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【連載】長谷川 濬―彷徨える青鴉

第3回 長谷川濬作品紹介1 「夢遊病者の手記」

 この連載をまとめて、いずれかは長谷川濬伝を本にしたいと思っているのだが、それと平行して、長谷川濬作品集をつくりたいとも思っている。全部ではないが、戦前戦後の彼の作品を読むなかで、これを本として出すことは、とても大事なことだと思っている。はっきりいって、兄の海太郎、弟の四郎のような上手な作家ではない、むしろ不器用な作家といっていいだろう。ただ彼の生きた道を知ってもらうために、彼が書いた文章を読んで欲しいのである。文学作品として、傑出したものとはいえないが、彼が書いたものには、真実がある。終生彷徨い続けてきた男が、唯一拠り所とした文学という場で、彼が書いたもののなかに、「生きた」というあかしがある。これを知ってもらいたいのだ。
 彼の作品は、戦後が特にそうなのだが、同人誌で発表されたものばかりで、ほとんど目にすることさえ困難なものばかりである。そこで、長谷川濬伝をデラシネで連載しながら、彼が実際に書いた作品を紹介することにした。私自身が、作品集のなかに入れたいと思っているものを中心に、いくつか紹介していきたい。

 第一回目として私が選んだ作品は、「夢遊病者の手記」。1966年「作文」復刊9集に発表されたものである。
 満州から敗残者として引き揚げてきた長谷川濬の戦後は、まさに茨の道のりの連続であった。定職につけず、貧困にあえぎながら、病に伏せ入退院を繰り返し、子供4人を育てなくてはならなかった。しかも15才という若さで、長男を失ってしまう。こうした悲惨な運命に面しながら、濬は書き続けた。書くことで救われる、そんな祈りにもちかい想いで、ひたすら書き続ける。長兄牧逸馬のように大衆作家になれず、愛するチェーホフやゴーゴリのように、ビビットに人生の一こまを描くこともできず、悶々とするなか、彼は自分の生きた道のり、負け続け、彷徨うことを余儀なくされた自分の運命をテーマに書きはじめる。夢を抱き、大陸に渡った自分が、敗戦という現実のなかで、対峙しなくてはならなかったいくつもの死の体験、友や上司の死、わが子を引き揚げ途中で亡くした、その悲劇になぜ自分は巻き込まれたのか、それに向き合おうとする。
 いくつもの回り道をしてきた長谷川濬は、ここで自分の文学、書かなければならないテーマを手にしたといえるのだが、彼にはあまり時間が残されていなかった。病が彼を蝕んでいたのだ。
 作家長谷川濬にとって、戦後の作品のなかで、書こうとしたテーマが三つあった。ひとつは満州時代回想であり、ふたつめは海である。それは彼にとって青春の出発点であり、回顧するもの、そして未来でもあった。そして三つめが、死の体験であった。我が子を3人亡くし、親しい友の死に立ち会うことになった長谷川濬は、自らも喘息、肺病に苦しんでいた。彼にとって死は、いつも身近にあったのだ。
 この「夢遊病者の手記」は、1955年喀血し、救急車で病院に運ばれた時の体験をもとに、敗戦後の引き揚げ時の回想を織りまぜながら、満州時代の自分は一体なんだったのかをつきとめようとしている。病室から海を想うシーンもあり、彼のテーマがひとつの小説に凝縮されたものであると言っていい。
 長谷川濬の文学、人生を語る時、最も重要な作品のひとつであるといえる。

長谷川濬 作品1
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作品1