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クマのコスモポリタン紀行

第7回 新浦安編

 ロシア人マジシャンとの出会いを綴ったエッセイです。この髭ダルマのマジシャン、ヴァロージャは、きっと天からの使いだったと思っています。


 新浦安駅、初めて降りる駅だった。ディズニーランドのある舞浜の隣にある駅、新興住宅地だろうぐらいのイメージはあったのだが、まさかこんなに大きな、そして人の出入りが大きい駅だとは思っていなかった。約束では、改札口で4時に会うことになっていた。初対面の人だが、ロシア人だからすぐにわかると思ったのだが、なかなかそれらしき人を見つけることができない。簡単に待ち合わせ方法を決めてしまった迂闊さを悔いていた時だった、魔法使いのような髭をたくわえたひとりのおじいちゃんが近づいてきて「ミキオか」と尋ねてきた。彼が、ウラディーミル・アンドレーヴィチ・ペリボッチコフであった。ロシア人というよりは、モンゴル人に似たアジア系の顔だちだった。電話で何度か話し、年配の人だろうとは思っていたが、こんなにおじいちゃんだとは思わなかった。雨も降ってきたので、近くの喫茶店でお茶でもしましょうといったのだが、なにを言うんだ、俺のアパートに行くんだ、と半ば強制的に手をとり、歩き始める。こうなったら成り行きにまかせるしかない。
 駅に隣接している大型スーパーの中を通り抜けると、広い道路が真っ直ぐに伸び、高層マンションが立ち並んでいるのが目に入った。埋め立て地に作られたいかにも人工的な町並みだった。ここを訪れるのは初めてなのに、なにかどこかで見たような気がしてならなかった。
 駅から15分ぐらい歩いたところに、ベリボッチコフこと、ヴァロージャおじさんが暮らすアパートがあった。部屋に案内されると、ヴァロージャおじさんは、お茶を出すわけでもなく、すぐになにかそわそわと準備をはじめている。ビデオを取り出し、それを三脚に付けようとしている。そして私をテーブルの前の椅子に座らせ、「さあ準備完了、話してくれ」と言う。
 私をビデオで撮影しようというのだ。ヴァロージャにとってこのビデオ撮影は、なによりも大切なことだった。

 彼と会うきっかけをつくったのは、去年の暮れに不意に舞い込んだ一通のメールだった。
 見ず知らずの人から送られてきたメールには、こんなことが書かれてあった。

「はじめまして。突然のお便り、失礼いたします。じつは先日、ひょんなことからウラディーミル・アンドレーヴィチ・ペリボッチコフ氏と知り合い、「大島幹雄氏とぜひ連絡をとりたいので、連絡先をさがしてくれ。」(本人は「ミッキー オオシマ」氏といっていましたが)との要請を受けました。インターネットで検索してみたところ、こちらのHPに行き着きましたので突然で不躾なこととは存じますがお知らせさせていただきました。ペリボッチコフ氏は、現在東京ディズニーシーでマジシャンとして働いており、来年五月まで日本に滞在する予定であるということです」

 ペリボッチコフという名前は聞いたことがなかったのだが、マジシャンということで、おそらくは芸人同士が情報交換するなかで、呼び屋をしている私のことを知って、コンタクトをとりたいんだろうぐらいに思い、その時は気にもとめないでいた。ただディズニーシーには、古くからの友人であるセルゲイも、働いていることもあり、彼には、もしこのペリボッチコフなる男と会うことがあったら、私の自宅の電話を教えてやってくれとは伝えておいた。
 そしてそれからまもなくして、ヴァロージャから電話が来た。彼はスラフスキイから頼まれて私を探しているというではないか、これはどうしても会わなければならなかった。
 スラフスキイは、私にとっては、恩師にあたる、いやそれ以上の存在であった。私がサーカスの呼び屋に足を踏み入れてまもない頃、少しずつサーカスに興味を持ちはじめていたときに読んだのだが、彼の『ビタリー・ラザレンコ』という一冊の本だった。学生時代にロシアアヴァンギャルドのことを調べていた私にとって、アヴァンギャルド芸術家と交流しながら、独自のクラウンの世界をつくっていたラザレンコの生きかたは、大きな刺激となった。本で書かれていることの他にも知りたいことがたくさんでてきた。そして芸人仲間から、彼の住所を聞き出し、手紙を書いてみた。すぐに返事が来た。手紙には、すぐにモスクワに来なさい、そしたら知りたいことを全部教えましょうと書かれてあった。ちょっと興奮気味で大げさともいえる文体は、まぎれもなく「ビタリー・ラザレンコ」の作者のものだった。なにかときめくものを感じた。そしてこの手紙をもらって1年後、スラフスキイに会うために初めてひとりでモスクワに行くことになった。
 彼の書斎で、山のように積まれた資料の中から、スラフスキイが取り出すさまざまな本や写真、プログラムを見ながら、私たちはさまざまなことを話し合ったものだ。私のあまりにも下手なロシア語に、ときおり「あれだけロシア語で手紙が書けるのに、こんなにひどいロシア語しかしゃべれないのだ」と苛立つこともあった。
 私にすれば、この時のモスクワ訪問は大きな意味を持つことになる。ここでスラフスキイと話をしたり、資料をもらったことから、私の最初の本『サーカスと革命』が生れた。二冊目となった『海を渡ったサーカス芸人』も、スラフスキイが見せてくれたロシアで働いていた日本人サーカス芸人の写真がきっかけになっている。スラフスキイは、私をサーカスの世界にひっぱりこんでくれた張本人なのである。
 私にとっては大の恩人であり、先生にあたるスラフスキイなのに、忙しさにかまけて、連絡をとることもなくなり、また自分もモスクワに行くことが少なくなり、音信不通のままになっていたのだ。そんな時にひょっこり、ヴァロージャが日本にやってきたのだ。
 最初に電話をもらったときに、すぐに会えばいいものを、5月までいるのだったら、まだ時間があると、またここで悪い癖がでてしまい、そのままにしていたのだ。
 ゴールデンウィークが終わり、ふと気づくと彼が帰国するまであまり日数がない、あわてて、連絡をして今日会うことになったのだ。

 ヴァロージャは、「さあ、ミキオ、スラフスキイに何か話してくれ」という。そうなのだ、このビデオは、モスクワに帰ってスラフスキイに見せるものだったのだ。
 いままでの不義理があるものだから、最初はずいぶんと緊張していたのだが、ビデオカメラの前で、近況、そしてなによりもずっと連絡しなかったことを詫び、また約束していた本の翻訳の進行状況について話したのだが、ほとんどは弁明に終始していたように思える。苦しい弁明をする私を、ヴァロージャはにこやかな表情で見つめていた。彼にすれば、スラフスキイとの約束を果せたことで、ほっとしたのだろう。
 ヴァロージャは、マジシャンとしてステージに立つかたわら作家としても活躍しており、スラフスキイとは、作家同士でしかもサーカスの世界にいたということで親しくなったという。日本行きが決まって、出発前にスラフスキイの家に行くと、「ミキオという男が日本にいるはずだ、彼を探してもらいたい、もしかしたら自分の本の翻訳も出来ているかもしれないと、それをもらってきてもらいたい」と頼まれたという。スラフスキイは今年で92歳になるが、執筆は相変わらず精力的に行い、いまはサーカスをテーマにした小説を書いているという。
 元気なことはなによりだった。彼の書いた『ニキーチン兄弟』を日本語にする約束をまだ果たしていない自分が恥ずかしかった。
 撮影のあと、ヴァロージャはさあ食事をしようと言いだし、テーブルにいろいろなものを並べはじめた。リンゴ、ベーコン、コンビニで買った弁当、そしてバーボンの小瓶、質素だけど、一生懸命もてなそうという気持ちが嬉しかった。自分は明日仕事があるので、飲めないが、飲んでくれとグラスになみなみとバーボンを注いでくれた。仕事は20分のショーを1日5回というから66才のヴァロージャにはハードワークである。ただ仕事に対して愚痴をいうわけでなく、毎日が新鮮で楽しいという。机の上には富士通のパソコンが、なんとなく場違いな感じで置かれていた。これは秋葉原でセルゲイが選んでくれたものだという。ここに作家として、ヴァロージャは毎日の出来事を書き込んでいるという。
 一緒に話をしていると、不器用だけど一生懸命もてなそうとする優しさ、そして滲み出るような暖かさ、そしてちょっと頑固なところはスラフスキイにそっくりなのに気がついた。モスクワでスラフスキイと過ごしたモスクワでの一時が懐かしく思い出されてきた。
 セルゲイも部屋に呼んだ。アパートの一室で、酒を飲みながら、ロシア語で話しているうちに、そういえばモスクワに行ったときは、いつもこんな風にアパートの一室でいろんな人が集まって夜通し話し合ったことを思い出した。新浦安の町並みを見て、何か見たことがあると思ったのは、そんな一時を過ごした、高層アパートが立ち並ぶモスクワ郊外の団地のことを思い出したからかもしれない。
 もう帰る時間になっていた。セルゲイもヴァロージャも明日は朝早くから仕事が待っている。じゃこれで帰るというと、ヴァロージャが駅まで送ろうという。ここからは一本道だし、大丈夫わかるからと言ったのだが、送っていくと言ってきかない。
 外は来たときよりも雨が強くなっている。
 帰り道、私にメールをくれた人のことを聞いてみた。ヴァロージャはロシアでもシベリアの辺地ケメロボという辺境の出身なのだが、同じケメロボ出身のロシア人が日本にいて、よく遊びにきたという。その人の奥さんの日本人がメールをくれたことがわかった。このロシア人は私もよく知っている、ボクシングの元世界チャンピオンだったことには、ちょっと驚いた。
 駅を目の前にした交差点のところで、ここで失礼するといって、ヴァロージャは「お前に会えて良かった、嬉しかった」と言って、私を強く抱きしめてくれた。初めて会ったヴァロージャ、しかも数時間しか一緒に過ごさなかったのに、こんなに暖かく迎えいれてくれ、そして別れを告げようとしてくれる、このおじいちゃんがいとおしくなった。
 ヴァロージャは、きっと天が送り込んだ使者だったと思う。忙しさにかまけながら、私は大事な恩師のことを忘れようとしていた。それはもしかしたら恩師だけのことではないかもしれない。サーカスという世界の住人になって久しいが、私にとってのサーカスは、15年前にスラフスキイに会いたくて、会わなくてはならないと思って、モスクワに行った時から始まったのだと思う。もしかして忙しいとか、自分のことだけを考えているなかで、どこかに置き忘れたものがたくさんあるのではないだろうか。
 ヴァロージャは、友人であるスラフスキイの頼みをなんとかしたいと思って、私を探していたのだ。自分のためでもないのに・・
 雨が降りしきる中、ヴァロージャは背中を丸めて、人通りのない街路樹の中を足早に立ち去った。その後ろ姿を見ているうちに、胸にこみあげてくるものがあった。


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