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『虚業成れり−「呼び屋」神彰の生涯』刊行裏話

第3回 本が出来た

 1月28日本が刊行した。実際に私が出来立てほやほやの本を受け取ったのは、26日の夕方である。やはり西山さんの装丁のデザインが光っている。アートに賭ける神さんの想いがよくでているし、あの不敵な面構えの写真もいい。もうひとつ驚いたのは、ずいぶんと厚い本になったなあということだ。電車のなかで読むには辛いかもしれない。出来上がった本は、なかなかいとおしいものである。ずっと抱きしめていたいものである。それはいつも変わらない。

 本が出来てからの楽しみは、本屋さんに自分の本が並ぶのを見ることなのだが、これは残念ながらできていない。このところちょっとバタバタしていて、本屋に行く時間もない。ある人のメールだと、バレエの本のコーナーに置いてあったという。それはあの表紙のせいだろうなあ。

 協力していただいた方のもとにも、今日あたりから本が届いているようだ。もうひとつの楽しみは、こうした方から感想を聞かせてもらうことなのだが、今回はちょっとドキドキしている。岩波のHPの著者からのメッセージにも書いたのだが、今回は初めて有名人をとりあげての評伝であり、関係者や親戚の方など現役で活躍されている方は多い。そうした人たちが、この書を読んで、どんな感想をもたれるのか、半ばこわいような気持ちもある。おそらく批判的な感想もでてくるはずである。それは神彰という男の評伝を書くと決めた時から、わかりきったことでもあるわけで、腹をくくるしかないだろう。

 本ができて、一番最初に読むところは、あとがきである。今回はあくまでも神さんの評伝であり、なるべく自分のことは出さないように、極力気をつけたつもりなのだが、やはりあとがきでは、「俺が、俺が」というのが、ですぎているようにも思える。

 5年がかりの本となったが、いまは感慨にふけるというよりは、やっとできたなあという想いで先にたち、喜びをかみしめるというところまではいっていない。
 なにかじっと待っているという感じだ。不思議な気がする。


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