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今月の一冊 2000年12月

見世物研究のふたつの成果
『見世物稼業-安田里美一代記』と『江戸の見世物』

『見世物稼業-安田里美一代記』
『江戸の見世物』


『見世物稼業-安田里美一代記』

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 いまから六年前のことだった。野毛大道芸フェスティバルの前夜、野毛の飲み屋で人間ポンプの園部志郎さんと、一緒に飲む機会があった。子どもの頃大きな飴をしゃぶっているうちに、呑み込んでしまい、ああもったいないと思い、飴よ戻って来いと念じたら、ほんとうに食道を逆流して、口の中に戻ってきて、それから自分の才能に目覚めたとか、火を吹いている時、身体に火が燃えうつり、ちょうどプールがそばにあったので、飛び込んだら、ガソリンが口からこぼれ、さらにそのガソリンに火が引火して、まわり一面火の海になったことがある。その時に、身の危険よりもさきに、その水面に燃える火のあまりの美しさに目を奪われてしまったとか、その飄々とした語り口に、すっかり魅了されてしまったものだ。荻野アンナさんを口説いたり、洒落た変なおやじとして野毛の人気者だった園部さんだったが、一瞬顔をこわばらせたのは、同業者安田里美さんの話になった時だった。あいつの芸と俺の芸と一緒にされちゃ困る、あいつの芸は贋物で、俺の芸が本物だと、口調を荒らげた真剣な表情に、一瞬まわりがシーンと静まりかえった。安田里美への強烈なライバル意識に驚かされたものだ。この出会いがあった翌年、一九九五年秋園部さんが亡くなり、その一カ月後安田さんも後を追うように亡くなり、そして人間ポンプという芸が消えていった。
 鵜飼正樹著『見世物稼業−安田里美一代記』を読み、安田里美もまた園部志郎をライバルとして意識していたことがわかった。老芸人たちのすさまじいまでの芸へのプライド、これが死ぬまぎわまで芸を続けてきたエネルギーになったのかもしれない。
 『見世物稼業−安田里美一代記』は、安田里美という幼い時から見世物を稼業とした男の一代記である。安田里美に魅せられた著者の愛情がにじみでてくる作品になっている。それはまず長年の取材、インタビューの成果を、安田里美の語る口調で書こうとしたところに現れている。評伝を書くのではなく、あくまでも安田の聞き書きという構成にしたところに、著者の安田への愛情が感じられるのだ。芸人さんが語ることは、時に話がオーバーになったり、嘘が入っていたりして、まとめる段になると、ある程度修正を加えることになるのだが、著者はあえて安田の語り口で、オーバーな話も、嘘もそのままとりいれながら、書こうとしている。それはその語っている内容もそうなのだが、語っている人間に魅了されていくうちに、そのありのままを伝えたいと思ったからなのだろう。そしてその時に、選ばれた手法が聞き書きを軸にしようということだったと思う。これにより、安田里美の人間的魅力を存分に引きだしていったといえる。ただ著者は、安田の語った内容の事実関係について、執拗なまでに調査を行っていることにも留意すべきであろう。その成果は、詳細な脚注解説に反映されている。安田の聞き書きを軸に、ひとつの見世物興業の歴史の資料ともなる脚注解説、そして各章の冒頭に綴られている著者と安田さんの出会いの思い出をまじえることにより、この本の奥行きがさらに広がっていったと言える。
 芸が消えてなくなるのは、芸能のひとつの宿命なのかもしれない。しかし強烈な個性を持つ人間ポンプという芸をつくりあげた芸人の生きざまを伝える本ができたことにより、安田里美という芸人が永遠に記憶に留められることになったことを喜びたい。


『江戸の見世物』

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 『見世物稼業−安田里美一代記』誕生にあたっていろいろアドバイスをしてきた一人が、見世物文化研究所代表をつとめる川添裕氏である。川添氏は、平凡社の編集者として歌舞伎や芸能に関する名著の数々を世に送り出してきた。平凡社を退社したあと、出版プロデューサーとして多方面で活躍する一方、精力的に見世物に関する著述を発表し続けている。その最初の成果が、岩波新書のひとつとして出された『江戸の見世物』である。新書という一般の読者を想定した本をつくるなかで、いろいろ苦労はあったと思うが、豊富な資料を駆使しながら、豊饒な江戸の見世物の世界を蘇らせてくれた。
 ここで取り上げられている見世物は、大ヒットとなった籠細工をはじめとした細工もの、珍しい動物の見世物、軽業、生人形などである。著者は、まずこうした見世物がどれだけ庶民に受け入れられたかを、さまざまな資料を駆使し、動員数や売りあげなど具体的な数字をあげ、実証していく。これにより見世物が、大変な人気を誇っていたことがわかる。また歌舞伎における見世物の影響を指摘しているが、これによっても見世物の人気ぶりが浮かび上がってくる。
 こうした見世物興行が行われていたのは、隅田川流域にあった回向院、浅草寺であった。これは寺社参詣という人の動きをうまく引き込んだものである。また口コミ、さらには引札、浮世絵、書籍などの情報産業と連動しながら、見世物興行が発展していったという指摘にも、江戸という時代の懐の大きさを感じる。
 この書では、江戸の見世物全体を俯瞰したあと、『細工』、『動物』、『軽業』、『生人形』といった個々の見世物について紹介していく。これにより時代の流れと共に、見世物の流行の変遷をたどることもできる。
 また細工ものや生人形といった、いまでいうと展示会形式の見世物がかなり根強い人気を得ていたこと、さらにこの見世物では達者な口上で案内する口上役が重要な役割をしていたことを知ることができる。また『珍奇な動物展示』が病除け、特に疱瘡除けとして宣伝されていたというのも興味深い事実だ。
 私が一番興味深く読んだのは、軽業の章である。ここでは幕末に活躍した、軽業師早竹虎吉を中心にその隆盛ぶりが紹介されている。なによりも面白かったのは、著者が、早竹の芸を描いた図版を丹念に読解する作業を通じ、江戸で爆発的な人気をもっていた、そしていち早く海外で興業した彼の芸が、歌舞伎の題材をとりいれ、物語性をもっていたことを解きあかしてくれたことである。これなどは、サーカスとバレエ、演劇などがそれぞれのジャンルを越え、新しいパフォーマンスが次々に生み出され、サーカスにとって新しい時代の分岐点となっている「いま」の視点から見て、非常に興味深い事実といえるのではないだろうか。演劇とサーカスが合体することによって何がつくられるのか、さらに観客に対して、芸人たちが、興業師たちが、流行をどうとりこもうとしていたのかを考えるうえで、示唆に富んでいる事実であるように思う。


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