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クマの読書乱読 2001年8月

『森の仕事と木遣り唄』
山村基毅 著
晶文社 2001年4月

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 2月号で紹介した「森の人 四手井綱英の九十年」を読んでから、忘れかけていた森のこと、山のことが無性に恋しくなってきた。子どもの頃から、「里山」を遊び場にし、隠れ棲み家をつくったり、昆虫採集をしたり、雪遊びや山歩きをしたりしていたせいか、森や山に対する愛着が深い。大学をめざす前、真剣に営林署に勤めようかと思ったこともあった。
 いまは山登りする機会もほとんどなく、山も森も遠く離れる一方なのだが、四手井さんのことを知ってから、妙に気になりはじめた時に購入した本が、この「森の仕事と木遣り唄」だった。
 これは著者の故郷でもある北海道で、伐採した丸太を数人がかりで転がしながら運ぶ時に唄う歌「木遣り唄」を耳にしたことをきっかけに、「木遣り唄」を求め、全国の林業の現場を訪ねたルポである。最初は仕事の場で唄われる歌に興味をもち、森をたずねていく著者は次第に「森の仕事」の現場にのめり込むようになる。この森の現場に惹かれていく過程が、素直に書かれてあり、好感が持てる。ただ情感が若干入りすぎではとは思われる叙述が気になるところもあった。
 この本を読みながら、林業そのものについて、また現在の日本の林業のありかたについて、ほとんどいままで考えることがなかったことに気づいた。そしてその仕事の内容、木を伐る人がいて、さらにそれを丸太や角材にして、それを運ぶ人がいて、という林業の仕事の手順について想像力さえ働かせることがなかったことにも、我ながら驚いた。
 伐採された木が自然に下に下りてくるわけがないのであり、ここには運ぶという大変な作業があったのである。川で筏を組みながら流すという方法の他に、この書を読んで初めて知ったのだが、「修羅」という方法で丸太を溝状や枕木状にして並べながら、木をおろしていたのだ。この本の最後の方で著者は、いまはほとんどなくなったこの修羅をつかった木下ろしの現場に立ち会っている。
 全国隅々、伐採の場、運搬の場、さらには炭焼きの場など、時間を惜しまず、森の作業場を歩きまわったことで、はじめてこのようなコクのあるすぐれたルポが生れたのだと思う。木を運搬するという作業は、この本のなかでは重要なテーマになっているのだが、著者はことこまかく文字で描写してくれているのだが、もしかしたら写真や挿絵などを入れてもらった方が、読者にとってはわかりやすかったかもしれない。
 著者も四手井さんと同じように、もうすでに「森の人」になってしまったのかもしれない。


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