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クマの読書乱読 2001年7月

『市長の娘−中世ドイツの一都市に起きた醜聞』
スティーヴン・オズメント著  庄司宏子訳
白水社 2600円

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 16世紀のドイツを舞台にした歴史ノンフィクション。『本の雑誌』6月号で新編集人浜本氏が巻頭エッセイでとりあげたのを見て、購入した。
 よくもまあ、手紙やら裁判文書などの古文書を集め、解読して、ひとつのノンフィクションにまとめあげたと思う。古文書を解読することで、中世の人々の生活を生き生きと描いたものに、阿部謹也の「ハンメルンの笛吹男」があるが、この『市長の娘』は、中世を生きた人々ではなく、なによりも主人公となるアナという個人の女性の生きざまを描いたことが凄い。
 16世紀のドイツといえば、まだ魔女狩りがおこなわれた時であり、カトリックの腐敗に、ルターが改革を訴えはじめていた時である。この時代に市長の娘アナが、二人の貴族と情を交わし、父から廃嫡されかかる。アナは父を訴え、長い裁判が続く。父の死後も、血を分けた弟妹と、死ぬまで闘い続ける姿を、事件の発端となったアナと恋人たちとの手紙のやりとり、さらには裁判記録を丹念に読み込むなかから、描いていくのである。小さな対象物をじっくりと観察するという、歴史学でミクロ・ヒストリーと呼んでいる手法を著者は用いているのだが、これは歴史書というよりは、アナという破天荒な女性の人間を描いたノンフィクションとして読むことができる。
 父に監禁され、さらには弟たちの財産分与でのご都合主義にいったんは折れながらも、その理不尽さに挑むアナを著者は「彼女の感情は、同時代の宗教改革や農民の反乱の原動力となったものと同じ感情だった。信頼し頼りにできると信じた人々や組織に踏みつけられ、詐取された経験を、行動へと転換した」と、共感を込めて書いている。
 また著者は、人間の精神が、何をもっても癒されることのないダメージを受ける時がある。こうしたダメージにとって、正義とか公平とかいった理想は、無力であると書いたあと、こう熱っぽくアナを支持する。
 「歴史にはそういう修復されようのない傷が散らばっている。このようなとき、唯一の救いは、傷ついた者たち自身が、心静かに沈黙することを拒むことである。自己主張の叫び、受けた仕打ちに対する皮肉、たたきつけるような挑戦−こうした声は彼らの破滅を高貴なものにし、決して惨めな敗北には終わらせない。アナもそのような決意によって自らの傷を癒し、誇りをもって旅立って行った。自分の人生が哀れむべきものでも、無為なものでもなかったことを知りながら」
 このような明確な著者の視点が、この書を歴史書に留めず、歴史の中で生き抜いた崇高な人間の姿を描いた傑作ノンフィクションに仕上げたのだと思う。


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