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クマのコスモポリタン紀行

第12回 秋田の旅

【中編】天王――「くも舞」を求めて

2008年7月7日(月)

 6時半目が覚める。窓から外を見て、びっくり。歩いている人がみんな傘をさしている。自宅で天気予報を見たときは、明日までは天気がもつはずだったのだが・・。たいした雨ではないだろうとということで、走りに出かける。結構降っている。ホテル近くの千秋公園の中をぐるぐる回る。ずぶ濡れになってホテルに戻り、シャワーを浴びコンビニのサンドウィッチで朝食。

くも舞地図(GoogleMapを加工)
本日の地図(クリックで拡大)

GoogleMap

 9時すぎホテルを出て駅に向かう。朝だけの雨かと勝手に思ったのだが、雨足はしだいに強くなってきて、傘がないと歩くのは無理。駅前のスタバでコーヒーを買って、秋田駅へ。今日もまた男鹿線に乗ることになる。
 めざすは八郎潟の入り江にある港町天王。今日はここにある東湖八坂神社で例大祭が開かれ、くも舞が演じられることになっている。今回の旅の最大の目的は、このくも舞を見ることである。ただせっかく秋田まで来たのだから、菅江真澄が歩いた道を通って天王まで歩いてみようか思い立ち、まっすぐ天王には行かず、出戸浜(でとはま)という駅で下車する。ここから日本海に出て、海沿いを天王まで歩こうと思ったのだ。菅江真澄は土アからおよそ一日かけて天王まで歩いている。この出戸浜も通っている。お祭が始まるのは15時からなので、時間はたっぷりある。まずは海を目指して歩くものの、雨がどんどん強くなってくる。駅から10分ぐらい歩いたところに海水浴場があった。海辺に出て、日本海を見る。久しぶりだよな日本海を見るのは。波は高いし、風も強い。雨のなか灰色の空と海が溶け合っている。雨がかなり強くなり、景色を眺めるところではない。
 車がスピードを出して走っている国道101号線を北上し、天王を目指し歩く。2キロ先に道の駅てんのうという標示が見える。とりあえずはここを目指して歩くことにする。本当は海沿いの道があるのだろうし、真澄が歩いたのも海沿いの道なのだが、この雨と風ではその道を探す気力もわいてこない。水しぶきをあげてかなりのスピードで走る車が行き交う国道沿いをひたすら歩く。真澄が見た景色を見ながら歩くという最初の思惑はもうどこかに吹っ飛んでしまっていた。もう完全に濡れ鼠になっている。およそ1時間ちかく歩いたところで道の駅てんのう(天王グリーンランド)にたどりつく。まさにたどり着いたという感じであった。

例大祭のポスター
例大祭のポスター(クリックで拡大)
道の駅にあったくも舞の模型
道の駅にあったくも舞の船の模型
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 しかしこの道の駅、半端じゃない大きさである。温泉がある天王スカイタワーという大きなビルのほかに、古代風の屋敷が建つ公園や大きな池もある。まずはトイレとタバコ。トイレの脇に今日のお祭のポスターが貼ってあった。
 案内板を見ると天王伝承館というこれから見る東湖八坂神社祭の行事を紹介する施設があるというではないか。雨でへこみがちの気持ちがいきなり奮い立ってきた。こんな施設があるなんてまったく知らなかった。出戸浜から歩こうなんて思わなければ、出くわさなかったわけである。さっそく行ってみたのだが、無人であたりは真っ暗。どうしたもんかと思ったが、映像の紹介が11時半からあるというので、それまで近くの「スサノオの村」(弥生時代の集落を再現した施設)などがある公園を散策してみる。雨も小降りになってきた感じがする。
 大きな池にはくも舞の船の模型も展示されてあった。牛追いの像もある。ここは八坂神社のお祭を紹介することを大きな目玉にしているようだ。

 11時半近くになったので、再び伝承館へ。相変わらず暗いが、しばらくするとおばちゃんが入ってくる。どうぞ自由にご覧くださいという。「暗いので、照明つけてもらえますか」と聞くと、驚いた表情で「これがここの照明なのです」という返事。「昨日からからくり人形が壊れているので見れないのよ」とも。入場料100円なのだが、それもいらないという。早速中へ入る。
 東湖八坂神社のお祭の写真、そして祭の解説が展示されている。目玉はからくり人形のようだが、11時半になると音楽が鳴って、人形が動き出した。係のおばちゃんも入ってきて、「あれ、動いている」とびっくり。一緒に座って見る。
 横浜から来たというと、「あらやんだこと、今日ほんものお祭をやるから見に行きなさい、こんなからくりより絶対に面白いから」と言う。もちろんからくり人形ではなく、お祭りを見るのが目的である。そう答えようとしたら、「大変なのよ、このお祭り。一日だけじゃないの。一年いろんな行事があって、今日がその最後のお祭りの日。お祭りの係に選ばれた家はたいへんなのしゃあ。おぎゃくさんとにかく見にいぎなさい」と真剣な表情。「歩いて行こうと思ってンですけど」と言うと、「たいへんだっちゃ。無理しゃあ。何時間かかんだべ。やめだほうがいい。ここから15分ぐらいのところに上二田(かみふただ)という駅があっから、そごがら電車で行ったほうがいい」とどんどん話を進めていく。ただ確かにこの雨の中あと3駅分歩くのはちょっとしんどいかもしれない、祭りに間に合わなくなるというのもいやだし、ここはおばちゃんの薦めにしたがうことにする。
 おばちゃんが案内所に一緒に付いてきてくれて、駅の場所、電車の時間を調べてくれる。13時21分発の電車に乗ればいいようだ。ちょっと時間はあるが、別にいいだろう。おばちゃんに見送られ、道の駅に別れを告げる。

上二田駅
上二田駅
上二田駅のホーム
上二田駅のホーム

 止みかけていた雨だが、また強く降り出してくる。ラーメンのチェーン店が途中にあったので、そこで昼飯を食べて、駅を目指す。ちょっと迷ったが無人駅の上二田駅に到着。いい感じの駅である。電車が来るまで40分近くある。
 こうして雨の中を無人駅でぼんやり電車を待つなんてなかなかおつなものである。真澄が歩いた道を歩こうと思って歩きはじめたのだが、結局一駅分歩いて挫折してしまった。こうしてこの駅にたどり着いたのは予定以外のこと、だからこうした旅は楽しいのだと思う。真澄が歩いた道を歩くことよりも、こうして歩こうと思った事で、さまざまな予定にないことと遭遇できることの方が楽しい。
 誰もいないホームでタバコを吸っていたら、突然どこからともなくスピーカーで大きなチャイムが鳴り出す。もしかして火気厳禁のところでタバコを吸ったので、警報装置が起動したのかと思ったら、なんのことはないこれから来る電車が5分ぐらい遅れるというアナウンスだった。13時27分電車到着、小学生の子供たちが一杯乗っている。話を聞くと、目的地は自分と同じお祭のようだ。チョコバナナを買おうねとか友だち同士で楽しそうに話している。いいもんである、うきうきしている子供たちの中にいると、自分まで心も弾んでくる。

八坂神社境内
八坂神社境内

 二つ先の天王駅で下車。子供たちは全員走るように同じ方向に向かっている。このあとをついて行けば八坂神社に行けるだろう、子供たちのあとをついていく。数分で神社の境内の裏側に出た。夜店が狭い境内に立ち並び、子供たちで一杯になっている。
神社の境内にテント、テーブルの上にお祭のパンフと今日のスケジュールを書いた紙が置いてあった。係の人にタイムスケジュールと場所について説明を受ける。

 東湖八坂神社は、およそ1200年前に東北を征圧した坂上田村麻呂が創建したといわれる由緒ある神社で、祭神はスサノオ、今日のお祭もスサノオの八岐大蛇退治の神話にちなんでいる。
 まずは神輿巡幸が天王を出発、八郎潟と日本海を結ぶ船越水道に架けられた八竜橋を渡って川向こうの船越を巡幸する。神輿が再び天王に戻る途中、八竜橋で停まると、天王から八竜橋のたもとまで、スサノオに扮した男が牛に乗ってやってくる。また、この水道に浮かべられた舟の上では、赤装束の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に扮した男が「くも舞(蜘蛛舞)」を演じる。この時神輿は「くも舞」と掛け合うようにお囃子を演奏する、というのが今日の祭のあらましらしい。

 このお祭がユニークなのは、統人(トウニン)行事と呼ばれ、祭を執行する統人が輪番制で選ばれ、あしかけ二年にわたって祭を仕切っていくという制度が現在に至るまで守られていることである。今日は大祭の日なのであるが、この日に向けて一年かけて、季節ごとにいろいろな神事を執り行うという。道の駅のおばちゃんが選ばれた人は大変なのよというのは、このことを言っていたわけだ。もらったパンフレットを見ると、1月、3月、6月、7月、12月と22の神事を執り行うことになっている。いまどきこんなお祭をやっているところはほかにないのではないだろうか。

船越水道に浮かぶ船(橋の向こうは日本海)
船越水道に浮かぶ船(橋の向こうは日本海)
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くも舞が行われる船(船尾に「国指定重要民俗文化財 第二統人丸」の文字)
くも舞が行われる船
「国指定重要民俗文化財 第二統人丸」
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 とにかくまずはくも舞が行われる会場のロケハンに行く。この頃になると雨もあがり、遠くの空の方には青空も見えてきた。雨の中傘をさしてのビデオ撮影はきついよなと思っていたので、ありがたい。
 くも舞をやる舟は、八竜橋の真ん中ぐらいのところの下の河口に浮かんでいた。この河口がとにかく広い。がっくりしたのは、くも舞が行われる舟がかなり小さかったことだった。とにかく橋を渡り、舟を近くで見られるところまで行ってみる。舟の上に幕で囲われたところがあり、そこに棒が立てられ、囲いの外の両側に竹の葉のようなものがあって、その上に幅2〜3mぐらいの綱がわたされていた。この綱の上でくも舞の演技がおこなわれるのであろう。かなり近くにいないと演技は見えないだろう。となると場所とりを最初にやっておかないといけないかもしれない。

神輿巡幸
神輿巡幸(クリックで拡大)
八竜橋を巡幸が渡る
八竜橋を巡幸が渡る(クリックで拡大)

 15時から神輿巡幸が始まるというので、天王のスタート地点まで行ってみる。荷台がついた軽自動車が何台も並び、統人(とうにん)に選ばれた人たちがその上に座って待機している。いよいよスタート、行列についてしばらく歩いた。
 このあと、巡幸は橋を渡り、船越地区をぐるっと回って再び橋の上に戻り、牛乗りが河の近くまで来たところで、くも舞の神事が始まるとのことである。ということは橋の上には行けないということだ。警察が橋の入り口のところにロープを張って通行を規制していた。くも舞は川岸から見るしかないないようだ。ますますもってどんな演技をするかを近くで見る事は不可能ということだ。あとはビデオのズームの力を信じるしかない。

牛乗りの行列
牛乗りの行列(クリックで拡大)
牛乗りの男1
牛乗りの男1
牛乗りの男2
牛乗りの男2

 16時。今度は牛乗りが始まるので、またスタート地点へ。神輿がスタートした同じ地点(消防所の分署)にすでに牛が引かれてきており、牛の上に鞍をセットしているところだった。スタンバイが整ったところで、何人もの人に担がれて黒い長い髪の鬘をつけた男の人形のようなもの(スサノオ)が運ばれてくる。これを牛に乗せるのが大変なようだ。なんとか乗ったところで行列がスタート。牛をひく人の他に、この人形のようなものを支える人が何人か付き添う。近くまで行って見てみると、この人形のように固まって動かないのは、ほんものの人間であることがわかった。演技なのか本気なのかわからないが、とにかく意識はなく、固まっている。だから牛から落ちないようにするのが大変なようだ。何度も停止しながら位置を修正する。ほんとうに寝ているのだろうか。見物人が「三日三晩酒を飲み続けているのだから無理もあんめい」と言っていた。伝説ではスサノオは一週間こもって酒を飲み続け意識を失って牛に乗り、そこで八岐大蛇を退治したことになっているらしい。

くも舞の演技1
くも舞の演技1(クリックで拡大)
くも舞の演技2
くも舞の演技2(クリックで拡大)

 牛乗りについてまた橋のところに行くと、橋の向こう、そして船の上から太鼓の音とお囃子が聞こえてくる。船越を巡幸した神輿は橋の真ん中ぐらいまで来ていた。そして船の上でも少年たちが6〜7人太鼓でお囃子を鳴らしている。牛乗りが川辺まで到着したところで、船上では全身赤の衣服をきた人が棒に登り、綱の上での演技をし始めているようだ。これはほとんど肉眼では確認できない。あとでビデオを見ると、このときの演者の動作は三方にむかって柏手を二回打ち、拝礼をする動作を何回か繰り返し、綱の上で後転をする、という演技をのべ三回していた。そのうち二回目と三回目の間に一度棒をおりて、囲いの中に入っている。演技自体はそれほどスリリングなものではないが、これはエンターテイメントではなくあくまでも神事なのである。

 およそ20分弱のくも舞神事が終わったところで、橋の上の神輿巡幸が再び動き出し、そして牛乗りもまた来た道を帰り始めた。
 川沿いで見ていた見物客も三々五々引き上げ始める。自分もこの人の流れに身を置き、天王の駅に戻ることにした。雨もすっかりあがり、ロケハンの時には見られなかった寒風山も見えていた。あっけないといえばあっけない神事であった。肉眼でくも舞を見れなかったことも残念と言えば残念だが、不思議な体験ができたことは事実である。そしてなにより菅江真澄がおよそ200年前に記録した同じ祭りを目撃できたということに、感動していた。

 文化元年(1804)8月15日(旧暦)早朝土崎を出発した菅江真澄は、この日のうちに天王村に入り、八坂神社に詣でている。そしてこの神社で行われている不思議な祭りについてかなり詳しく書き留めている。6月7日(旧暦)にくも舞が行われると書いているので、この時実際に見たわけではなく神主から聞いた話を書き留めているのか、または真澄は何度か男鹿半島を旅しているので、別の時に実際見た「くも舞」のことをここに書き残しているのか、定かではないのだが、菅江真澄は、この時の旅の記録『男鹿の秋風』のなかで「くも舞」についてこう書いている。

 「湖面には小舟をつなぎあわせて船越の浦の人々が漕いでくる。舟のなかにも屋形山(つくりもの)が飾られ、たいそう賑やかである。神女がひとり、神官が三人乗っている舟のともとへさきには、太く長い柱を二本たて、それに三尺ほどの横木をしばりつけ、ともの柱には白木綿を一反巻き、へさきの柱には赤い木綿をまいて、そのふたつの柱の横木にかけて二本の縄をひきまわしてある。体に赤衣をまとい、さした腕貫き(腕にはめる筒形の布)・脚絆・足袋もみな赤色の木綿で、頭には赤白の麻の糸をふりみだしてかけてかずらとし、顔には黒い網をもって仮面のようにつけた者が、二筋のわら縄の上にのぼって、八つの山、八つの谷の間をはいわたり、八つのかめの酒を飲みにきたように、この湖のゆれる波のなかをのたうちまわるように、のけぞるふるまいをしながら舟を漕ぎめぐってくる。八岐の大蛇のふるまいである。これを土地の人は蜘蛛舞という。」

 あらためて菅江真澄のこの記録を読むと、やはり彼はこの神事を別の機会に見ていたのではないかという気がしてくる。
 それにしても菅江真澄が書き留めている統人祭がほとんど同じかたちで、現在まで行われているということにあらためて驚かされる。
 二年前に竜ヶ崎で見た「つく舞」の演者は河童のような格好をして演じていたが、この東湖八坂神社の「くも舞」の演者は赤装束をしていた。明らかに人間ではないという設定の中になにか「つく舞」「くも舞」の芸能というか神事の謎を解くヒントがあるのかもしれない。竜ヶ崎もそうだったが、「つく舞」が現在でも行われている千葉の旭市、野田市、多古町も「八坂神社」のお祭のなかで演じられている。八坂神社の関連性も気になるところである。
 いずれにせよ、「つく舞」を手がかりにしたサーカスのシルクロードを訪ねる旅は、まだはじまったばかり、長い旅になりそうである。来年は千葉県の「つく舞」を行脚したいものである。

つづく


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