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クマの読書乱読 2002年5月

『ボヘミアに生きた女−フク・ホロヴァーの生涯を追って』
著者  吉澤れいこ
出版社 草思社  定価 2500円(+税)
購入動機 本屋で見て

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 明治時代来日したチェコ人の建築家と結婚した日本人女性フクが、1965年に亡くなるまでの足跡を、執念で追いかけた本書は、著者の思いがびしびしと伝わる渾身のノンフィクションだ。共産党政権下のチェコを初めて旅行したとき、プラハ・カレル大学の日本語科主任教授から偶然この女性のことを知らされた著者は、わずかな手がかりを頼りに、出自探しを始める。最初はこの教授から調べて欲しいと頼まれただけなのだが、次第に著者はとりつかれたように、フクという女性の生涯を追いかけはじめる。
 明治時代に海外に嫁いだというだけで、歴史上に名を残したわけでもない庶民の生涯が、吉澤というひとりの巫女を通じて、奇跡的に蘇ったといえる。

 それにしても著者の行動力はすさまじいものがある。15年の歳月をかけ、チェコを三度訪れるほか、ロンドン、ニューヨーク、モントリオール、上海まででかけ、関係者の証言を集めている。
 それだけでなく日本でのルーツを探るために、朝日新聞に記事を書いてもらうおうと、飛び込みで取材を依頼をするなど、体当たり精神で事実に迫るその迫力には圧倒される。実際にこの朝日新聞の記事がもとで、フクの出自がわかり、ここから一挙に日本でのフクの足跡が明らかにされただけでなく、チェコに嫁いだあと日本に送られた手紙も発見されることになる。このくだりを読んでいて、自分が海を渡ったサーカス芸人澤田豊のことを追いかけていた時のことがなつかしく思い出された。あの時澤田豊の息子マンフレッドとドイツで会った時に、日本にいる親戚を探してくれといわれ、朝日新聞の人に相談し、同じように大きな記事になり、親戚だと名乗り出てくる人が次々現れたことを思い出す。
 この著者の情熱には本当に頭が下がる。自分も澤田の話を書くときに、これだけの情熱とエネルギーがあれば、本を書くときは取材できなかった、澤田の長女へのインタビューや、ブラジルや新京での足跡なども交えて、もっと中身の濃いものが書けたのではないかと思ったりもした。
 これはこの本の特色なのだが、フクの足跡を描くと同時に、それを調査する自分の取材過程も同じぐらいの分量で丹念に書いている。これは一方でフクという人間像をぼやけさせてしまっているのが残念なのだが、もう一方で詳細に取材過程を描くことで、何か調べて書きたいという人にとっては、ひとつの方法論を提示しているともいえる。

 もうひとつ気になったのは、はじめからあまりにもフクに惚れてしまい、まだ取材のはじまった段階で、フクの人間像が著者のフィルターで変色され、美化されすぎていることだ。憶測が少し多すぎるきらいもある。
 20世紀チェコという国が負わされた時代の転変、ナチスの侵攻、共産党政権、「プラハの春」と呼ばれた民主化運動、その敗北、そしてベルリンの壁崩壊以後といった時代背景を丁寧に書いたことによって、フクの人生をさらに陰影をつけることになった。

 私がこの本を読んで、一番興味深かったのは、フクの息子チャーリーのことだった。子供の頃から、暴れん坊で、一時父から勘当され、南米に追い出されたチャーリーは、第二次世界大戦でレジスタンスに属し、フランスの外人部隊の一員として大活躍する。戦後チェコに戻るが、共産クーデターのあと、また祖国を追われ、晩年はコルシカ島で静かに暮らしたというが、彼が書いた半自叙伝は長い間チェコで、禁書処分になっていたという。もしかしたら彼を主人公にした方がよかったのかもしれないとも思ったのだが、やはり著者は、フクという女性に心惹かれ、その呪縛から逃れることができなかったのだろう。それはそれでよくわかる。
 いろいろ欠点はあるものの、最近読んだノンフィクションの中では記憶に残る一冊であることはまちがいない。言葉はちょっと悪いかもしれないが、おばさんパワーに完全に脱帽させられた。


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