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今月の一冊 2001年1月

アレクシェービッチの「小さき人々」の記録

『チェルノブイリの祈り−未来の物語』
『ボタン穴から見た戦争−白ロシアの子供たちの証言』

本についての詳細はこのページの最後にあります


 ベラルーシを拠点に作家活動をするアレクシェービッチの存在を教えてくれたのは、通訳・翻訳家でもある三浦みどりさんであった。三浦さんからのメールで、アレクシェービッチをとりあげたドキュメンタリー『小さき人々の記録』、そして彼女と徐京植氏の対談「破滅の二十世紀」(いずれもNHK)があることを知った。このふたつの番組を見て、彼女の作品をどうしても読まなければならないと思った。
 ひとつは彼女の創作方法が、一貫して徹底した聞き書きから成り立っていること、そしてそこで取り上げられている人々が、英雄や歴史上の人物でもない、ごくふつうの庶民たち、「小さき人々」であることだった。
 もうひとつは彼女が、この小さき人々をとりあげる切り口が「ソ連人」であったことだ。ソ連という、いまは消滅した国家の存在の呪縛にいまだに囚われている人間の群像を描くということから、ソ連という国家が闇に葬った事実を拾い集めるという彼女のやりかたに興味を持ったのである。
 ロシアというフィールドの中で、しかもノンフィクションというジャンルでものを書いてきた自分にとって、これはどうしても読まなければならないものだった。
 三浦さんからのご教示で、彼女の翻訳本が三冊日本で出版されていることを知った。このうちの一冊『アフガンからの帰還兵』は絶版になっており、図書館でしか読めないというので、まだ読めていないのだが、他の二冊『チェルノブイリの祈り』、『ボタン穴から見た戦争』を昨年十二月に読んだ。
 『チェルノブイリの祈り』は、チェルノブイリ原発事故を体験した人々が語った証言であり、『ボタン穴から見た戦争』は、ドイツがベラルーシに攻撃してきた1941年から戦争終結まで、当時子どもたちであった市民が語った戦争の記憶をまとめたものである。
 字数にすれば、一日でも読めるボリュウムなのだが、私はこの二冊の本を、それぞれ一週間もかかって読み上げることになる。とにかく内容が重いのだ、ひとつひとつの証言、どれもこれも悲惨な体験を綴ったものを読んでいくうちに、次のページをめくることができなくなったことが何度もあった。でもここでこのままにしてはいけない、読まなくてはいけない、小さき人々たちが見たこと、聞いたこと、体験したこと、この事実に目をそらしてはならない、そんな地の底から湧いてくる迫力が迫ってきた。こんな読書体験は、久しくなかったことである。

 『チェルノブイリの祈り』は、1997年に発表されたもの。この惨事が起きた原因を追求するわけでもなく、この惨事を生み出したソ連という体制を告発するわけでもない、アレクシェーヴィチはただひたすら、この事故から十数年経ったあと、三年間にわたりあちこちまわり、証言を集め続ける。そしてこの書で、原発の従業員、科学者、元党官僚、医学者、兵士、移住者など、職業も、世代も、気質も違うさまざまな階級の人々が、体験したそれぞれのチェルノブイリを淡々と叙述するのだ。
 例えばこんな話が語られている。
 被爆した夫、顔は四倍にふくれあがり、体中から血が流れ出る。医者も匙をなげた死を待つばかりのこの夫に、妻は「彼をとても愛していて、彼を救うことができるのは愛だけだと思いました」と思い起こす。彼女がしたことは、彼を愛することだった、それしかなかったのだ。
「それで夜ごと添い寝に通ったのです。彼が若くて美しかった頃を思い出してセックスしました。昼間化け物のような彼の姿を見ると夜あんなことができたのかと思った」
 人を愛することのこの崇高さが、この惨事の悲劇性を浮き彫りにする。
 声高に原発行政に対して反旗を揚げるのではなく、被災者への支援を呼び掛けるのでもなく、ただこの事件を体験した人々の話を綴るだけなのだが、その静かな語り口が、逆にこの惨事の現実に面と向かって対峙することを余儀なくするのだ。
 そしてここで語られるひとつひとつのチェルノブイリ物語によって、20世紀の悲劇がひとつの歴史として書き留められることになる。
 アレクシェーヴィチが前書きで言っているように「一人の人間によって語られるできごとはその人の運命ですが、大勢の人によって語られることはすでに歴史」になるはずだ。私たちは、チェルノブイリを体験した人々の現実と向き合うことによって、はじめて「音もなく、匂いもしない、姿も見えないものが人を殺してしまう」という新しい時代の黙示録を身をもって知ることになる。

 『ボタン穴から見た戦争』は、彼女にとっては二作目の作品で、原題は「最後の生き証人」という。これは、1941年ナチス・ドイツの侵攻を受けたベラルーシで、その時少年少女だった人々101人の証言を集めたものである。
 今は五十五才から七十才になる人々が語る『戦中』の生々しさは、それだけ子供の時に体験させられた戦争の傷痕の凄まじさを物語るのである。
 ここで何人もの子供たちはいくつも自分たちが見たたくさんの「死」について語っている。彼らが目撃した「死」は、それは悲しむひまも与えない、殺戮であった。戦争が、人間が人間を虫けらのように殺すことを、そして殺されることを強いる暴力であることをあらためて思い知らされるのである。
 レオニード・シャキンコ(当時12才)は語る。
「三人ずつ銃殺された。穴のふちに立たされて、至近距離で撃たれる。他の者たちは見ていた・・・。子供たちが親に別れを告げたり、親が子供たちに別れを告げたり、ということは憶えがない。十四人が銃殺され、穴に埋められた。僕たちはまた突ったって見ていた、土をかぶせ、長靴で踏み均すのを。その上からきちんとなるようにスコップでペタペタたたく。角を切り取ったりして、形を整えすらした。中年のドイツ人が咳払いをして、まるで野良仕事でもしたように、顔の汗をハンカチでぬぐっていた。分かりますか? 生きているかぎり、忘れられない」

 歴史という名のもとで、そこを生きる人間が個人として語られるのではなく、ひとまとまりに括られてしまうことに対して、アレクシェーヴィチは異議申立てをしている。ひとりひとり生きた道のりが、集積したものが歴史と呼ばれるべきなのである。
 戦争も、チェルノブイリも括られる歴史的事実としてではなく、個人が生きた現実として捉えられないかぎり、ひとごとで終わってしまうのではないのだろうか。
 そんなことを重く問いかけるのが、アクシェーヴィチの本である。


スベトラーナ・アレクシェービッチ著 松本妙子訳
「チェルノブイリの祈り−未来の物語」(岩波書店、1998)
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スベトラーナ・アレクシェービッチ著 三浦みどり訳
「ボタン穴から見た戦争−白ロシアの子供たちの証言」(群像社、2000)
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「『小さき人々』の声を聞く」アレクシェービッチ/徐京植
『世界』2000年12月号
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