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クマのコスモポリタン紀行

第4回 石巻

 石巻駅に着いたのは、朝10時半すぎ、集まりが始まるまでは1時間近くあった。さすがに12月にもなると、風が冷たい。朝5時半起き、まだ眠気がとれなていなかったのだが、この肌を刺すような風ですっかり目が覚めた。
 駅前の地図を見ると、会場の石巻文化センターは、北上川の河口近くにある。北上川を川沿いに歩いていけば行けそうだ。歩いていくことにした。
 なんといっても石巻は生まれ故郷である。生れて1年ちょっとで仙台に移ったのだが、親戚もたくさんいるので、小学校を卒業するまでは、よく遊びにきたものだ。せっかくだから街を歩いてみたい。そしてもしかしたら今日これから行く石巻文化センターは、高校時代にワルシャワ交響楽団を聞いたところかもしれない。だったらなおさら歩いて行きたかった。
 師走の土曜日の昼前にしては、駅前はひとかげはまばらだ。駅前からまっすぐ行った突き当たりを左に曲がる。ここは立町通り、おそらくこのあたりが商店街の中心になるのだろう。子どもの頃毎年夏、たしか8月1・2日だったと思うが、北上川の河口ちかくで川開き(花火大会)があった。町中が人でごった返す石巻で一番大きなお祭りだ。昼間地元出身のコメディアン故由利徹が、関敬六を引き連れて、車に乗って、パレードした時のことをよく覚えている。パレードをこの立町通りで見たのではないだろうか。あの時の人だかりはほんとうにすごかった。白い背広を着た由利徹を、一瞬だけ人垣の後ろから飛び上がるようにして、やっと見た記憶がある。
 いまの立町通りは、シーンとしている。人通りがまったくない、昼前といっても土曜日、学校も休みの日である。ずいぶんとさびれてしまったものである。
 しばらく歩くと、北上川に突き当たる。ここからはずっと川沿いを歩くことにした。どうしても歩きたかった。

 高校一年の時だった。その時は柄にもなく、クラシック音楽ファンだった。仙台はいまでこそ大都会になり、いろいろなオーケストラやソリストが公演をしているようだが、当時は生の演奏会を聞ける機会はほとんどなかった。一度ぐらいは生の、それも本物の演奏を聞きたいというのが夢だった。そんな時石巻でワルシャワ交響楽団の演奏会があるというチラシを見た。ショパンのピアノコンチェルトを中村紘子が共演して演奏、ドボルザークの新世界をやるというので、これは絶対に見ようと心に決めた。ひと夏バイトをして、金をため切符を買った時の喜びをいまだに忘れられない。
 公演は平日の夜、確か6時ぐらいからだったと思う。その日クラブ(柔道部)を休み、チャリンコを必死に漕いで、仙台駅まで行ったあとは、仙石線に乗って、石巻に向かった。事前に会場がどこにあるかを調べもせずに、駅についたらなんとかなると思っていた。いまと違って駅前に市内地図の看板があるわけでもなく、交番もない、しかも間の悪いことに、雨も降り出してきた。開演時間も迫っていた。駅で人に聞いてなんとか、会場のある方向はわかって、とりあえず歩きはじめたのだが、実際にどこにあるのかもわからず、どのくらい時間がかかるのか不安になってきた。通りかかったバス停で何人か、何人か人が待っていたので、誰というわけでもなく、場所を聞いてみた。ひとりの女子高校生が、その場所を説明しようとしてくれた。しかし説明をするのがもどかしくなってきたようで、「いいです途中まで、私が案内します」と言ってくれた。小雨だと思っていたが、雨足は激しくなってきたようで、被っていた学帽から雨が滴り落ちてきた。たぶんここから会場まで結構あるので、このままだと雨でびしょ濡れになるのを気の毒に思ってくれたのかもしれない。
 いまとなってはどこをどう歩いたものかほとんど記憶にないのだが、北上川に沿って歩いたことだけは覚えている。彼女が差し伸べてくれた傘の下、肩が触れ合わないようにして歩いた、あの時間はどのくらいあったのだろう。10分ぐらいだったのかもしれない。ほとんど会話などなかった。「どこの高校なのですか」ぐらいは聞いたような気がする。彼女もそれに答えてくれたけど、別にそのあと話すこともなかった。いま思うと彼女も緊張していたのだと思う。いまとちがって、制服を着た男女の高校生が、相合い傘で歩くなんて、珍しいことだった。川でボートの練習をしていた高校生が私たちを見て、冷やかしの言葉をかけてきた。建物が見えてきたところで、彼女は「あそこです、あの道を真っ直ぐ行けば着きます」と教えてくれた。別れを前にして、なにかお礼をしたいと思った。と言ってもなにか用意しているわけがない。何かをしたいと思って、ポケットをまさぐっていたら、読みかけの文庫本が手に触れた。雨の中、わざわざここまで案内してくれたわけだし、また彼女はバス停に戻ることになる、こんなに親切にしてもらったのに、なにかお礼をしなければと思った。別れ際「本当にありがとう、何ももってないのだけど、これもらって下さい」とこの本を差し出した。彼女は快く受け取ってくれた。もう開演がまじかだった。また一層強くなってきた雨の中、私は会場をめざして走りだした。照れくささもあったのだろう。
 その時お礼がわりに渡した文庫本は、ラディゲの『肉体の悪魔』だった。
 いまから33年前の晩秋のことである。

 もしかしたら、ワルシャワ交響楽団の公演があったのは、石巻文化センターだったのではないかと思いながら、北上川の川沿いを歩いていた。
 石巻の女子高校生に会場まで案内してもらった、ただそれだけのことなのだが、胸に滲みこんでいる。中年のおやじが大事にしまっていた思い出のひとつである。
 11時半すぎになって、石巻文化センターが川向こうに見えてきた。33年前彼女と別れたとき見えた、薄暮の中、川岸に照明に明るく照らし出された建物が、くっきりと蘇ってきた。しかしいま目にしている白い建物は立派だったし、とても30年前から建ってようには思えない。どうやらあの女子高校生に案内してもらった会場ではなさそうだ。実際あとで聞いたらここは15年前に建てられたという。
 それでも懐かしい一時をおくることができた。北上川をひとり、風に吹かれながら、大事にしていた思い出の小箱を30年以上経ってまた開けることができたのだから。
 彼女は『肉体の悪魔』を読んだのだろうか・・・


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