月刊デラシネ通信 > その他の記事 > クマの読書乱読 > 2002年3月-3
大学受験の時は日本史を選択していた私は、自慢じゃないが、先生にその出来のよさをずいぶんほめられたものだ。劣等生として高校三年間を送ったなかで、唯一褒められた教科だった。歴史は好きだったのだが、日本史に比べて世界史がてんでダメだった。
おそらく自分にとって日本史は、時間軸で追っていけるのが、楽だったのだろう。それに反して世界史は、時間という縦軸のほかに、空間という横軸をクロスさせて見なくてはならないというのが、構造的にものを考えることが苦手な自分には負担だったのだと思う。
この世界史がダメな人間にとって、この本はまさに目から鱗、世界観を一挙に広げてくれることになった。このところのグローバリズムの膨張、アメリカのイスラム社会への理不尽な攻撃などに、いいのだろうかと疑問をもち始めていた時に、この本が、13世紀に多様な地域世界の共存と協力によって成立していた世界システムが存在していたことを実証しているというので、読みたいと思ったのだ。
どうしてもいままで自分たちが触れてきた世界史は、ヨーロッパ中心、キリスト教中心の叙述になっていた。そしてここでとりあげられている13世紀についても、閉ざされたイメージが強かった。中世の庶民生活史をとりあげる書も増えてきてはいるが、それはあくまでもミクロの世界であった。この書は近代成立以前から、ヨーロッパから中東、中国にいたるユーラシアの陸海を通じて、世界経済がダイナミックに交流していたことを、豊富なデータを駆使し、実証していく。時間を軸にするのではなく、空間的に世界をとらえることで、生産と交易による交流が、多様なかたちで展開されたことを知るのである。暗黒の時代どころか、その後ヨーロッパが吸収していく交易と、資本蓄積のシステムが、実はムスリムたちが編みだしていったことをこの書は伝える。市場に人が集まり、ものが集められ、交易がはじまっていくわけだが、この時現金で決算することは、流通の循環、資本の蓄積を沈滞化させる。ここで信用取引が生まれていくという指摘も、新鮮だった。
地中海、シルクロード、インド洋、ペルシア湾、アラビア半島などの陸海を舞台に人が、そしてモノが激しく入り交じり、交流をしていたのだ。
例えば「モンスーン」という言葉があるが、これはアラビア語の「マウシム」に由来しているのだが、もともとは陸の隊商が出発するときを表していたという指摘もあるが、これも非常に興味深い。ペルシア湾からインドへ向かうとき、モンスーンを利用する熟練した技術と、陸の見えない大洋を横断する注意深い航海技術を必要とされていた。モンスーンの風が陸から出発するスケジュールを決定していたことを裏付けるものだ。
重要なことは、13世紀にあった交流のシステムが、いくつもあったこと、つまり世界経済が各地域で共存していたということだ。ここに21世紀、アメリカを中心としたグローバリズムという新しい覇権主義を脱却するヒントもみてとれるのではないだろうか。「複数の中心が相対的なバランスを保つ状態へ回帰」することが、いま一番必要とされていることなのかもしれない。
本書には、随所にこの交流の舞台となった地図が掲載されているので、文字だけでなく、その交流のありかたを確かめられるのも、空間把握が苦手な私にとっては、ありがたかった。
決してスイスイ読める本ではなかったが、久々に発見の多かった、読みごたえのある本だった。
歴史書としてだけでなく、同時テロ以降の世界状況を見るときにも、大いに示唆に富んでいるように思える。
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