演した時だった。この時は観光で名古屋市内を案内した時に立ち寄ったのだが、その時は疲れていて街にはでたものの、皆が買い物をしているあいだ、喫茶店で時間をつぶしていた。
 実際に街を歩いたのは二年前、カザフサーカスの「人間車輪」のグループが静岡の大道芸フェスティバルに参加するため来日した時だった。彼らは名古屋空港に到着、静岡に入る前に、ぜひ大須に行きたいというので、連れていくことになった。連れていくことになったというよりは、私が案内してもらったというほうがいい。ローマ、奥さんのイーラ、デニスの三人は、この街のどこにどんな店があるのか、知り尽くしていた。聞けば彼らはリトルワールドで仕事している時、休日の日だけでなく、仕事がある時も、よく通っていたという。
 大須観音があるアーケードの入り口にある古着屋は、よく通った店のひとつらしく、この店でずいぶんと長い時間品定めをしていた。ここでローマが、リングマスター用の衣装にと、三つ揃いのタキシードを買った。確か値段は三千円だったと思う。試着したらぴったりということで喜んでいた。この他に彼らのお気に入りは、革ジャンを売っている店だった。こうした革ジャンのみならず、アーミージャケットや暴走族が好きそうなジャケットを吊るして売っている店が、ここには何十軒となくある。時代後れのように思えるのだが、彼らはとても気に入っていた。デザイン云々より、安いというのが、彼らにとってはなによりも魅力だったのだろう。またここには貴金属を売っている店がたくさんある。こうした店も彼らはていねいに見て回った。
 大須の商店街にどれだけ店があるか知らないが、いく筋にもアーケード街があるのでかなりの数になると思う。私なんかひと筋のアーケードを歩いただけで、もうたくさんという感じなのだが、彼らはゆっくり、じっくりと見ていた。
 歩き疲れ、空腹を感じはじめた時、ローマがいい店があるから、そこに行こうと言い出した。小さな中華屋さんだが、通りにもテーブルが出ていて、外でも食べれるようになっている。前によく来た店だという。よくもこんな店を見つけたものである。何故この店がいい店なのか、すぐわかった。外のテーブルに座り、ラーメンと餃子を頼んだあと、ローマがおもむろにカバンからウォッカを取り出した。外のテーブルにいると、頼んだものが出されたあとは、ほとんど店の人は立ち寄らない、持ち込みのウォッカが自由に飲めるという利点がこの店にはあったのだ。ローマが、前に来た時も、この店でずいぶんと長い時間座って飲んでいたよなあ、とイーラに語りかける。イーラはそうあの時はいつもペーチャとリューダも一緒だったよねと答える。ペーチャとリューダは、リトルワールドの公演に参加していた空中アクロバットの夫妻、といってもリューダはアーティストではなく、アシスタントとして働いていた。
 ペーチャはローマの親友だったし、家族ぐるみの付き合いをしていた。
 ペーチャにはいろいろ思い出がある。リトルワールドに来た時は、最初は扱いずらい男だった。とにかく気が短くて、すぐに癇癪を起こし、怒鳴りちらすのだ。特にこの時は歯が痛いということで、この癇癪が半端でなかった。パートナーのグーリャや、リューダに凄い剣幕であたっていた。しようがないので歯医者に連れて行ったのだが、歯にワイヤーが乱暴に巻かれているのに医者もびっくりしていた。なんでも日本に来る前、歯がグラグラしたので歯医者に行ったら、三ヶ月もてばいいんだろうと言われて、ワイヤーを巻かれたというから無茶な話しである。このワイヤーからバイ菌が入って歯茎が腫れてしまったという。結局ワイヤーを切断、歯も抜いて、仮歯をつけることになった。歯の痛みがひいてからはずいぶんとおとなしくなった。気性は激しいのだが、根はいい奴なこともわかった。帰国間際だったと思うが、彼から革のジャンパーをプレゼントしてもらった。自分はこうしたジャンパーを着ないので、オートバイに乗っている知人にあげてしまった。これはきっと大須で買ったものなのだろう。
 イーラが、今回日本に来る時も、ペーチャが何度も家にきて、大変だったと語っていた。なぜお前たちだけが、日本に呼ばれるのだ、俺も行けるように大島に言ってくれと酔っぱらって、からんで毎日のように家に乗り込んできたという。ローマが、いまペーチャはパートナーを替えて、とてもいい番組をつくっていると、彼のことをさりげなく売り込む、なんだかんだといってもペーチャのことは気になるのだろう。
 こんな風にして一日を過ごしたのが、いまから二年前のことである。


 今年の10月、また同じメンバー、ローマ、イーラ、デニスと三人で大須の街を歩くことになった。三人は9月に北九州で開催された博覧会に出演していたカザフサーカスの一員として参加したあと、他のメンバーと別れ、大阪のNGKに出演することになっていた。公演が始まる前まで時間が空いたので、リトルワールドのベルギーサーカスも見たいし大須で買い物もしたいということで、今回来ることになった。
 大須で買い物することはかなり楽しみだったらしく、それぞれ三人、買いたいものを決めていた。三人とも勝手知ったる街である、それぞれお目当ての店に行って、欲しいものを物色していた。ローマがタキシードを買った店で、イーラが息子のためにまた3000円で白いタキシードを購入、デニスは、金のネックレスを買ってそれぞれ満足そうだった。
 そしてまたあの中華屋さんで外のテーブルに座って、ラーメンと炒飯、餃子を食べながら、ウォッカを隠れ飲みすることになった。
 デニスがこの時一枚の写真を見せてくれた。この店で3年前に撮ったペーチャの写真を大きく引き伸ばしたものだった。あの癇癪持ちのペーチャの表情がとても寂しげだ。二年前もここでペーチャのことを肴にウォッカを飲んでいたことを思い出す。
 横目でこの写真を見ていたローマが、なんであいつの写真はいつも寂しげに写っているのだろうとつぶやいた。
 「大島、覚えているか、お前たちが最初にカザフに来て、リトルワールドに出演するアーティストの写真を撮った時、ペーチャの表情が硬くて、寂しげなので、もっと笑うようにさんざんダメだしされたことを」
 確かにそうだった。あの時一緒に行った西田氏が、ペーチャが普段は明るいくせにどうして笑ってくれないと、ダメだしをしていたことを思い出した。
 日本にもう一回連れて行けよとダダをこねていたペーチャは、もうこの世にいない。
 今年四月カラガンダで公演中に、20メートルの高さから道具もろとも落下、死んでしまったのだ。この知らせはペーチャを葬ったあと、ローマが電話で教えてくれた。あの時は言葉もでなかった。ローマも電話の向こうで泣いていた。ローマにすれば、片腕をもがれたような気持ちだったと思う。
 ペーチャの子分のように一緒に飲み回っていたデニスは、三年前にとった写真のフィルムを今回わざわざ持参してきた。ワイドで撮ったもので、カザフでは現像できなかったという。北九州にいた時に、この写真を紙焼きにしたものを、ローマは楽屋に飾っていた。今回も大須が好きだったペーチャが、またここに来たいことを知っていたデニスは、この写真を持ってきたのだ。ペーチャはいつも彼らと一緒なのだ。
 ほとんど人通りのないアーケード内に、有線放送なのだろうか、竹内まりあの曲が流れていた。
 ローマ、デニス、そして私の三人は、ウォッカをぐっと一息で飲んだ。ペーチャのために・・・。


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