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クマの読書乱読 2002年4月

『あるミルク売りの日記』
アーリャ・ラフマーノヴァ著 宮内俊至訳
北樹出版刊 2300円(本体) 2001年11月刊行
読むきっかけ 「日ロ交流協会」会報を見て

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 1925年12月17日、著者のアーリャが夫と息子と共にウィーン駅に着いたところから、この日記は始まる。アーリャはロシア人、イルクーツクでオーストリア人のオトマーと結婚していたことが原因で、突然国外退去を命じられ、やむなくウィーンにやってきたのだ。しかもこの若い家族には、お金がなかった。いきなり話は、住むところもない、金もないというどんづまりの状態からはじまることになる。学者の道を志していた夫は、長年ロシアにいたこともあり、一から資格をとるための勉強をしなければならなくなる。夫の友人から金を借りて、小さな食料品をはじめ、やっと住むところと生活費を得る。
 およそ一年間の毎日の出来事が、ここで綴られるわけだが、特に店が軌道に乗るまでは、ロシアでは学者の道を志していた著者が、異郷で慣れない商売に身を粉にして働かなければならないというせっぱつまった緊張感が、毎日の日記の行間から滲み出てくる。読みはじめると、この先どうなるのと、心配になってやめられなくなる。精一杯生きるその懸命さが、清らかで胸を打つ。

 21か国で翻訳されたベストセラーになったというこの本の魅力は、社会の底辺で懸命に生きる著者の暖かいまなざしにあるのだろう。失業者が町に氾濫していた時代に、この店を訪れる、やはり社会の底辺で生きている人々たちが、実に生き生きと描かれているのである。なにかにつけてはツケでミルクを買う人たちや、イヤミばかり言う人たちに、決して文句を言うわけでなく、うつむきながら耐えていくうちに、人々は、著者のことを信頼しはじめ、店は軌道にのっていくのである。
 ぎりぎりの生活をしながら、必死に生きる人々が、次々に店に現れ、自分の身の回りに起きた愚痴話をしていくのを淡々と綴っているのだが、その目線がいつも見下ろすのではなく、同じ位置でからまっていくのが、この本に奥行きをつくっている。時代を現代に移しかえて、ここに出てくる人々の話をプロットにすると、いい映画になるのではないだろうか。

 日記の最後は、夫がザルツブルグでやっと教職の口を見つけたところで終わるのだが、おもわずここで拍手を送りたくなる。なにせ夫はここで就職に絶対的な自信をもち、せっかく利益がでるようになった店を売り、ザルツブルグにやって来るのだが、採用試験に一度は落ちてしまうのだから。もう一度恩師の力添えを得て、就職の願書を提出した夫の元に、採用の通知がきたときはほっとさせられる。
 祖国に残した母親が大病になり、手術したところで便りが途絶えるところでも、ハラハラさせられた。結局は命をつなぎとめるのだが、どうしても読み手は、ここで書かれていることに、感情移入してしまうのである。それが本書の魅力なのかもしれない。

 これを読んでいるうちに、いまデラシネで連載しているベルチンスキイのことが思い出されてならなかった。同じ時代ベルチンスキイも異郷を彷徨っていたわけだが、ふたりに共通するのは、彼らを追い出した祖国ロシアへの愛である。
 アーリャはロシアと切り離せない自分の思いをこう書いている。

 「祖国の残忍さがよくわかっていても、それでもなお祖国への想いと愛は決して変わることはないと思った・・・。
 そう、たとえそうであっても、ロシアよ、おまえほどいとしい国はほかにはないのだ!」

 なぜにかくもロシアが、いとおしい国なのだろうか・・・

 彼女が幸せをやっと手にした時代は、ナチスが台頭した時代と重なっている。彼女の運命はまだまだ変転を余儀なくされるわけだが、とりあえず、この日記は1930年8月2日で終わっている。その後彼女は、たった一人の息子を戦争で失い、夫ともにスイスに逃れたという。


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